7. 転生 (1978年)



転 生


 
 教室の中が急に暗くなった。黒板の字を判読しようと眼をこらしてみるが、眼底にしぶい痛みを覚え、そのうち黒坂全体が濃い緑色にぼやけ出し、白いチョークで画かれた字がその中に沈んでゆくようだ。大事な試験の最中だと言うのにこれでは答えられないではないか、と眼尻のあたりにきな臭い怒りがぽっと拡がったが、そのうちだれか電燈をつけることを試験官に申し入れるだろうと思い直した。しばらく待ったがだれも手をあげようとしない。問題全部をあらかじめ答案用紙に写し取ったからその必要がないのか。でもだれか自分と同じようにひとつずつ写し取ってから解答に向かっている者がいるはずだ。だのにだれも手をあげようとはしない。みな申し合わせたように前屈みになって黙々と鉛筆を動かしている。気がついてくれないかな、と試験官の方を伸び上がるようにして見てみたが、前の時間の答案を採点しているのか、これもやはり頭を下げていて、こちらを見ようともしない。
 生温かい湿気った風がカーテンを大きくふくらませ、それからもれた風が答案用紙をめくろうとする。風はプールサイドでいつも感じる生臭い匂いを運んでくる。植物の腐った匂いだ。この匂いの中では脳髄がふやけてしまう、と思い、息を止めてみたが、水中にもぐったときよりも息が続きそうでない。皮膚のあらゆる穴から匂いが滲み入ってくるようで、防ごうとする内部の意志が一ヵ所に集まってくれない感じだ。風の中には抹茶のようなものが混じっているのかも知れない。そう言えば、風は緑色に見えてくる。
 その風に吹き飛ばされないように両手で答案用紙を押さえているが、掌ののらないところが風を受けてめくり返り、ちょっとでも手を離せば、ばたばたと音を立てて飛んでいきそうだ。なるたけ吸気の回数を少なくしようと努めながら、同時に紙が吹き飛ばされないよう心くばりするうち、周囲がざわつき、一仕事終えたときの安堵の咳払いが聞こえ出した。余す時間はもう殆んどないのかも知れない。やはり思い切って問題を聞くべきだと思い、
  「先生、暗くて問題が見えないんですが」と叫んだが、教室一杯に響き渡った自分の声がいかにも弁解じみて聞こえ、いさぎよく試験を捨てた方が男らしかったのに、と後悔の念が胸をしめつけた。でも先生はこちらを驚いたような顔で見たかと思うと、身軽に席を立って近づいてくる。
 「どれどれ、何番の問題かね」
 「いや、それが分らないのですが、たしか三番までやったはずです」
と答え、のせていた両手をのけて答案用紙を見てみたが、そこにはなにも書かれていない。いや正確に言えば、机の木目を上からなぞった跡があるが、字らしきものはなにも書かれていないのだ。先ほど意識を集めようと努めたときの疲労感が頭蓋のどこかに残っており、鉛筆を動かした後のだるさが手首に残っているのに、眼の前の答案用紙は白紙同然の形で風にはためいている。あわてて弁解の言葉を口にのせようと顔をあげたら、試験官のあわれむような眼がそこにあった。
  「いいよいいよ、なんとか都合をつけるから」試験官は鷹揚に私の肩をたたいて、そんなことを言う。わっと恥しさがこみあげ、なんとか自分の理由も聞いてもらおうと口を開けたが、うまく言葉にまとまらない。ああ、ああ、とどもっているうちに、試験官はふいと教壇の方に帰ってしまった。このまま出してもどうにもならず、いっそのこと用紙を捨ててしまおうかとも考えたが、その後の画策も浮かばない。これが学年末の試験で最後の機会であることを思い出し、この際でたらめでもなんとか字を並べようと紙に向かったが、いったいなんの科目だったかそれさえ分っていないのだ。
 そのとき、どきりとするような大きな音で終業のベルが鳴った。ベルを取り付けた板がぶるぶるとふるえる音も聞こえ、それが胸の底にまで嫌な振動を伝えてよこした。後からだれかが答案用紙を集めているらしく、手渡す際のなげやりなあきらめの言葉がざわざわと波のように聞こえ、私はだんだんとにがいものが胃のあたりににじみ出てくるのを感じていた。

 いつ寝入ってしまったのだろう。右腕のしびれるような痛みで眼がさめた。机につっぷして眠っていたらしく、右腕がへんな具合にねじれている。教室の中には人影がなく、どこか遠いところで遊んでいる生徒たちの声が聞こえてくる。生徒たち、などと思ってしまったが、自分も彼らと同じ生徒に違いないのに、どうして彼らとこのような隔絶を感じているのか。でも、爪先立って無理に騒ぎまわったり、友情というぐらぐらする土台の上で虚勢をはったことなど、なぜかはるか昔のことのように感じられる。こんな虚脱感はいつものことで、体を少し動かすうちに自然と消えてしまうものだと思い、立ち上がって窓の方に向かった。たてつけの悪い窓枠を開けてみると、いつの間にか雨が降り出したらしく、吹きこんでくる風には雨しぶきが混じっている。先ほどの生臭さはなく、ソーダ水の気泡のような、舌にひりりとくるような一種の爽快味があった。
 校庭を隔てた向かいの講堂から、時おりわーっという生徒たちの歓声が聞こえ、彼らの上気した顔と血走った眼が見えてくるようだ。今から彼らに混じっても気分がのりそうでなく、また不体裁に調子を合わせるときの汗ばむような気づまりも思いやられ、このままここに居ようと思った。どうせ今日の授業は終わったのだろうし、ああして遊んでいるのも、雨が止むまでの中途半端ななれ合いの遊びなのだ。
 うっそうと葉を繁らせた欅の木の下だけは、まだぽくぽくと白く乾いた土が見られる。それが風に捲き上がるときの喉をつめるような息苦しさがふと思い出され、いっそ木の下も漏れてかたまればいいのだ、と思った。しかし、土埃と雨がぶつかり混じり合うときのきな臭いような、いがらっぽいような気配もいやなものだ。
 そのうち、雨足が太く早くなり、それにつれて風も強くなった。一面に平均して降っているというのではなく、ところどころに雨の板のようなものがあり、それがあちこちと揺れ動く感じだ。それが今、強い風でさらに揺れが激しくなり、刷毛ではくように、ざっ、ざっ、と音を立てて動いた。   
 校庭のところどころに大きな水溜りがいくつもでき、雨滴に打たれている水面は、鈍い光の中でまるで融けた鉛の池のように見える。校門前の黒い板塀がばかに大きくふくらんで見え、その前を時おりトラックやら自転車に乗った人やらが水しぶきをあげて、しかし緩慢なスピードで通り過ぎた。
 そのとき、びたびたとゴム草履の音が背後に聞こえ、振り返ると、ぴっちりと黒い詰め襟服を着たMが入ってくるところだ。彼はたしか小学校の時の同級生だったのに、どうして今までそれと気づかなかったのだろう。だが、昔のおもかげは、もしそうと思って見なければ識別できそうもない程度にしか残っておらず、いまMだと気づいたのも、時間を吸いとられてしまったような静寂の中で、ふと気配のようなものに導かれてのことであったに違いない。だがMだと思って見てみれば、昔のMの輪郭がそっくりそのまま拡大された形で目の前に立っているとも思える。昔ひそかに彼のことをお月さんと呼んだ記憶が浮かび上がってきたが、それは彼の丸い顔、いや顔の造作だけでなく、全体の雰囲気がお月さんという盛じだったからだ。あれはなんのときだったか、Mが級友のだれかの側に近づき、変な具合に下腹部をすり寄せたのを目聾したが、そのときもお月さんという自分のつけたあだ名が、いかにも適切だと思い、同時にいやな感じを持ったのだ。変にねちねちしたものが拳止のふしぶしに現われ、面と向かって話しているときでも、話しながら手足を熱っぽくからませてくるような感じがあった。そのMがいま自分の前に立っている。やはり年月を一挙に跳び越えたときの壊しきがこみあげてきて、思わず、やあ、と声をかけた。するとMはうっすらと毛がはえた口もとをほころばせて笑いかけてきた。その笑い顔にはなんとも言えぬ魅力があふれ、昔抱いた嫌悪の念はまったくの筋違いから出たものかと思いそうになったが、近づいてくる感じの中には、やはりあのねちねちした熱っぽさが感じられる。それで軽くいなす具合に後ろに下がったが、二人の間にできた突然の空白にMは気づいたらしく、泳ぐような恰好でふらふらと立ち止まると、みるみる勢いをなくしていくようだ。それまで身のまわりに渦巻いていた熱気が冷却して、急にしおれていくのが見えたと思った。こういう熱っぽさをうまく処理して、はじめて人間関係は成り立つのかも知れないのに、俺はまた潔癖に身を引いた、と惜しいような気もしたが、しかしあの熱っぽさにはどうしてもついて行けない。   
 Mは受けた打撃から立ち直ろうと努めるふうに、下を向いたが、もしかすると泣いているのかも知れない。急に彼があわれになり、なんとか慰めてやろうと近づいたとたん、Mはつと顔をあげると、
 「あっ忘れてた。君を呼んでこいと言われてたんだ」
と言う。そこには先ほどのしおれた調子など微塵もなく、相手がまいったかのように感じたのはまたもや思いすごしかと思ったくらいだ。自分だったらとてもこのように素直であることはできない、などと思うと、自分のいじけた思考形態が色褪せたうとましいものに 感じられ、眼のまわりが熱くなって四囲がにごって見えてくる。それまでこちらの方がシーソーゲームに勝っていたのに、相手の急激な方向転換によってこちらの重量が減り、ふわふわと体が空中に持ち上げられたかのようだ。腹のあたりに力を入れて踏みとどまろうとするが、みるまに体が浮き上がってゆく。Mはそんな私を、それみたことか、といった顔で眺めている。
 「それで、いったいなんの用なの?」
と、つくろうように問いかけると、Mは、
 「とにかくみんなの集まってるところに行こう」
と言う。そう言うとMは後ろも見ないですたすたと歩き出した。このまま黙ってついて行くのもためらわれたが、かと言ってMの言葉を無視してこのままひとり留まっているエネルギーは私にはない。それで私は、Mの体が通った後の空気の流れに引きこまれるようにして歩き出した。
 廊下の窓がところどころ開いているらしく、時おり横なぐりに雨が吹き込み、その度に首すじから冷たいものが流れ下りた。ああこのままでは風邪を引くなと思うのだが、どうしてか立ち止まって首すじを拭くこともできず、ぞくぞくとはい上がってくる悪寒にからだの節々がきしるように痛んできた。前を行くMは、こんなしめっぽい天気なのに、襟の高い学生服をぴっちりと着こんでいる。よく見ると、カラーは黄色く変色し、服地も汗のためか油じみた不潔な色をしている。汗でねちねちした首すじがセルロイドと触れ合うときの、あの歯のうずくような感じに、いったいMは平気なのだろうか。世間に向かうには、やはり彼のように油っぽくふるまい、少しぐらいの不快に耐えなければならないのだろうか。Mはすでにそのメカニズムに通暁したらしい。それなのに俺は、まだまだ自分の内部でつまらぬ堂々めぐりをしている。 
 校舎と講堂を結ぶ渡り廊下を通るとき、なに気なく横を見ると、花の落ちた躑躅の木が一本、雨に濡れ、その油ぎった葉が雨まじりの風に揺れ動いていた。鈍い色があたりを覆い、その中で雨樋を流れ落ちる水の音だけが異様に高く響いた。
 講堂に入ってみると、後ろ半分に敷きつめた畳の上に、十人位ずつのかたまりが五つほどある。柔道部が専用に使う場所なのに、いったいなんの相談で集まっているのか。もしかするとこのことについて掲示が出されていたのかも知れない。しかしなぜ全員に徹底するような連絡方法をとらないのか。そう考えるとどこにもはけ口のない憤懣を覚えたが、しかし負い目はすべて自分にある、という気持がかぶさってきて、足もともおほつかなくなってくる。
 Mは私をいちばん手前のグループに押しこむようにした後、自分はさっさと他のグループの方に行ってしまった。私は今自分が割りこんだグループの中に見知った顔はないかと眺めまわしたが、薄暗い光の中では顔の輪郭がはっきりしない。しかし次第に眼がなれてくるにつれて、周囲に見なれた友の顔をいくつか認めることができた。だが自分が不意に入ってきたことで、今まで築かれていた論理的緊張に水がさされたのかも知れない、しばらく沈黙が続いた。しばらく待つうち、やっとひとりが咳払いして話し始めた。声の調子からしてそれがFだと分ったが、しかし彼の発言のしかたは、なにか枠組の中にがんじがらめにされている、といった感じがあって、聞いているうちにその内容の方はいつの間にか消えてしまって、枠組だけがむやみに押し出てきて、人の神経を逆なでするようなところがある。その枠から一歩外に出てこなければ、しょせんわれわれとは無縁ではないのか。
 Fの周囲にいる何人かも、私と同じように感じているらしく、時おりの咳払いや、膝を神経質にゆするその動きからもそう判断される。それなのにFはそんなことに一向気づく様子もなく、だらだらと自説を展開している。内気なためにかえって周囲の反応が分らないのかとも思われるが、すべてを承知した上でのふてぶてしさと取りたいという気持に傾きがちだ。話し方も、天井の一点をじっと見つめていたり、かと思うと床の方をかがみ込むような恰好で凝視してみたりで、聞いている相手の顔などチラとも見ないのである。そこには槌子でも動かないという執拗さがあり自信があって、結局こういうぎこちなさが歯車の目をひとつひとつ確実に回してゆくのかも知れない。それに比べれば、自分なんか周囲に気が散ってしまって、ひとつことに注意を集中することができず、また、その時にしせみ出てくる腋の下の汗の感触に耐えられないで、すぐ手を離して立ち上がってしまう。「……さん、あなたはこれについてどう思いますか?」
 ぼんやりそんなことを考えていると、Kから突然名指しで質問された。どうやらKは司
会をつとめているらしい。とっさのことで返事が出てこないが、なにか気のきいた意見を求めているらしく、つまりKもFの幼稚さに業を煮やして、ビシリととどめをさすような意見を求めているらしく、それが私の自尊心をなでさすった感じだが、話の進行具合をまだつかんでいない私に、そんな気のきいた意見が出せるはずがない。でもどんなときにも適用する切り札はあるもので、私はこんなふうに答えてみることにした。
 「そうですね、Fさんの意見はもっともだと思います。いや正論すぎるほどの正論です。これについては文句のつけようがありませんと思います。でも(初めにほめて、それからおもむろに、でも、か、これはいや味だな)ちょっとばかり情勢判断に狂いがあると思うんです。本を読んで考えたり、机の上で想像したりしてぼくたちが持つ考えは、もし論理的に狂いがなければまことに正しい考えになるわけですが、現実はそうきっぱりと割り切れるもんじゃないと思います。それにぼくたちは二言めには本質、本質って言いますが、現実は本質だけで成り立っているのではなく、実は…:(本質の対立概念はなんだったろう、エセンツィア、アクチデンツィア、日本語ではなんて言ったろう?)些細なこと(これでいいだろう)からも成り立っているのであり、いや些細なことの方がはるかに割合として多いんじゃないかと思います」
 周囲の首の動きや肩の動きで、私は自分の意見がわりと好意をもって受け入れられていることを確かめた。さあこの調子でさらに一押し、Fの意見にも具体的にからませた意見を、と気負い立ったが、なぜだか急に雨のことが気になりだした。講堂は天井が高いはずなのに、瓦をたたく雨の音が執拗に意識の中に割りこんできたのだ。そうなると漠然と雨の音などというものではなく、耳の側でドラム罐を乱打するような音に闇こえて、今から話そうと思っていたことをすっかり忘れてしまった。室内も気のせいかさらに暗くなってきて、みんなの顔かたちもふたたび簿明の中に溶けこみ、土偶が雨にうたれて転がっているような感じだ。こんな感じをいつか持ったことがあるな、だから大丈夫だなどと気を落ちつかせようとするが、下からはい上ってくる寒気も手伝ってか、どうにもこのままじっと坐っていることができそうにない。床板が黒光りしているのがいやに眼につき、ずいぶんと垢がしみこんでいるのだろうなどと努めて日常的な次元にひきすえて考えてみようとするが、もの本来の無気味さが露骨に出てきたようで、言いようのない恐怖が先に立つ。雨の音が主になって、自分などはすっかり片隅に追いやられ、ひたすらそのご気嫌をとらなければならぬような強迫観念めいたものすら湧き上がってくる。

 なにか決定的な線を踏みこえたなと感じながら歩いていた。先ほどの雨は嘘のようにあがってしまって、遠くの山脈が青い空を背景にその稜線を鮮明にきわ立たせているのが、すぐ側のように見える。空気もなんとなく暖かさを加え、すみれの匂いがどこからかただよってくるようだ。もう日暮れに近い時刻なのに、今まで追いやられていた一日の光と熱がこれを最後とばかり一度に放出されたような感じだ。どこかの工場の立てる蒸気の音が物悲しく聞こえ、それがどこまでもどこまでも大気の中を平らにすべって行く。
 どういう道筋をとってここまで来たのか、気がついてみると土手の上を歩いていたのだ。絵具箱から取り出したばかりのような土色のところどころに、雨に打たれた草の群がまるで溺死した女の髪のようになでつけられている。朴歯に土がはさまるのか、糠の中を歩くくようなとりとめもない感触があったが、それでも確実に前に進んでいるらしい。振り返ってみると、かなり下の方に見なれた校舎が寄りそって見え、校庭には掃除のためかあちらこちらに散在した人の姿が見える。それらがまるが豆粒か蟻のように見え、なんとも言えぬ悲しい思いが湧いてきた。いや、悲しみはそのせいなのだろうか。
 あのとき、先生の眼がきらきら光る眼鏡にさえぎられてはっきり見えなかったことが、今になって急に気になってきた。笑っていたのだろうか泣いていたのだろうか。あるいはただふつうに見ていたのだろうか。私の願いを無下にことわることができないという当惑の感じは、からだ全体から受ける印象には確かにあった。親しさの中にある一本の棘。こういうことになるとは、はっきりとではないにしても確かに私は予測していたはずだ。
 それにしても、許可を願い出るのが自分だけだったとは意外であった。ちょうどいちどきに堤が切れて水が氾濫するように、自分の後からどっと許可を求める人が出てくると思っていたのに。そうなったときの自分の当惑を思って、願い出る人の数がほどほどのものであることをどんなに自分は望んでいたことか。それなのに自分だけだったのだ。白い大きな紙を前にして、みんな書きたがっているなと思って、ひょいと筆を走らせたのに、だれも続くものがなく、自分の書いた筆の跡がやけに黒々とみんなの前にさらされた感じだ。Fはもちろんとどまると思っていたが、Kは自分と同じように踏み切ると思っていた。だのに彼はいつものように雑巾バケツを提げて講堂の方に行った。まるでそうするのが当然、といった確かさがあり、世間という白い堅固な壁が急に立ちはだかった感じだ。自分ひとりが抜け出たおかげで、みんなの中に親しい結束の意志が忽然と湧いてきて、その渦の中から自分だけがはじき出されたという無念さが残った。廊下を通りしなに聞いたさまざまな音の中にも、日常の確かさが感じられ、抜け出て行く自分の姿がいやに影うすく思えた。
 それにしても私の行く手はなぜこんなに薄暗いのだろう。後ろの方はあんなに明るく晴れわたっているのに、前方はまだ雨雲が空一面を覆っていて、今にも一雨来そうな空模様だ。ただ、近くに迫っている山腹だけは後方の光に照らされて明るく見え、中腹にある番小屋がクリスマス用の馬小屋のように、おとぎ話めいた感じでへばりついている。後方、つまりそちらが西手に当たっているのだが、の空をゆっくり雲が横切っているらしく、その影が前方の山腹を這うように移動してゆく。土手はどこまでも真直ぐのびており、感じでは山と山との間も、高さを変えず真直ぐのびているようだ。しかし川らしきものは見当たらない。レールのように自分の行く手がはっきりしていることに安心が持てたが、また同時にそのためにかえってとりとめのない感じがあった。つまり曲り角や坂道などで適宜に節やけじめをつけられることがなく、ただ意固地になってつき進む感じなのだ。それに、どこまでのびているのか皆目見当のつけようがないことが無気味だ。
 前方に気をとられていて、足もとを忘れていたのが悪かった。あっと思うまもなく、右足を窪みにつっこんでしまったようだ。あわててからだのバランスをとって転ぶのだけはまぬがれたが、そこに無理な筋肉の収縮があって、不快な感じがからだに残った。その不快さはまた、考えの方にも惨みこんできて、白く濁ったものが頭の中に拡がってゆく。きちんきちんと整理しながら考えを重ねてゆくことができず、もうどうでもいいんだ、という投げやりな考えだけがふくらんでくる。いや不逞なと言った方が正確かも知れない。あのとき、自分に納得が行くような障害が現われず、空を撃つような手ごたえのなさが今になって妙に腹立たしくなってきた。踏み越えたとき、ずしりとくる重量感が欲しかった。これでは後々のことがかえって心配になってくるではないか。
 彼らは学校で夜を明かすのかも知れない。そんなふうな雰囲気があった。きわめて日常的な色彩の中に、急に強いアクセントをもった色が浮かび出て、それが固定してもはや後にもどれないといった感じがあった。どこからあのような強靭な意志を手に入れたのか、分からない。自分にはあれ以上、学校にとどまっていることができない理由があると思われたし、事実それを口に出して言ったらしいが、しかしなにがなんでも帰らなければならないという形のはっきりせぬ、しかしこぶし大の塊が胸の中をごろごろ転げまわり、それで急いで理由という枠組で格好を整えたとも言えそうだ。そして、一旦こうとこちらの意志をかためてしまえば、その前に障害をもうけるものなどなにもないということもはっきり分っていた。だからこそなかなか踏み切れなかったのだが。 
 行く手がいよいよ暗くなってくる。しかし同時に後方がいよいよ明るくなってくる。時おりの雷鳴のほか、今やなんの物音もしない。ふわっとした暖かい風が、からだにまとわりつくようにして吹きすぎて行く。
  十メートルほど先にキラキラ光る円盤状のものがあり、それが下まぶたに喰いこんでくるような感じで、先ほどから気になってしかたがない。あたりのものの輪郭がぼやけて、それだけがいやに刺激的にうつるものだから、それは変に浮き上がって見え、事実そこにあるのか、それともまぶたの中でゆらめく幻影なのか分らない。気になって少し歩を速めて近づいてゆくと、なんのことはない、ただの水溜りである。上からのぞきこむと、明暗二色にきちんと分かれた空の色が映っており、その中を一匹のアメンボウが泳いでいる。からだのわりに長くて大きな脚を器用に動かして一匹のアメンボウが気楽そうに泳いでいるのだ。それを見ているうちに胸の中に暖かいものがこみ上げてきて、今までの切羽つまった気持がなだめられてゆくようだ。なぜあのようにやみくもに抜け出ようとしたのか、そして今どこに行こうとあせっているのか、どうしてひとつところにじっとこらえることができないのか、そうした自虐的な思いが次第に肉をそぎ落とされ、油気を失って、しゃりしゃりした一本の糸にまとまってきたようなのだ。もしかするとアメンボウは、自分の胸のうちから吹き落とされたそのような考えの化身かも知れない。なんと気楽な遊泳。たまらなくなって私はしゃがみこみ、生温かい水の中に人差指を突っ込んだ。不意の闖入者に驚いて、アメンボウはすいと身をよけた。逃げなくてもいいんだよ、ぼくはなにもお前をとって食べようなんて思ってないんだから。しきりにそんなことを呟きながらゆっくり指を近づけて行く、もう少しというところでまたもやすいと逃げてしまう。 
 後頭部をじりじり陽光に焼かれるときの感じがあり、ふり返ると、先ほどの夕焼けに近かった空が、今は正午近くの空に変っている。のどかな宙づりの時間、すべてのものに猶予が与えられてしかるべきというような寛容の時間にもどっている。さわやかな風が襟もとや袖をくすぐりながら過ぎてゆく。もう一度水の面に視線をもどしたら、あめ色のアメンボウは小さな二つの眼で私を見ている。はたしてアメンボウに眼などあったか知らん、と思うのだが、確かに温和な二つの眼がこちらをうかがっている。しかし見つめられている、ということに対してこちらの意識は別にけば立つことがない。そればかりか、かつてなかったほどのくつろいだ気持がからだ中に滲みわたり、意識が焦燥にかられて先走ることなく、時の目盛りのひとつひとつに具合よく噛み合う快よい手応えがあった。私の影が水溜りに落ちて、その上を涼しい風が渡って行く。アメンボウは吹き抜ける風に体が浮き上がりそうになるのを、くすぐったそうにこらえている。この恵みの状態がいつまで続くか覚束ないが、今は先を急ぐことなく落着けばいいのだと自分に言いきかせ、私はゆっくりと指をアメンボウに近づけていった。



『青銅時代』第十二号、昭和四十三年