天 職
佐々木孝(原高10回)
清泉女子大学助教授
原稿を求められて急に、およそ十七年ほど前にも、原高新聞に大学生活の報告をしたことを思い出した。そのときの新聞が手もとにないので、何を書いたのかさっぱり記憶にない。おそらくは専攻していたスペイン語学習の楽しさを披露したものであったろう。その当時、自分が将来スペイン語の教師になるなどとは夢想だにしなかったはずだ。人生はどう転ぶか分からない。
専門は一応スペイン思想ということになっている。ウナムーノやオルテガなど現代思想の研究が主で、昨年は講談社現代新書から『ドン・キホーテの哲学――ウナムーノの思想と生涯』なる愚作を出版した。勤務する清泉女子大学でも、講読などのほかに、「スペイン思想」と銘打つ講座を二つ持つというぜいたくを許してもらっている。
しかし七年前、原町で生まれた男女の双生児に対していつになっても「いい父親」でないのと同様、いまだに「教師」としての自分にしっくりしていない。教師を天職だと達観したこともない。三十七歳にもなって情けないことだとは思うが、すべてに対して「素人ばなれ」ができないでいる。
九年ほど前(過去を振り返ってばかりで申し訳ないが)、今はやりの言葉で言えば自己のアイデンティティを求めて、原町定住を決意したことがあったが、それは一年半ほどで挫折したこともある。ふるさとの喪失あるいはふるさとからの離反。すべての禍根はここにあるのか。
だが生きるとは絶えず自己を求めての旅である以上、この彷徨も致し方ないのではないかとも考える。政治家然とした政治家、教師然とした教師はお見事だが、また嫌味でもある。真の自己を求めての試行錯誤こそが、結果的に見て、いちばん人間らしい生き方、まさに「天職」なのかも分からない、などと自らを慰めている。
(「原高同窓会会報」、昭和52年3月1日)