あと数日で満79歳つまり数えで80になるので、それを機会に(これまでだってそうだったと言われれば返す言葉もないが)いわば我が白鳥の歌の叙唱として、言いたいことを遠慮なくきっちり言ってから死にたいなどと勝手な理屈をつけて、いくつか実践し始めた。個人相手のことは何かと差し障りがあるので、組織相手のことを一つご報告しよう。
最後に勤めた大学のことだが、数日前、退職後初めて正式に(?)手紙を書いた。宛先として一応「教職員の皆様へ」としたが、私のことを覚えておられるかつての上司や同僚に向けた半ば公的な書簡である。現在は看護学科が増設され男子学生も入っているので女子大ではなくなっているが、その女子大時代に書いたいくつかの文書も同封して。たぶん、十中八九、梨のつぶてだろう。
はっきり言えばなんとも嫌味な、もらって決して嬉しくない書簡である。例えばいろんなことはあったにしても原発事故のあとお見舞いの言葉一つかけてもらえなかったことをちらっとをグチっているのもそうだが、中でも超弩級の嫌味というより置き土産は、、、
いやその前に言わなければならないのは、2002年、定年前に退職して一人母が住む南相馬に帰って来たが、それは在職中、短大から四大への改組転換の際に「貧すれば鈍する」級のすったもんだがあったときの教授会で、「理事長、あなたその責任を取って辞めなさい」など、ロッキード事件での田中首相の秘書官の妻・榎本美恵子級の爆弾発言(蜂の一刺し)をしたことで居ずらくなったわけではない。その後も大っきな顔をしていたが、そのうち自分の方でアホらしくなって自ら辞したわけだ。
話を元に戻すと、その置き土産とはある一つの標語、もっとはっきり言えば今もその大学のモットーとされている標語がなんと佐々木作だということである。先日話題にした例の「焼き場に立つ少年」の場合と似たことをやったわけである。つまり短大から四大への改組転換の際、大学の理念・あり方の再検討が一般教職員にも課題とされたとき、本気で立案したものの中にその標語があったわけだ。それ以外の提言は全てボツにされたが、不思議にその標語だけは生き残った。うがった見方をすれば、その後のどさくさの中でそれが佐々木作であることなんかすっかり忘れられてしまったんだろう。そうでなければ或る人たちにとってはいわばアポスタタ(背教者)同然の者の置き土産が大学のモットーになるはずもない。
さてこれからが表題にした「トロイの木馬」の意味である。ご存知のようにトロイの木馬とは、前13世紀のトロイア戦争で、ギリシャ軍がトロイア軍を攻略するため、兵をその中にひそませて敵の陣地に残した巨大な木馬だが、現在ではOSやアプリケーションのセキュリティ上の欠陥やバグ(間違い)を突き、一定期間潜伏してから発症するウイルスの呼称。でも私はそれほど底意地の悪い人間でもないし、それほどの恨みを抱いているわけでもない。
具体的に言おう。それはラテン語の Sapientia in Caritate Fundata(愛に根ざした真の知恵)である。どこかの大学のように真理(veritas)と愛(caritas)を並列の助詞「と」(et)で結ぶのではなく「根ざした(fundata)」と苦心して作った記憶がある。もちろん作者がだれであれ、この標語自体に価値があるし、その著作権など主張する気など毛頭ない。只願わくはこの標語を口にし目にされるとき、一瞬なりともかつての同僚のことを思い出していただければ他に言うことなし。
いやいやここまでしつこく書いた来たが、私には啄木の「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし」なんて気持ちなど微塵もないし、本音の本音を言うなら、私には美子の穏やかな笑顔が見れるなら、他のことはどうってこたあねえ、である。も一つ「おてもやん」の歌詞を借りるなら、「あとはどうなときゃあなろたい」といったところがまっこと我が心境である。
だったらこんなこと書くな、ってかー? いやごもっともごもっとも。そんじゃここらで退散とするか。ではお後がよろしいようで ♪♫
※大急ぎの追記
ここまで書いたのなら、いっそ当時書いた文章とその後の感想を全文紹介した方がよさそうだ。いつものように少し長いが、お時間のある時にでもゆっくり読んでいただきたい。
純心の人間教育
学生部長 佐々木 孝
「かくして私たちは、人間とは何よりもまず兄弟たちと歴史に対して責任を持つ者であるとする新しいヒューマニズム誕生の証人である」
(第二バチカン公会議「現代世界憲章」第五十五項)
このところ日本列島は「真理オウム教」問題で揺れにゆれている。一月の阪神・淡路大震災も、危機意識の麻痺した安全神話の中でぬくぬくと生きてきた日本人に、改めて地震国日本という現実を突きつけたが、しかしそれは人災的側面を残しつつも、結局は自然災害であるという限りにおいて、生き方そのものに対する内省の契機とはならなかった。だがその後に起こった地下鉄サリン事件など一連のオウム疑惑は、自分たちがまさに内部崩壊の危機にさらされている、「危機」は外ではなく「内」にあるのではないか、という深刻な反省を私たちに迫っている。
とりわけ真理オウム教信者と同世代の子や学生を持つ者にとって、事件は決して他人事ではない。オウムに惹かれていった青年たちの心情が明らかになるほどに、自分たちの子や学生にも一歩間違えば彼らと同じ運命が待ち受けていたかも知れない、と恐怖しない親や教師はおそらくひとりもいないであろう。ここ数年来、日本の大学は、設置基準の改正、十八歳人口の激減などなど、さまざまな問題を抱えて、自己点検、自己刷新が求められてきた。しかし正直言ってそれらは、時代の「外的」要請に応じての「対応」ではなかったか。カリキュラムや教育条件の整備、時代に即した運営や経営の再検討の根本になければならぬもの、それは「いったい自分たちはどのような人間教育をしようとしているのか」についての、ときには「痛みを伴う」自己点検、自己刷新ではなかったか。
ところで前述のようないわば時代の要請を契機として四大への改組転換を準備してきた純心にとって、それが大学教育のありかたを根本から見直す時期と重なったことをむしろ奇貨としなければなるまい。そして暫定的なものながら、すでに新大学の「教育理念」なるものも文章化された。すなわち「キリスト教ヒューマニズムを基盤に、国際化社会・地球一体化社会の真の平和と福祉に貢献しうる聡明で感性豊かな女性、人間と社会の新しいありかた、その真の幸福を求めて果敢に挑戦する創造性豊かな教養人の育成を目指します。《愛に根ざした真の知恵》(Sapientia in caritate fundata)これが私たちの教育・研究のモットーです」
純心の人間教育が何を目指しているかが、ほぼ正確に表現されているのではなかろうか。ただし「教養人」という言葉に戸惑う人がいるかも知れない。実はこれはラテン語では homo cultus(文化化・教養化された人間)に相当するが、「文化人」という今では手垢にまみれた表現を避けたという経緯がある。「文化・教養」という言葉がもともと持っていた意味、すなわち「たんなる学識や専門的技能を越えて、高邁な理想に向かっての精神的能力の全面的開発・陶冶」という意味の復権がこめられている。冒頭の「現代世界憲章」の言う homo universalis(ユニバーサルな人間)とほぼ同じ意味である。
さて教育理念は定まったとして、問題はそれをどのように実現していくかである。残された紙幅を考えて、以下いくつか箇条書きで提案を試みたい。
- 理事長・学長以下若い教職員に至るまで、学園という主の葡萄畑に集うすべての者が、働く喜びと深い相互理解・信頼の絆で結ばれていること(生活の模範なしに真の人間教育は不可能である)。
- キケロの言う「魂の耕作(cultura mentis)」のもっとも有効な手段である「ことば」と「歴史」が教育の根幹にあること(不戦決議ができないようなお粗末な歴史認識の持ち主に国を愛する心・国際化社会の未来を語る資格はない)。
- 同じキャンパスにある中高との密接な関係(推薦入試制度、効果的な語学教育の共同研究など)を通じて、純心ならではの一貫した人間教育を実践する。
- 長崎・鹿児島の姉妹校とも、教員の交流、学生の国内留学制度(単位互換制を含めて)を強力に推進する。
- 欧米に姉妹校を求めるだけでなく、発展途上国の(特にアジアの)大学(たとえばカトリック系女子大)とも提携する(発展途上国の姉妹たちとの友情・相互理解抜きで真の国際感覚は育たない)。
- 私大の発展、とりわけ今後いっそう重要性を増す「生涯学習」計画にとって、授業以外での人間関係・課外活動は重要である。現段階では組み込む余裕のなかった学生の福利厚生施設に関して、中・長期の計画を早急に立案することを提案したい。
以上
(なお本学教育理念の基盤たるキリスト教ヒューマニズムならびに開設予定の「キリスト教文化研究所」については『人間学紀要2』を参照していただければ幸いである)。
「えにしだ」第十一号、一九九五年(平成七年)七月十五日発行に掲載
【解説】
いま読み返して、まさに汗顔の至りである。つまり新しい大学造りを目指して昂揚した気分でこれを書いていた間も、一方では着々と佐々木降ろしが画策されていたことを知っているからである。具体的には同じキャンパス内にあった姉妹校や長崎・鹿児島の姉妹校との連携の提唱など、いわば《彼女たち》の縄張りに踏み込んだことへの反撥・警戒もあったろうが、それよりも時代の要請に即した新しいキリスト教ヒューマニズムの提唱が《彼女たち》の自己防衛本能を痛く脅かしてしまったのであろう。一切の予告無しの学生部長罷免、まさに生まれ出ようとしていた「キリスト教文化研究所」創設計画の白紙撤回(後に名称は同じながら内実はまったく別のものが作られた)などが矢継ぎ早に断行された。某キリスト教系大学の穏健だが実務的には無能な有名神父や、某国立大学のキリスト教極右教授の招聘などがその背景にあったわけである。
「教育理念」の中の「果敢に挑戦する」などの表現からも透けて見えるように草案を書いたのは主に私だが、その時にも、こんな大事なものを自分たちで作れずに端から他人任せにする経営者たちの神経を不思議に思っていたが、いざ文章化されたものを見て、さすがに空恐ろしくなったのであろう、いまに残っているものはなんとも無難な、気の抜けた文章に変わっている。ただ「愛に根ざした真の知恵」のラテン語 Sapientia in caritate fundata だけはそのままである。愛と知恵を「と」(et)で並列させるのではなく「根ざした」(in…fundata)と苦心して作ったことを思い出す。別に特許権・著作権を主張するつもりなどないので、今後ともどうぞご自由に使ってください。
(二〇一〇年一月二十八日付記)
文章を拝読して、『大学の中で考えたこと』と2003年4月6日「潰えた理想主義」を読み返していました。その中で先生はこう言われていました。
「まさに教育という場で理想が常に思い起こされ、追及されなかったら、いったいどこで理想が生き長らえようか。」
「愛に根ざした真の知恵」で「愛」と「知恵」を並列させないで「根ざした」とされたところは先生の見識の高さを私は感じます。しかし、「愛に根ざした」ということは、おそらく人生の挫折や苦難を何度も何度も経験し、そのたびに人生の失望や苦汁をなめた人が辿り着ける境地のように私は思います。そういうことの一つの原因になっている人間の生来のエゴや享楽欲はそう簡単には克服できるものではありません。「愛」は常に忍耐を必要とするものです。そして、エゴや享楽欲の対極にあるものではないでしょうか。「愛に根ざした真の知恵」はある意味では人間の理想なのかも知れません。しかし、そういう知恵から平和への礎が作られ、人間の本当の幸せが生まれると私は思います。