6. 周辺の周辺は中央である(1984年)



周辺の周辺は中央である



 世の中には「それを言ってしまえばオシマイ」ということが多々あるようだ。たとえば学校教育に関しては、「人間形成にとって学校教育はあまたある手段の中で相対的に有効な手段の一つであるが、それ以上でも以下でもない」というのがそれである。たしかにそれを言うだけでは何事も始まらないだろう。それはオシマイというより物事のどんづまりであり絶対零度の地点である。しかも生きることは何事かを為し続けることであるから、人間はその絶対零度の地点を絶えず越え出て行かねばならない。かくしてさまざまな人間的営為が、そしてその蓄積が行なわれる。
 しかし人間的営為の蓄積は際限なく自己増殖を続け、いつしか人間は道を失う。たとえば学問に関して言うなら、十八世紀フランスの百科全書派のように、時おり人間知識の系統図を作り直さなければならないであろうが、果して現在それが可能かどうか。たとえて言うなら、現状はボール箱いっぱいのジグソー・パズルのピースが床一面にばらまかれたようなものではないのか。そしてそれらが意味ある全体を形づくる保証はどこにもない。もともとそれらに全体への見通しがあったわけではないからである。
 それにそうした学問分野の再編成などという大仕事は、すでに不揃いかつ無秩序に広がっった大都市の区画整理のようなもので、思わぬところで命脈そのものを切断してしまう恐れがある。むしろそれより、再度お粗末な喩えで恐縮だが、かくし絵パズルに対する態度の方が有効であろう。「この絵には木の繁みと一頭の鹿が描かれています。しかし実は一人の狩人がこの鹿を鉄砲で狙っているのです。さてどこに狩人が隠れているでしょう」。このときわれわれは通常の見方を捨てて別のまったく新しい「視点」を取らなければならない。重要なのはかくし絵を見る「私の」視点なのだ。
 およそ人間にかかわることで、「私」抜きに、もっと正確に言うなら、「私の生」抜きに起こるものはない。オルテガも言うように、「あるものの認識が充分かつ根本的であるためには、われわれの生という、そのあるものが登場し、姿を現わし、湧き出し、突出する場所、つまりそれが存在する世界の内部に、その位置と方法とを正確に見定めななければならない」からである。
 そのような「私の生」、つまり絶対零度の地点、にいかに立脚できるであろうか。ところで私自身、ここ数年来呪文のように唱えてきた一つの言葉がある。それは現代韓国の詩人金芝河が、三島由起夫の自刃に抗議して書いた「アジュッカリ〔植物のヒマ〕神風」の冒頭の言葉である。

  どうってこたあねえよ
  朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
  かっぱらっていった鉄の器を溶かして
  鍛えあげた日本刀さ

 この「どうってこたあねえ」は実に強烈で、伝統的な日本文化のいくつかは見事に相対化される、というより絶対零度の地点にたたきつけられる。もともと文化というものは、人問の生のすべてではなく、その「安定の一瞬(契機)」(オルテガ)にすぎないのだ。 たとえば比較文化あるいは比較文明といっても、この絶対零度への絶えざる往還がなされなければ、人間の生の上澄みの比較に、そして文明のブランド指向、大文明偏重主義にたやすく陥ってしまう。金芝河の言葉は日本文化に対する呪詛にも聞こえるが、しかし不当にも周辺に位置せざるを得なかった文化圏に属する人間の、ぎりぎりの自己定位の試みと取るべきであろう。
 ところで筆者は、近代の廃嫡された長子ともいうべきスペインにこだわり続けてきた者の一人だが、ここ数年来、ヨーロッパ文化の周辺に位置するスペイン文化の、さらにその周辺部に注目せざるを得なくなってきている。それは国外追放か改宗かを迫られ、いわば存在の根基を奪われて、絶対零度の地点に立たざるを得なかった十六世紀ユダヤ系知識人の系譜である。たとえば、近代スペイン語文法の基礎を固めたネブリハ、新大陸の征服者たちを激しく糾弾したラス・カサス、国外で活躍せざるを得なかった人文学者ルイス・ビーべス、そして国内にとどまったルイス・デ・レオン、国際法の輪郭を作ったビトリア、血液循環の発見と三位一体説論駁で有名なセルベット、トレント公会議で活躍したイエズス会第二代総会長ライネス、スペイン神秘思想の最高峰サンタ・テレサ、そして黄金世紀最大の文学者セルバンテス等々である。彼らが黄金世紀、ひいてはスペイン近代の思想的骨格を作り上げた人々であることは一目瞭然である(周辺部が逆転して中央に変わる興味深い例である)。もちろん彼らが出自の負い目をいかに現実と対処させたかには大きな個人差がある。しかし特にA・カストロ(一八八五-一九七二)などの研究によって次第に明らかになってきたのは、彼らの営為がその深いところで改宗者の血筋を発条としていることである。といってもそれは原因ではなく、動機と理解すべきではあるが。
 興味深いのは、彼らが差別される側、あるいは周辺に位置せざるを得ないことから、逆に現実の全体像が見えていたことである。生命以外に失うものがない地点、「どうってこたあねえ」絶対零度の地点に立つことによって、矢うものを多く持っている人間(旧キリスト教徒)の見えないものが見えていたということであろう。A・カストロにしても、こうした視点にたどり着くには、彼自身のデラシネ体験、すなわち亡命体験が大きく与っていたことはまちがいない。私としても、彼らの生をたどることによって、たんに近代スペインの謎と問題性を明らかにするだけでなく、私自身の生にいかに立脚するかの手がかりをつかめるのではないか、と期待している。

「山本新研究」、第六号
一九八四年十月五日