昨日も書いたように現在第15巻の製作と並行して、行路社版の私家版上下2冊を作っているところだが、その1の②の巻末に以下のように書いた。先ずそれをそのままご紹介する。
解説に代えて
行路社版には巻末に中村忠夫氏の「貞房さんともう一人の自我」が収載されていたが、この私家版では尊敬する大先輩・原誠先生の書評をご紹介させていただくことにした。実は本書については、平沼孝之さんの「佐々木孝さんと「生への逃亡者」のイストワール」(『青銅時代』第48号、二〇〇八年)と、立野正裕さんの書評(アマゾン、二〇一六年十一月七日付カストマーレビュー、)という本格的というか実に光栄至極な文章を頂いているが、前者は既に第二巻巻末に、後者は第十四巻本文中(「増上慢?」)でご披露済みなので、まだ読まれていない方は是非一度ご覧ください。では原先生の書評をご紹介しよう。
物事の本質を捉える
今の世の中に受け入れられるには余りにも正し過ぎる考え
原 誠
つくづく良い本が出たものだと思う。こういう良書を出版した大津市の「行路社」にまず敬意を表しておく。評者は生来のひねくれ者ゆえ、東京生まれ、東京在住でありながら関西のものを応援する癖があり、この機会に「行路社」を始め、評者の専門に関係深い書物をよく出版する「世界思想社」、「ミネルヴァ書房」、「ナカニシヤ出版」、「昭和堂」等の関西系の出版社に、東京のそれに負けぬよう頑張れとエールを送っておこう。
本書の標題「モノディアロゴス」は「独対話」とでも訳すべきスペイン語である。単なる独り言に止まらず、友人たちの目を意識した半ば公開の日記だと著者は言う。独自のジャンルである。それを一編千字という制約を自らに課して一年間にわたって二七一編書き綴った。しかもそれらを逐一自らのホームページに載せていった。なにせ彼は大変な読書家である。読書家であるだけではない。彼は小説家でもある。同人誌「青銅時代」のメンバーとして毎号寄稿を欠かさない。その知己には小川国夫、埴谷雄高、安岡章太郎がおり、島尾敏雄に至っては著者の従弟おじだとのことである。道理で彼の書く文章は天下一品である。例えば本書の二〇八ページ「葉桜」はなかなかの名文である。
読書家であり、小説家であるだけでも偉大であるのに、著者はその上に実に多芸多才であり、また多方面に関心を寄せている。このことを、著者の親友である中村忠夫は本書のテーマが「記憶論」、「バッパさんのこと」、「クッキーという癒し犬」、「原町市」、「スペイン断章」、「方言論」、「猫・猫・猫」、「交友録」という八つのキーワードから成るとして証拠立てている。中でもバッパさんこと著者の母親を始めとして、家族、親族、多数の友人、猫・犬に代表される動物に対する著者の深い愛情に評者はただただ頭を垂れるしかない。実に暖かい心の持ち主である。こういう暖かい心はどうやって育まれたのか。評者の考えでは著者が二十代の五年間を広島で修道士としての生活を送ったこと、その後大学へ戻って哲学を修めたことがとりわけ影響しているように思われる。だからこそ著者の大学遍歴の最後となった東京J大学で講じた「人間学」は大成功を収め、「人間学紀要」全8巻となって結実したのである。そこに収められた学生のレポート、全部ではないにしても、評者を「日本の若者も捨てたものでもないぞ」と唸らせるものがあった。指導教授が立派だからだ。
それだけに、一旦この暖かい心の持主を怒らせるとこれは大変なことになる。その攻撃の槍玉に挙がったのが、カトリックの組織、大学に代表される日本の教育、そして日本の政治である。カトリックの組織については著者は修道士としてその内部にいたのだからその批判は確かなものであろう。教育についても東京J大学を定年前で辞めて原町市に引っ込んでしまったことで彼の正義感がいかばかりのものであるか容易に想像がつく。またとない良き教師に「学校なんてなくても立派な人間になる(を育てる)ことができる」(四五頁)とまで喝破している。また自然破壊、環境問題、とくに原発の問題への関心も深い。それやこれやで、「一見のどかな田舎に生活していても、地球の行く末を思うとおちおち寝てもいられない」(七一頁)という結論的発言に落ち着く。
以上を要するに、物事の本質を余りにも素早く捉えることのできる著者の考えは、今の世の中に受け入れられるには余りにも正し過ぎるのである。こういう人はいきおい組織の外から冷静に、ある時は深い愛情をもって、またある時は軽侮の念をもってその組織を眺めるという視点しかとれなくなってしまう。それでもいいからぜひ飽かずしつこく意思表示をし続けてもらいたいものである。評者としては多くの人に本書の一読をすすめたい。
(スペイン語学・言語学)
(「読書新聞」、二〇〇四年十一月、第二七〇号)
実は原先生のことを少し心配していた。もしかして体調を崩されているのでは、と。毎回『モノディアロゴス』を作るたびに真っ先に先生にお届けすると、日を置かずして、先生から必ず便箋十枚近く(時にはそれを越える)長文の感想を書いてくださった。ところがこの数か月、先生からの音信が途絶えていたからである。
そして先ほど、思いがけなく奥様から以下のようなお手紙が届いた。先生を知っているできるだけ多くの人に先生の最後を知っていただくためにも、奥様の許しを得ないまま、以下そのままご紹介したい。明日にでもこのブログを全部コピーして、奥様にお手紙無断転記の件のお許しを求めつつ、先生のご霊前に捧げていただくつもりである。生前、終始変わらぬご厚誼を賜った大先輩・原誠先生に改めて深甚なる感謝の意と弔意を、まず先生に、そして奥様に届けたい。生前の先生の思い出を辿るうち自然とこみあげてくるものは、先生に可愛がられた後輩の惜別の涙としてご勘弁ください。
梅雨に入り、うっとうしい日々が続いて居ります。
先日はおはがきをいただきながら、お返事が遅くなり申し訳ございません。
実は夫・原 誠が二月十六日に急性心不全のため亡くなりました。突然の死がまだ信じられませんが…
夫は腰を痛め整形外科に通ってはおりましたが、元気で、前日まで練馬区から借りている区民農園に何を植え育てようかと話しておりました。
やりたい事がまだ沢山あったのでは、と思うと残念でなりませんが、命には限りがあるのだと痛感しています。
生前、何かとお世話になりましたこと、心から感謝申し上げます。
佐々木様御夫婦には、お元気にお過ごしになられますよう願っております。
かしこ
六月七日
原 万喜子
佐々木孝先生
美子様
ご存知とは思うが、先生のごく簡単な略歴を以下にコピーします。
「原 誠(はら まこと、1933年(昭和8年) 8月3日 – 2018年(平成30年) 2月16日)は、日本のスペイン語学者。東京外国語大学・拓殖大学名誉教授。 東京生まれ。1956年東京外国語大学スペイン語学科卒業。1964年マドリード・コンプルテンセ大学哲文学部大学院博士課程修了、文学博士、東京外国語大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、拓殖大学教授、2004年定年、名誉教授。」
先生の輝かしい業績はネット検索ですぐ出てきます。
かつての恩師であられた稲賀先生や神吉先生に対しての敬愛の情と同じものを原誠先生にも感じます。原先生の書評は、富士貞房と猫たちの部屋の中の「新しい人間学の地平」にあったので私も以前から知っていましたが、改めて拝読して、先生のご性格、人間性を熟知している人でなければ書けない内容だと思います。そういう先生の人間性が、「物事の本質を捉える」ことを可能にしているんだと私は思います。それは、翻って言えば、原先生も同質の人間性をお持ちなんでしょう。二つの選択肢があった時に、自分の便宜に最も適合する途でなく、最も愛に充ちた路を選択することを貫かれたから「物事の本質を捉える」ことができるんだと私は感じます。
阿部修義様
今始まったことではないのですが、阿部さんの記憶力に脱帽です。先ず第一に稲賀先生という字を見て、確かに過去に出会った人だということは分かりましたが、一瞬誰のことか思い出せなかったのです。そうです、広島の修練院でお世話になった広大の先生です。記憶力減退もいいところ、残された日々、努めて大事にしたい過去です。
第二に、昨日、原先生の書評をネットに載せていたことをすっかり忘れて、新聞のコピーを一字一字移したのです。知っていれば一瞬のうちに転記できたものを。
そんなことはどうでもいいのですが、稲賀先生のこと、忘却の海に沈めていた事実にショックを受けました。
阿部さん、どうも有難う。どうぞこれからも必要な時に私の記憶を補完してください。お願いします。
貞房先生
モノディアロゴスは16年続いています。これは、小学校に入学した児童が大学を卒業するのに費やす年月と同じです。この間に先生が執筆された文章を先生ご自身でも記憶に留めることは難しいと思います。モノディアロゴスを愛読している一読者として、私の記憶にある先生の文章でお力添えできることがあれば補完させていただきます。今日は東京も今年初めての真夏日でした。梅雨に入ったばかりで寒暖の差もあります。どうぞ、先生、美子奥様、そして、読者のみなさんもご体調には気をつけてください。ありがとうございます。
Soy alumno de máster de la Universitat de Barcelona y llegué a esta entrada de su blog buscando respuestas. Quería hablar con usted y el profesor Hara sobre mi proyecto de pronunciación de español para alumnos japoneses pero ya es demasiado tarde.
Que en paz descansen, profesor Sasaki y profesor Hara.
Estimado Juan:
Le agradezco sinceramente su pésame por la muerte de mi padre y el gran profesor Hara. Que lástima que ambos fallecieron el mismo año.
Espero que le salga bien, y despliegue gran actividad de su proyecto.
Jun Sasaki