ラテン語の復権
最近はすっかり関心が十五・六世紀あたりに移ってしまって、現代スペインの動向にはほとんど興味がなくなってしまった。したがって(けっして自慢できる話ではないが)スペインの新聞や雑誌に目を通すことからも遠ざかっている。そんな私だが、毎月スペイン大使館から送られてくる公報紙『エスパーニャ』だけは努めて読むよ、にしている。これは十六ページほどの小さな新聞で、スペインの政治、経済、文化などの動きが実に要領良くまとめられていて、私のような怠け者にはすこぶる便利な情報源である。ところでその最新号にちょっと面白い記事が載っていた。それは、昨年度ノーベル文学賞を受賞した小説家カミロ・ホセ・セラの代表作で、わが国でも最近その翻訳が出版された(有本紀明訳、講談社)『パスクアル・ドゥアルテの家族』のラテン語訳(対訳)がまもなく出版されるであろうという記事である。作者はこれに大きな期待を寄せている、との短いコメントも付いていた。だれが(作者?)どのような意図でラテン語訳を企てたのか、そして作者はどうしてこれに大きな期待を寄せているのか、詳しいことはまったく分からない。それでこれは私の勝手な想像なのだが、もしかするとセラ氏は、二年後のEC統合などに象徴される最近のヨーロッパ統合の期待を、この翻訳に重ね合わせているのではないか、ということである(彼は、ストックホルムでの受賞演説で強烈なスペイン語礼賛をぶってはいるが)。
そんなことを考えるのも、私自身このところ変にラテン語づいているからであろうか。EC統合が実現され一九九二年はまた新大陸発見五〇〇周年記念の年であり、現在世界各地でその再評価の機運が急だが、ある出版社の依頼で、私もフランシスコ・デ・ビトリアの『インディオについての特別講義』を訳すことになったからである。ご承知のようにビトリアは、新世界問題に多大の貢献をしたサラマンカ学派の重鎮で、フーゴ・グロチウスなどより約一世紀も前に国際法の骨格を作った人である。ところでその翻訳だが、初めのうちは無難に、現在考えられるかぎりもっとも信用のおけるスペイン語訳からの翻訳を考えていた。
だが、最近そのスペイン語訳の改訳が出されるなど、肝心のスペイン語訳も揺れ動いている。それならいっそのことラテン語から直接訳してみよう、などと無謀な考えに取りつかれてしまったのが事の始まり。ところがラテン語を勉強したのはもう二十五年以上も前の話である。文法的な知識はすっかりサビついてしまっていて頼りにならない。こんなことなら、学生時代スコラ哲学の勉強にもっと身を入れておけばよかったのに、と嘆いてみても詮無い話。それでもよくしたもので、四種類ほどのスペイン語訳を側において、たどたどしく読んでいくうちに、徐々に勘のようなものが戻ってきた。
しかし文法的な知識は戻ってきたが、ラテン語のむつかしさはいよいよ増してきている。つまりラテン語は近代諸語に比べてはるかに奥が深いのである。それはビトリアの場合でも、ラテン語文に比べてスペイン語の訳文が量的に多いことでも分かる。言語学的にどう説明がつくのかは分からないが、もともと箴言や格言に適した言語なのだろう。それにラテン語文を読むことは、喩えとして適切かどうかは別として、ちょうどトランプの「神経衰弱」というゲームをやるときと似ている。先にめくったカードの数字を次々に覚え込み、それを頭の中で組み合わせていかないと、けっきょく何も分からないことになってしまう。作家の埴谷雄高氏が、かつて夜昼逆の生活の中で(現在もそうかも知れないが)、起床時の半覚半唾の頭脳を整えるために、枕もとのラテン語辞書に載っている箴言を呪文のように唱えたというのもうなずける。
この点に関して、今年の初めに出たトマス・アクィナスの『真理論』(哲学書房)の訳者花井一典氏が、実にうがった指摘をしている。「……ラテン語は元来が語彙数の少ない言語であるが、それは言い換えれば一語一語の含蓄量がそれだけ多く、多彩な内容に対するに簡にして要を得た表現に富むということでもある(この点、たとえば「計」量」「度」「図」のいずれにも「はかる」の訓を充てて事足りる和語の伝統を思えばよい)」。花井氏はこの後、「それぞれの文脈に応じた細かなニュアンスが同じ術語から惨み出る仕組みになっている」ラテン語を、「言い了せて何かある」蕪門の言語観と比較しているが、最近、作家真鍋呉夫氏のご指導で連句を始めたばかりの私には、身に沈みて分かる比較である。
ところで冒頭に挙げたセラ氏の期待のことだが、近世以降、各国ナショナリズムの猛威のもとに消滅してしまった感のあるヨーロッパの文化的統一体が、最近ふたたび意識され始めてきたのではないか、そしてその統一体の靱帯であったラテン語にふたたびある種の期待が寄せられているのではないか、ということである。このところ必要があってスペインの人文学者ルイス・ビーベスの書簡集を読んでいるが、エラスムスやトマス・モア、ビュデなどの「ヨーロッパ人」たちが、情報化時代と言われる現代よりもはるかに親密な関心と情報の中でたがいに切磋琢磨していたことに不思議な感動を覚えている。ラティニスタとしての知的・精神的結びつきの強さではなかったか、と思うのである。
「言語」、一九九〇年六月号