内なる革命を!

昨日、スペイン語を話す子連れ狼が我が家にやってきた。もちろん小池一夫・小島剛夕(ごうせき)の『子連れ狼 (El lobo solitario y su cachorro)』スペイン語版のことである(Planeta Comic, 2016)。『新・子連れ狼』全11巻は、すでに三冊の合本となって我が家にあるが、それは拝一刀(狼一頭)が宿敵・柳生烈堂と死闘を繰り広げ、共に倒れ、最後に大五郎が槍で烈堂にとどめを刺す、いや正確に言えば烈堂が自らおのが腹に槍を突き刺すところから始まる。それではその前編、つまり「新」がつかない『子連れ狼』は、と探していると、スペイン語版があることに気付いた。前編かどうかはともかくとして、とりあえずそのうちの一冊、第19巻 “Verano rojo, otoño blanco(朱夏白秋)” を注文し、それが今日イギリスの取次店から送られてきたわけだ。
 現物を見るまでそれがいわゆる「前編」に属するものなのかどうか分からなかったが、作画が小島剛夕だし(つまり「新」では作画は森秀樹が引き継いでいる)、大五郎が「新」よりもっと小さく幼顔なので「前編」に違いない。しかしB6判422ページに「其之百二十九 光なき攻防」から「其之百三十四 誰が為に枯れる」までがぎっしり詰め込まれていて、しかもセリフのスペイン語の活字がやたら小さく、老眼には読みにくい。ともあれ前編全20巻のうちの第19巻であることは間違いない。
 これまで劇画とかコミックを読んだり買ったりすることはなく、我が「貞房文庫」には他に園山俊二の『ギャートルズ』しかなく、それも安藤昌益がらみで(高野澄『安藤昌益と【ギャートルズ】』)購入したはいいが、まだ読んでないと来ている。さて『子連れ狼』はどうしようか? 『新・子連れ狼』全11巻と前編のスペイン語版1巻だけで打ち止めにしようか? でも大五郎の顔を見ているうち誕生からチャンの死に至るまでの物語を知らないままでは何となく中途半端で……つまりは今日、前編全20巻を、それも例の破格値ではなくそれ相当の額のものをアマゾンに注文したわけ。
 一殺500両で殺しを請け負う刺客として「冥府魔道」の道を生きようとする子連れ狼にどうしてそれほど惹かれるのか、自分でも分からない。もうどこかで書いたように、橋幸夫の歌を聞いているうち、その不思議な親子の、不思議な絆というか愛の魅力に捉われたのか。いささかの躊躇と恥じらいを持って敢えて言わせてもらうなら、日ごろから原発・核兵器廃絶を手掛かりに真の平和を希求する者(この私でーす)が、これでも会津武士の末裔、ただの軟弱なサムライであってはならない、いざとなれば巨悪をぶっ潰すほどの胆力と膂力を持つべきでは、と心のどこかで思っているからかも知れない。
 そんな意味で、実はスペイン語版『子連れ狼』と同時に、宮本武蔵の『五輪の書』と山本常朝の『葉隠』のスペイン語版まで注文してしまったのだ。それぞれ El libro de los cinco anillosEl libro secreto de los samurais と題されている。もちろん両書の岩波文庫版は持ってはいるが、今までまともに読んだことはない。母上に振り仮名を振ってもらって子供の時にすでに『葉隠』を読破した執行草舟さんに負けてはならじと競争心を燃やしたわけではないが、正直いまそれを原著で読破する気力がなく、スペイン語訳を読みながら原著をたどってみようというずるい魂胆である。その上もしかすると、いやほぼ確実に両書ともコミック化されたものらしい。いいや、この際劇画からでもいい、武士道の真髄に触れるきっかけになれば。
 執行草舟さんは若いころ、木刀を引っ提げて池袋界隈で番長を張ったという武勇伝の持主だが、私・富士貞房はばっぱさんから譲り受けた台湾製の木刀を机の脇に立てかけてはいるが、そしていつか庭で素振りでもしようかと思いながら、今まで一度も実行したことがないと来ている。そんな私もいま運動しやすいズボン(トレーナーというんですか?)を穿いている。最近は着るものに全く頓着せず、二階の居間に積み重なっている衣服から適当に選んで着ているが、先日、このグレーのトレーナーの腿から足先まで大きな紫色の英字で Glorious Revolution と書かれているのに気付いた。例の「名誉革命」のことだろう、といささか誇らしい気持ちになったが、しかしなぜ女の子の(つまりこれは昔、美子が穿いていたもの)トレーナーに名誉革命が? と不思議になりネットで調べてみて分かった。つまりこれは松田聖子のCDジャケットのタイトルだった、と。美子が松田聖子のフアンだったとは知らなんだ。
 最後に少し真面目に。先ほどは言いそびれたが、拝一刀というより大五郎になぜ惹かれているか、それは例の「焼き場に立つ」少年の姿に大五郎を重ねているからである。そしてあの少年とほぼ同じ年ごろで敗戦、そして満州からの引き揚げを経験した孝少年(私でーす)も、今からでも遅くない、残された日々、満身創痍の皮膚炎になど負けずに(とりわけ今回の西の災害地の皆さんのことを考えたらそんなちっぽけなことで文句など言えたものではない)しっかり生き抜こうと密かに決意しているから、つまり聖子とは別の意味で(?)「内なる革命」を希っているからだ。密かに、などと言いながら最後に思わず大風呂敷を広げちゃいました、♫♪

 手塚先生ごめんなさい、超ミニコミック手塚治虫文庫200冊がありました。でもあまりにも小さいので、虫眼鏡を使わなければ読めず、まだ一冊もまともに読んでません。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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内なる革命を! への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     書棚に『葉隠』(編訳者 神子侃 昭和四十七年三月三十日 二十二刷 徳間書店)があったのを思い出しました。いつ購入したのかは忘れましたが読んだ記憶がほとんどなかったので、若い頃どこかの古本屋で購入したのでしょう。その中に、こんなことが書かれてありました。

     「覚悟薄き時は人に転ぜらるる事あり」

     表題の「内なる革命を!」を私は、この言葉と解釈しました。人生行路にはさまざまな苦難、不条理がいつあるかわかりませんが、あらゆることに「覚悟」できる自分になれるか。なかなか難しいことですが、いかなる困難にも主体性をもって事にあたることが大切です。先生の皮膚炎がなかなか治らないようで心配しています。そして、この異常な猛暑。異常な気象。先生、美子奥様、読者のみなさんもご体調には気をつけてください。

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