裏の取れないスクープ

今回の「焼き場に立つ少年」をめぐっては、ふだん周囲1キロ四方世界に蟄居する孤老(孤狼?)にもいろいろ反響が返ってきた。しかしたいていは「やっぱりね、そうだと思ったよ」とさして驚く風でなかったのがちと残念だが納得。つまり、佐々木はなかなかの策士やのう、と思われているのかも知れない。そうした反響の中に、今度お世話になる法政大出版局の郷間氏のように「ひょっとしたら、法王も、この写真が南相馬市在住のスペイン文学者から送られてきたものであることを理解して、拡散なさっているのかもしれませんね」というのがあってドキリとした。
 写真のキャプションが紛れようもなく私の書いたスペイン語であることだけに意識が向かっていたが、もしかして郷間氏の言うようにニコラス神父からただ写真とキャプションが教皇に渡っただけでなく、それが原発被災地に住む佐々木という男からのものであることを理解したうえで今回のメッセージに使ったのかどうか、急に気になってきたのだ。それで急いでパソコンのメールボックスを調べてみると、昨年八月十一日にニコラス神父宛てにキャプション付きの写真を送っただけでなく、「平和菌の歌」の豆本やら、北海道新聞の岩本さんや十勝毎日の小林さん、そして東京新聞の佐藤さんが書いた記事、また朝日新聞の浜田さんの Withnews の夫婦の記事なども送っていたことが判明。そして昨年九月二日にはスペイン語版作品集の原稿を送ったことも。そしてその中の「スペイン語圏の友人たちへの手紙」の中に今回のことに直接関係するかも知れぬ文章があった。その部分を抜き出してみる。

「最近、ローマ教皇フランシスコは、核兵器は人類に対する犯罪であり、私たちは広島や長崎の悲劇から何も学ばなかった、と公式に発言なさった。そしてこのメッセージは、国や宗教の垣根を越えて多くの人たちから熱い賛同を得た。洗礼名が教皇と同じフランシスコで元イエズス会士の私としては、教皇にもう一歩踏み込んで、私たちはすべての核利用を放棄すべきであると言っていただきたいと心から願っている。なぜならだれもが知っているように、原発作動の技術は核兵器製造に容易に転用できるからだ。つまり両者は同根のものであり、互いに応用可能なのだ。愚かな日本の政治家たちが言っているように、原発開発の技術は、核兵器のためのいわば担保とみなされている。」

 もちろんニコラス神父がその書簡を(単独に送った可能性もある)教皇に送るなり見せるなりしたかどうかは不明だが、いずれにせよあの写真がどこかの新聞・雑誌からコピーされたものではなく、ニコラス神父の友人である或る具体的な人間(私のこと)からのものであることを教皇が知っておられた可能性はかなり高い。
 ここからは明智小五郎(古っ!)並みの推理だが、今回なぜ佐々木が作った(正確には日本語の説明を私なりに翻訳した)スペイン語のキャプションを一字一句そのまま使ったかは、表題の「裏の取れないスクープ」とは逆の意味で、佐々木への暗黙のメッセージかも知れない。つまり君の名は伏せるが、しかし君の気持は充分に分かってるよ、のサインかも知れないのだ。そうでなければ、和西辞典を使って苦労して作った堅いスペイン語をもっと滑らかな(?)ものに替えて教皇庁の役人に伝えても良かったはず。
 でも今さら断るまでもなく、以上はあくまで「裏の取れない」話である。なぜ裏を取れないか、と言えば、私としてはニコラス神父を通じて以上のことを確認するなんてことは絶対にしたくないし、向こうでもそれは断る、はずだからだ。比較は穏当じゃないかも知れないが、バチカン聖庁は一種の宮内庁みたいなもので、信徒のだれかれの進言で大事なメッセージが発せられたなどと公には絶対できないはずだからだ。
 でも(とまた繰り返すが)下々の者がかなりの根拠をもって推理する自由は、これまた絶対にあるわけ。だから私は裏を取らないまま、私なりの推理をしている。でも考えてみれば、なかなか面白い「事件」ですぞ。だってイエズス会士でありながら教会の最高位にある人、イエズス会の元総会長、そして原発被災地に住む、二人より三歳年下ながらしょぼくれた元イエズス会士、の三人が、世界平和のために暗黙の裡に手を取り合ったのですから。
 イエズス会の総会長は皮肉まじりに「黒い教皇」と言われてきた。つまり教皇の法衣が白であるのに、イエズス会総会長のそれは黒だから。つまり教会内でこれまでは隠然たる勢力を誇ってきたから。会士の略号はSJだが、日本ではそれをある時は「少ーし邪魔」、時には「すごーく邪魔」の略号と揶揄されることもある。
 しかし今回のことは、黒い陰謀の真逆で、真の世界平和・すべての人の真の幸福を願っての、真っ白な、そしてまったく純粋な気持ちが以心伝心に展開したものであることは間違いない。
 そして今晩のビッグ・ニュースは、小泉・細川元首相らの「原発ゼロ国民運動」の提唱である。いやー実にグッドタイミングです。フランシスコ教皇の「焼き場に立つ少年」を掲げての反核兵器運動とピタリ連動しました。
 最後に言わせてもらえれば、実は今回のことで一番言いたかったことは、単なる個人的な自慢話ではなく(少しはそうですが)、世界の片隅にひっそり暮らす孤老であっても、倦まず弛まず言い続けていれば、必ずいつか、どこか、でその結果が表れるということを知ってほしいということでした。ちょっと疲れました、今晩はこの辺で失礼。

※ 翌朝の大急ぎの追記
 ぐるりと一巡して、結局は右の談話室で阿部修義さんが指摘なさっていたことに落ち着いたようです。
 最初、それはちょっと深読みかな、と私自身思ったのですが、いつものことながら阿部さんの慧眼に感服。

https://monodialogos.com/archives/14396
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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裏の取れないスクープ への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     世界の人口の約六分の一の13億人がカトリックの信者であることを考えるとフランシスコ教皇が新年に託されたカードのメッセージの及ぼす影響は実に大きいと思います。そのメッセージの内容が先生の文章ということは素晴らしいことですし、偉大なことです。原発と核兵器は密接な関係にあり、世界平和への実現には、それらのものの全面撤廃が必須なことは世界中の心ある識者の間では常識になっていると思います。私は、郷間さんが言われていることが自然な解釈だと思います。教皇と先生はほぼ同世代であり、人格識見に関しても頗る共通するものがあると感じます。

  2. 守口 毅 のコメント:

    佐々木兄い殿
    新年早々、非常に楽しい推理を辿らせていただきました。なんと嬉しいことか!
    フランシスコ法王とニコラス神父と兄いが、ピッタリ繋がりました。
    兄い殿。今年はフランシスコ法王の来日があるやもしれぬ噂があり、南相馬ご訪問はないにしても、心のご準備はしておかれる必要がありますぞえ。

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