訳者あとがき
「あとがき」を書こうとして、はて、いったいいつからビトリアの翻訳を始めたのだろう、と考えてみたがどうもはっきりしない。日記を調べてみて驚いた。八九年夏からである。漠然と一昨年あたりからかな、と思っていたのに、まる四年かかった勘定になる。本アンソロジーの他の訳者諸氏にくらべて、ずいぶん時間的に余裕があったわけだが、それにしてはそれを効果的に使わず、再校ゲラを目の前にした今になってもまだ自信がない。もともとこの企画には途中から、それも自分から志願して参加したのに、なんとも面目ない話である。
ところで、特にビトリアをやらせてほしいと願い出たのは、それなりの理由があったからである。かいつまんで言うと次のようになる。ウナムーノやオルテガなど現代思想家の作品を読むことからスペイン思想史研究を始めた訳者の前に、かなり以前からスペイン黄金世紀が大きく立ちはだかっていた。つまり現代スペイン思想を理解するためにも、いちど黄金世紀に戻ってみなければならないのではないか、と思いはじめたのである。そうした問題意識が芽生えたについては、アメリコ・カストロの著作が影響した。とりわけ興味をおぼえたのは、改宗者(特にユダヤ系)の血を引く知識人の問題である。なかでも、サンタ・テレサ・デ・ヘススやサン・フワン・デ・ラ・クルスなどの神秘思想、そしてエラスムスなどの強い影響下に出発しながらも独特の思想を展開したスペイン人文主義の重要性である。つまり十六世紀という「葛藤の時代」(A・カストロの言葉)にあって、ユダヤ系改宗者の血を引く知識人が、根こぎの体験の中でいったい何を考え、どう世界を再構築しようとしていたのか、という問題である。神秘思想研究の方は遅々として進んでいないが、人文思想の方はそれでもここ四、五年、ルイス・ビーベス(一四九二-一五四〇)を中心に少しずつではあるが動きはじめている。本アンソロジー企画の話を聞いて、ぜひビトリアを、と申し出たのは、彼もまたこうした改宗者の血を引く一人であり、いつかは真正面から取り組んでみたい思想家の一人だったからにほかならない。
したがって今さら断わるまでもないが、訳者は歴史学や法学(具体的にはローマ法、教会法、国際法)そして神学には、ずぶの素人であり、さらには、いわゆる「インディアス(新世界)問題」に関しても(これについての関心は以前からあるにはあったが)、事情はさして変わらないということである。ビトリアの作品翻訳に名乗りを上げたことは、個人的動機はどうであれ、無謀な挑戦としか言いようがない。しかし、できばえについては自信がないという先の言葉とは矛盾するが、もしもこの翻訳にわずかでもメリットがあるとすれば、それはまさに前述のような素人の視点、少し格好をつければ精神史的・人間学的視点から対象に近づいたことにあるのかも知れない。つまり訳者はひたすら人間ビトリアの肉声を聞こうとして彼の作品に近づいたのである。四半世紀以上も前に勉強したままのラテン語の知識を総動員して、あえてラテン語原文からの訳出を決断したのもそのためである。しかしご覧のとおり、ここに訳出されたものは形式的には肉声からほど遠い講義録である。それも彼の直筆の文章ではない。訳者はないものねだりをしたのであろうか。
いやそうとばかりは言い切れないのではないか。彼の肉声は、この一見無味乾燥な文章群からもじゅうぶん聞き取れるのではないか、と今では思っている。できるだけ感情を押さえて客観的・論理的に話を進めようとしているのに、ときに露呈する「揺れ」(自己矛盾)、ときに発せられる叫びとも祈りともつかぬ嗟嘆の声がそれである。ビトリアの思想、その人となりは実に複雑だ。ラス・カサスとくらべてみると、その特徴がはっきり現れてくる。つまり、新世界を実地に体験してから聖職の道に入り、修道士となったのはさらに後になってからというラス・カサスが、ある意味で伝統からふっきれた位相に自らを位置づけることができたのに対し、ビトリアの方はまだ少年といってもいい年齢で(生年を一四九二年とすれば)修道院に入り(ラス・カサスの場合と同じく、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのドミニコ会)、格式と伝統にがんじがらめになった聖職者集団、学者集団の中で生涯苦闘することになる。したがって彼の思想、その人となりは、ラス・カサスにくらべればはるかに屈折しており複雑なのだ。
ビトリアの場合、ユダヤ系知識人が強いられた根こぎの体験、おのが存在の根基が揺らぐ体験、あるいはアイデンティティ喪失の危機の中で、物事をその根本から見直すという視座を獲得しながらも、現実の総体が持ついかんともしがたい重さ、理想主義をもついには蚕食する腐食性の現実というものをいやというほど知り尽くしていたのである。「解説」で指摘されている「インディオについて」の第二章と第三章(ともに第一部)とのあいだの矛盾も、彼のそうした複雑な人間性に由来すると言っても過言ではあるまい。
そして時代は葛藤の時代から、まもなく閉塞の時代へと移行しようとしていた(一五五八年の外国図書の輸入禁止、翌年の外国留学に対する厳しい制限などはそのほんの序曲にすぎない)。ビトリアが高く掲げた万民法(国際法)の理想も、やがてヨーロッパ各地に台頭してくるナショナリズムや覇権主義の中に埋没せざるをえないであろう。彼はそれをも予見していたのであろうか(それにしても驚異的なのは、ラス・カサスの時代認識が持つ射程距離のとてつもない長さである。ビトリアと同じく、ほぼまちがいなくユダヤ系改宗者の血筋に連なる彼は、いったいどこからそのような未来からの視座、「末期の目」を獲得したのであろう)。
ところで「解説」を読み「訳者あとがき」をここまで読んでくださった読者はすでにお気づきであろうが、実は本巻の「解説」は訳者が書いたものではない。楽屋話めいて恐縮だが、一度ビトリア解釈をめぐって大航海時代叢書編集部の石原保徳氏と本音で議論したことがあり、そのとき、訳者の構想するビトリア像はいまだ明確な像を結ぶ段階にはいたっておらず、万が一、現段階でなにがしかのビトリア像がまとまるとしても、本アンソロジーの全体構想とのあいだに不協和音を奏でるだけという事実が痛いほど分かった。それで氏に解説執筆を委託したのである。その「解説」原稿を読んだいま、氏に一任してほんとうに良かった、と思っている。解説の解説、あるいはたんなる仲間誉めと思われるかも知れないが、ビトリア思想が内包する問題点が実に明快に解説されている。そして「インディアス問題」の真の解決のためには、ビトリアとラス・カサスとの対決が必須であり、両者もまたそれを望んでいるのではないか、という結びの言葉は、実に大胆な指摘であり、訳者の知るかぎり、これまでだれも正面切って言わなかった言葉である。しかし氏もとんでもない課題を自らに背負わせたものだと思う。なぜならそれは、従来の歴史的枠組みをはみ出す、あるいはそれを根底からくがえす作業にならざるをえないからである。考えてみれば、訳者の目指しているものもそれと似たような性格を持っている。つまり残された史料を読みながら、そこに書きたくても書けなかったこと、あるいは本人がいまだ自覚していなかったことを「読む」作業だからである(事実、サンタ・テレサにしろビーベスにしろ、あるいはビトリアにしろ、おのれの血筋についてはいっさい黙して語らなかった)。ともかく訳者としては氏の提言に刺激されて、人文主義思想、神秘思想の考察をさらに進め、その線上で改めてビトリア論に挑戦しようという気になっている。実は前述の氏との話し合いでの結論も、いつか必ず、両者独自の視点から、インディアス問題を本格的に議論しよう、という互いに対する挑戦であったことを、いま改めて確認している。
さて、「訳者あとがき」としては異例の長さとなってしまったが、本訳書が成るに当たってお世話になった方々に一言お礼を言わずに巻を閉じることはできない。編集部の石原氏や他の訳者諸氏らの終始一貫したご助力は今さら言うまでもないが、貴重なビトリア関係書を貸してくださった常葉学園大学助教授でかつての同僚、村山光子氏、アルコス神父宛書簡に関する疑問に懇切に答えてくださった聖イグナチオ教会のミゲル・メンディサーバル神父、法学者の立場から貴重な助言を惜しまれなかった上智大学教授のホセ・ヨンパルト神父には、この場を借りてとくに感謝の気持ちをお伝えしたい。
一九九三年八月二十五日
佐々木孝