相良倫子さんの詩にまつわる素晴らしい歴史を立野先生が今朝の私信で教えてくれました。私信ではありますが、いつもの通り許しを得ず皆様にも読んでいただければと、倫子さんの詩の後に全文そのまま引用させていただきます。
馬主の野嶋さんから君が24日(日)、函館競馬場でデビュー戦を飾るとの知らせを受けてどんなに嬉しかったことか。凾館競馬場に行ったことはないけど、君の雄姿をしきりに想像したものだ。実は結果がどうであったかは知らない。ネットで探索してそれらしきものを見たが、それが正確な記録かどうかすら知らない。ともかくそれによると新馬戦の第5レースで、君は4番人気、でも15頭走ったなかで君12着。それが本当なのかどうかは知らないけれど、もしもそれが正確な結果だとしても僕は全然がっかりしていないよ。だって誰だって初戦は緊張して実力が出せないもの。
でも私が君に期待しているのはレースで勝つことではない。君が高貴なサラブレッドの血を受けながら私と同じ十勝に生を受け、そこですくすくと育ち、勝ち負けに関係なく人々に勇気と希望を与える馬になってほしいと願うからだ。私は足の短い十勝馬だが君はすらりとしたサラブレッド、でも精神は、平和を願う気持ちは同じだよね。
もちろん野嶋さんのご希望通りに、君が次第に力を付けドバイなど海外の競馬場で華々しい結果を出すことを願ってはいる。でもそれ以上に願っているの成績よりも君が雄々しい立ち姿、その凛とした姿で人々に希望と勇気を与える競走馬になってくれることだ。だって君の名付け親ともいうべきスペインの大哲人ミゲル・デ・ウナムーノは「生きる」ことに心血を注いだた男、まさに「魂の叫び」の実践者なのだから。
そんな意味で先日の沖縄全戦没者追悼式で、浦添市立港川中学校3年の相良倫子さん(14)が朗読した詩の全文を君に捧げたい(沖縄県平和祈念資料館提供。表記は原文のまま)そして心の中で、沖縄にさらに北の大地を加えて、平和への祈りにしてほしい。
「生きる」
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、
宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。(2018/06/23-12:56)
★立野先生からの私信
きのう昼前に相良倫子さんの詩が全文引用されていることに気がつきました。
倫子さんのお母さんは明治大学文学部英文学専攻出身で、かつてのわたしの教え子です。
四年次になってから卒論のテーマがなかなか決まらず悩んでいた時期がありましたが、ある日、彼女の祖母が沖縄守備軍司令官牛島中将の理容担当を命じられ、その人となりをよく聞かされるというので、わたしはすぐさまこう言いました。
卒論のテーマはあなたの足元にあるではないか、きょうから長距離の電話でおばあさんから当時の経験や現在の思いを詳しく聞き取って、それを踏まえて戦後の孫の世代からの応答を書きなさい。それが、あなたならではの立派な論文になるはずだから、直接英文学に関わるかどうかなんてことは全然気にしなくてよろしい。
彼女の顔がぱっと輝いたのを忘れません。
もちろん、その晩から実家の祖母を電話口に座らせて、彼女は聞き書きを始めました。
こうして、まとめられた論文は、資料価値においても、アクチュアリティにおいても、明大英文始まって以来のユニークな性格を帯びることになりました。英文学の論文の要件を満たしていないという理由で、さして評判になりませんでしたが、わたしは別の考えでしたから、論文を大事に保管し、十年後にたまたま再会した際にそれを本人に示しました。
彼女の娘の倫子さんは母親譲りの努力家です。日ごろ沖縄の歴史だけでなく、さまざな事象にいだく知的好奇心は、母親も驚くほど旺盛とか。一昨日、一年ぶりに電話で母親とは話しました。
昨年わたしの最終講義に沖縄から駆けつけてくれましたが、その日のうちにとんぼ返りでしたから、倫子さんのこともじつはわたしは詳しく聞いていなかったのです。
今回の完璧なまでの詩の朗唱にも如実に表われていますが、孫から曾孫へと、非暴力主義と平和希求の決意は力強く、世代を越えて「炬火」は受け継がれています。頼もしい、と思いつつ、なんども録画した画面に見入っています。
立野正裕
モノディアロゴス君デビューおめでとうございます。デビュー戦は馬主の野嶋さんの期待に応えることができなかったようですね。残念でしたが次回の出走では挽回しましょう。『モノディアロゴス』の一読者として、君のことは、ずっと、ずっと応援しています。三年前他界されたサックス奏者井上淑彦さんの「ずっと・・・」を君に贈ります。(ユーチューブでも聞けます。)
相良倫子さんの詩を拝読して、その中の一節に阿波根昌鴻さんが生前言われていた聖書の言葉(剣をとる者はみな、剣で滅ぶ。)を思い出しました。阿波根さんの、戦争で亡くなられた沖縄の人たちの遺志が確かに引き継がれていると私は感じます。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。