28. 平和菌の増殖・拡散に向けて (2016年)

 

平和菌の増殖・拡散に向けて

佐々木 孝

 いま現在撒布済み926、手持ち247。この数字は数か月前から作り続けている豆本『平和菌の歌・他二曲歌詞集 富士貞房』の冊数である。縦7センチ、横4センチ、わずか24ページのものだが、本格的(?)な布表紙になっていて、ちょっと見にはお守り然とした豆本。この形にしたのは簡単には捨てられないためである。収録歌詞は三篇、すなわち「麦と兵隊」の替え歌「原発難民行進曲」、「カルペ・ディエム!(その日を楽しめ!)」、そして「平和菌の歌」(曲・菅祥久)。
 初めはほんの冗談のつもりで始めたことだが、やっているうち本気になってきた。でもいつ「平和菌」を思いついたのかは、はや忘却の海に消え去りそうだが、こんなときに役立つのは二〇〇二年、定年前に職を辞して母一人住む南相馬に、妻と病犬一匹、元外猫四匹と戻ってきて以来書き続けてきたブログ『モノディアロゴス』である。それによると「平和菌」という言葉は、その翌年の二月十六日、そのころ澎湃として広がった反戦の機運の中で、デモにも運動にも参加できない忸怩たる思いの中で、いわば一種の開き直りから生まれたことが分かる。

 「でも正直に言おう、ペンはけっして剣より強くはないのだ、と。…しかしながら、それでもなお、したたかさにおいて拮抗する可能性はある。そして時限爆弾のように思いもかけぬときに、思いもかけぬ場所で、自ずと発火点に達して爆発し、それからは燎原の火のように一気にその力を発揮することもないわけではない。あるいは炭疽菌のように、便箋や古い書物の黄ばんだページの隅にじっと〈その時〉を待つこともある。この〈平和菌〉は、デモ参加者や活動家が疲れて眠っている時も、その増殖活動をやめることがない。自己嫌悪や無力感や、それでも消えない希望や期待から滲み出る〈平和菌〉は、いじいじしていて、断定口調で話すことはめったにない。いや、ないと言ってもいい。ウナムーノじゃないが、〈平和、平和、平和〉(スペイン語ではパス、パス、パス) と蛙のように連呼することの空しさを知っているからだ。
 だから演台の上から〈平和菌〉をばら撒くより、さり気なく挨拶と用件の間にまぎれ込ませた方が効果的かも知れない。相手の目を見ながら正面切って渡すより、眼はあらぬ方を見ながら、すれ違いざま相手の胸元にすとんと落としてやる方がいいかも知れない。
 要は、ラマーズ式呼吸法を習得しようとする妊婦のように、〈平和菌〉をひり出すための呼吸法を忍耐強く、不退転の決意で日々実践することである」

 炭疽菌などという物騒な例を出したり、挙句の果てにラマーズ法まで持ち出すなど苦し紛れで滑稽だが、しかしこのとき「平和菌」そのものがいかなるものかについて明確に意識していたわけではない。そして「平和菌」があの謎の生物「ケセランパサラン」と一気に結びついたのもまったくの偶然だった。原発事故被災の翌年の二月、つまり「平和菌」発見(?)から九年目の二月十四日の夜、ふと思い出した作家真鍋呉夫氏の秀句「春深くケセランパサラン増殖す」に触発されてネットをいろいろ検索していたときである。これも当時のモノディアロゴスにこう記録されていた。

「そんな説明やら記事を読んで床に入ったものだから、私の頭蓋の中の〈妄想中枢〉がいたく刺激されて、おおむねこんな風な夢物語ができあがった。すなわちこのケセランパサランこそが私の常々言ってきた〈平和菌〉である…中略…これはかつてスペイン人バテレン(神父)から伝わった言葉 Qué serán, pasarán であり、意味は〈どうなるだろう? まっ、なるようになるだろう〉である。つまり事態はどう考えても終末論的・悲劇的様相を示しているが、しかし運を天に任せて、今できることを〈しっかりまじめにやる〉しかないのでは、という意味。その時のバテレンやキリシタンたちの願いが気化し、それがやがて空中で結晶して綿毛のような形となって四方に飛んでいった。それが世に言う〈ケセランパサラン〉の正体」

 以上で「平和菌」誕生の次第は説明できたが、しかし一番大事なその増殖法と効能については全く触れてこなかった。改めて考えみると、この「平和菌」は、もうすぐ喜寿を迎える私のものの見方、大げさに言えば私の全哲学・世界観の結晶体とも言えそうだが、でもそう言ってしまえば身も蓋もないので、努めて客観的に(?)次のように説明してみよう。
 平和菌を増殖するには、とりあえずだれもが首肯できる次の三つの要諦を機会あるごとに思い出し確認すること。

  1. 魂の重心を常に低く保つこと

    日本はいま地に足がつかぬままの漂流状態(一億総ドリフターズ化)にある。個人は言うに及ばず、政界、マスコミ、そして悲しいことに教育界までもが浮足立っている。震災後わが家を訪れた二人のスペイン人、小説家J・J・ミリャス氏そして造形画家J・M・シシリア氏は、日本をそれぞれ「はるか向こうの国」「アクシデントの国」と診断した。つまりエッセンス(本質)を失ったアクシデント(事件=偶有性)の国、アリスの不思議な国のように現実性が希薄な国という意味である。
     名匠・小津安二郎が描いた戦後の貧しい日本人がなぜあのように美しく気品があったか、いや少なくともそう見えたか。それは彼がカメラマンに三脚の脚を切らせてローアングルで撮ったからだ。いずれにせよ重心を低くすることによってたやすくは流されず、事の実相が見えてくることは確実である。


  2. すべての事象を「生成の状態」に戻して見つめ直すこと

    つまりすべてものには始まりがあり、そして終わりがあるという冷厳な事実を確認することである。例えば近代国家はたかだかここ数世紀の過渡的なもの、このままの形で永遠に続くはずもない。もちろん領土問題などいくら国際司法裁判所に訴え出ても、いつを起点にするかで全く異なる裁定が下るはずだ。なのに日本だけでなく世界中の国々は従来からの時代遅れの国家像から抜け出せないまま愚かな紛争を繰り返している。


  3. すべての事象をそれ本来の正しい遠近法に引き据えること

    とりわけ常に等身大であるべき人間を絶対に数字や記号に還元してはならない。いまの教育は児童・生徒をひたすら成績という数字に収斂させ、そして行政は市民を御しやすいナンバーにしようとしている。言うまでもなく戦争とはまさに相手国を、かつての「鬼畜米英」のようにただただ憎悪の対象に、そして人間を点(標的)にまで極小化すること以外の何物でもない。

 以上三つの要諦を肝に銘じていると、見かけ倒しの権威や政治的判断が、ものの見事に相対化され、その正体を現してくる。いまだ原発事故の収束からほど遠いのに、老朽化した原発の再稼働や原発輸出を推進したり、平和日本の命綱である憲法の改悪まで図る政治家たちの姿勢がいかに愚かで危険であるかがはっきり見えてくる。ただそうした事態に対して、精神衛生のためには怒るだけでなく、ときには笑い飛ばすことも必要となる。だから、テレビで執務室に向かう総理の姿が映ると、「気取ってっと、ほれ、けっつまずくぞー」と相馬弁でヤジることにしている。どうしても彼がカッコマンにしか見えないからだ。
 ともあれ原発事故や紛争のニュースのすぐ後に株式市況が続くのは、考えてみれば実に奇妙で異様なことなのだ。こうした仕組みが当たり前と思っているとしたら、すでに「近代」という病に侵されていると自覚しなければならない。だってそうでしょ、いまや(それもここ数世紀のこと)世界は幸福や平和を希う心ではなく、別の心(投機心)で動いてるんですぞ。
 だから現代同様に大混乱の時代だったルネッサンス期ユマニストたちに倣ってこう覚悟したい。

確かに世界は狂っている。でもそれが当たり前だとは決して思うまい。


(渋沢栄一記念財団機関誌「青淵」第811号掲載)


平和菌の増殖・拡散に向けて 佐々木孝(スペイン思想研究家)渋沢栄一記念財団機関誌「青淵」第811号