19. 33年ぶりの帰郷(2004年)


33年ぶりの帰郷


  三年前までは、まさか原町に戻って来ようとは夢にも思っていなかった。原町でひとり暮らしをしている老母のことは気にはなっていたが、八王子で買い求めた(ローンで)家を終の棲家と思い定め、勤め先としては三番目のその女子大で定年まで勤め、定年後は、やり残した研究や執筆をのんびり続けるつもりだった。
 もちろん少子化の波がいずれ押し寄せてくることは覚悟していたが、これほどまでとは思っていなかったのである。「貧すれば鈍する」という言葉がある。どこの大学でも例外なく、建学の精神とか教育の理想などはどこかに吹っ飛んでしまい、看板をぬりかえ外壁に迷彩を施すことで志願者激減をなんとか食い止めようと躍起になっている。もう少し若ければまた別な考え方もあったろうが、そこまでして教師を続けることがとつぜん馬鹿らしくなったのだ。
 結論から言えば、原町に戻ってきて大正解であった。他人からは(実の母親からしてそうだが)尾羽打ち枯らしての都落ちと見えるであろうが、本人としてはまったくその逆で、これでようやく人間らしい生活ができる、今までできなかったことを思い切りできると、むしろ精神的にはこれまで以上に充実している。それには田舎暮らしを見越して立ち上げたホームページが大いに助けになった。つい最近も、インターネットを通じて知り合った地元の高校生たち(もちろん原高生もいる)と「インターネット新時代の可能性を存分に生かしつつ自分たちの住む郷土を、夢を育み希望をかなえる環境にすることを目的とする」メディオス・クラブなるものも創った。外見には孫ほどの年齢の若者たちと一緒になにやら楽しげな老人一人と見えるかも知れないが、当人としては再びめぐってきた青春(それはちと大袈裟だが)を満喫しているのである。皆さんも一緒にやりませんか。


『原高同窓会 会報』、第36号、2004年3月1日