近況ご報告

3月にも皮膚炎のことを書いた記憶があり、確か題名は「ヨナ的悲嘆」。それで右の検索エンジンで探したが「見つかりません」という返事。そこでやっと気づく、そうヨナではなくヨブだわい、と。ヨナはクジラに呑まれた方。このようにここ数日、皮膚炎が悪化したせいか注意力が散漫になっている。クリニックの医者や総合病院の皮膚科の医者に処方してもらった薬が全く効かなくなった時から、この道の経験者のNさんからの勧めで、ずっとタンポポの根とヨモギの葉を発酵させた「ばんのう酵母くん」一筋で頑張ってきたが、悪くはならないが良くもならないという状態が続いていた。ところがこの数日間の気候変化のせいか少し悪化したので数日前市販の塗り薬を求めて塗ったのが裏目に出たらしい。
 こうなれば「治す」より「慣れる」で行くしかないとの決意を改めて固めている。もともとあったアレルギー体質に糖尿病の薬など複雑な要因が重なって治りが遅いのだろう。だから対症療法ではなく体質改善を考えるべきなのだろう。それで二週間ほど前から菊正宗酒造が作っている「米のしずく」というタブレットを一日3粒ずつ服用している。3粒の中に100億の乳酸菌が含まれていて、敏感肌に効くらしい。即効性がないだけでなく単なる気休めに終わる危険性無きにしも非ずだが、何もしないよりはまし、と半ば諦めの境地で毎朝噛んでいる。
 こういうわけでこのところブログ執筆は途切れてしまったが、でも個人レベル(?)では主に二人の方とかなりの頻度で意見交換をしてきた。その一つは、およそ一月前になるが、韓国の愛読者から実に感動的なメールをいただいたのが始まり。ソウル市近くの金浦市に奥様と二人で暮らす75歳のKさん、著者が一番言いたかったことを熟読の末に見事とらえての感動的なメール。Kさんは韓国語版の『原発禍を生きる』を読んで私のことを知ったわけだが、その時以来、それの日本語版やブログを読むためだけの目的で日本語の猛勉強をしてきたのだから、こんなありがたいと言うか勿体ない愛読者は他にはいない。彼の日本語に感心した私に向かって彼は二通目のメールでこう書いている。

「私の日本語の実力について、過賞をしてくれましたが、真実を申し上げますと全て翻訳機のおかげです. まだ翻訳の技術は完璧ではないので私が表現しようとする用語なのか、でなければ格式にふさわしい言葉かの単語の一つ一つを日本語辞書で確認をして修正しなければなりません. また、日本語ではどう表現するか確認するため、ヤフージャパンのサイトの辞書を検索したりします。外国語は語彙力が問題だが、一つを学ぶと小川を渡る前にすでに忘れてしまいます。」

 今の若い世代は漢字の勉強が自由選択だが、彼の世代は義務だったので日本語に近づきやすいらしいが、それにしても彼の短期間での上達ぶりには驚くほかはない。
 私より4歳若いが、震災後ハングルの勉強をしたいが無理と早々と諦めた私とは違って、彼は毎日楽しそうに日本語を勉強している。秘密プロジェクトのために必要だからと私と美子の足の寸法を図入りで聞いてきたのでどうしてかと不思議だったが、どうやら彼には日本語勉強以外のもう一つの趣味が毛糸を使っての編み物らしく、現在美子の靴下を編み始めたらしい。どうです、この優しい心遣い? ちょっと真似できません。
 それではこちらからは私家本を、と大昔の美子との往復書簡集『峠を越えて』を送ったら、彼こんなことを書いてきた。

「往復書簡[峠を越えて]を少しずつ読んでいますが爽やかな青春の恋の手紙がなんで胸が痛くなって来るのでしょうか。八木沢峠がどの辺なのかグーグルマップで検索をして見ました。」

 そしてグーグルマップで見つけたらしい我が家の写真まで送ってくれた。私自身グーグルマップを使ったことはないが、単なる航空写真だけではなく、地上からのこんな写真まで手に入るらしい。便利だが、少し怖い気もする。(右奥の二棟が我が家で、手前の旧棟が呑空庵で老夫婦が住み、もちろん内部は1階2階とも渡り廊下で繋がっている)。

 Kさん(たいていは彼の洗礼名ヨセフさん、私はフランシスコで呼び合っている)については、これからも時々ご紹介したいと思っている。
 思わず長いご紹介になったので、もう一人との密度の濃い往復メールについては、次回にしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

近況ご報告 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の皮膚炎が一日も早く治癒されるのを願っていますが、先生が、その苦痛に時間をかけて「慣れる」ことが大切と言われたことに私も共感しています。私も忘れもしない2012年3月11日、まさに震災の年のちょうど1年後に腰の椎間板ヘルニアになり、まる二年間歩行が厳しい状態が続き三年目ごろから歩行訓練が可能になり、今でも左足がしびれていますが普通に生活できるようになりました。手術も考えましたが、私の判断で痛み止めを服用しながら自然治癒の方向でやったことを先生の「慣れる」という言葉からその頃のことを思い出しました。おそらく読者のみなさんもそういう経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。春が来なければ桜の花も咲かないように体の支障も時間をかけて待つ心を持つことも大切なのでしょう。文章を拝読して韓国の愛読者のKさんのお話に感動し、『原発禍を生きる』の中の「カルペ・ディエム(この日を楽しめ!)」の最後の五行の私の好きな先生の文章を思い出しました。

     

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