9. 修道院生活と文學體驗 (1967年)


修道院生活と文學體驗



 一年ほど前、私は『あけぼの』という小さな雑誌に、遠藤周作氏の『沈黙』について短い文章を書いた。いま手もとにないのでどういうことを書いたかくわしくは覚えていないが、とにかく結末近くの、特に転んだ後のロドリゴのとった態度になにかふっきれないものを感じ、それを指摘したところで文章を閉じたと思う。つまりあの結末では、ロドリーゴが背教の苦悩にのたうちまわりながらも、いつか聖者の姿に変貌するのか、あるいは単に自己の弱さの上に居直ってしまうのか、その点がはっきりしないというようなことを書いたのである。もちろん、主人公の救済いかんというような問題は、作品の中で解決のつくような問題でないし、また解決をつけるべき問題でもないだろう。しかし、私としてはロドリゴにどうしても救われてもらいたかったのである。
 とにかく、私は『沈黙』をいろいろと複雑なきもちで読み、その複雑なきもちが収拾できないままにあの文章を書いたのである。今から考えると、あれは批評なんてものではなく、単なる感想の域を出なかったように思われる。しかし、それにはそれなりの理由があったわけで、その一つは、今までただの一行さえ小説なんて書いたことがないのに、いつの日かバテレンについて書いてみようと思っていたことである。ただ私の場合、遠藤氏と違って最後まで信仰を守り通して穴吊りの刑で殉教したぺドロ・粕井について書けたら書きたいと思っていた。だから、遠藤氏が転んだ方のフェレイラやロドリゴについて書いたのを読んだ時、自分の中にかくれ潜んでいたらしい防衛本能のようなものが見透かされたような気がしないでもなかったのである。このことは、第二の理由につながる。つまり、私もまた、あのフェレイラやロドリゴのようにジェズイットであるということだ。もっとも、私がたとえばフランスの「百科全書」派のおかげで有名になったジェズイットだったら、問題はもっと簡単だったかも知れない。なにしろ彼らによれば、ジェズイットは陰険で詭弁家だそうだから。(今私の手もとにある研究社の英和辞典をひいてみたら、第二の意味としてやはりそう書いてあった。)ところが、幸か不幸か、どうも私はそちらの系譜にしては少し間が抜けており、詭弁家にしては少し論理的でないのである。まあ、あえて言うなら、ロドリゴの系譜につながっているのかも知れない。
 『沈黙』を読みながら、わが事のように興奮し、ロドリゴが転んだあたりでは、自分が転んでしまったかのように後めたい気持になったのも、うべなるかなである。だから、どうしでもロドリゴに救われてほしいのである。それで二、三の批評家の言葉に、ロドリゴは本物の信仰を持っていないのではないか、とあった時、自分の不信仰をとがめられたようにドキッとしたのである。
 ところで、私が単なる文学愛好者に留まっているなら、別に問題は起こらないのだが、この哀れなロドリゴの末裔は、おのれの分際もわきまえず批評めいたものをチョコチョコ書きはじめたのだから、話はさらに複雑になってしまうのである。もっともこれはここ二年来のことで、それまではいとも模範的な修道者だったのである。修道院に入ってから二年ほどは、それまで持っていた文学への関心などはさらりと捨てて新しい人間に生まれ変わったと思っていてた。つまり《古き自我》は死んだと思っていたのである。ところがどうしてどうして、この古き自我はなかなか死ななかったようである。三年目の夏に、たまたま手にした『島尾敏雄作品集』を読んでいるうちに、このもう一人の「私」がモックリ起き出してきたのである。それまでただ惰眠をむさぼっていただけらしいのだ。それでも初めのうちはこちらも警戒して、時々おっかなびっくり頭を撫でてやる程度だったが、そのうち段々この「私」は存在を主張しはじめ、どうにも始末におえなくなってしまったのである。個室でおとなしく本を読んでいる分には一向さしつかえないのだが、そのうち本を読むだけではおさまらず、私の行く先々どこにでもノコノコついてくるのである。聖堂にもついてくるし、人が真面目に祈っている側でソワソワしたり、人の顔をのぞきこんだり、まったく落着かないのである。ただ有難いことには、彼の姿は他人には見えないらしい。それで、まあ結構楽しい奴だから、このまま一緒に生活しでやろうかな、などと思いはじめたのだが、ある日、晴天の霹靂のごとくに私を打った考えがある。なんと、神さまにはすべてがお見通しだということ。だれにも分るまいと、うまく立ちまわったつもりだが肝腎かなめのことを忘れていたようだ。これじゃ頭隠して尻隠さずどころか、全身丸見えである。
 ええい、事ここに至れば取る道は二つに一つ。彼を追い出すか、自分から出ていくか。ところが驚いたことに、どちらも残ってて良いというのだ。神様の考えは私ごとき俗人にはさっぱり分からぬ。いや、もしかすると、これは自分が勝手にこしらえた託宣かも知れぬ、と一時は心配になっていろいろ問い合わせてみたが、どうもその心配はないらしい。
 こうなったらもう遠慮はいらぬ、と晴々とした気持で彼をつれて外出してみたが、なかなか、人間様の方がちと考え方がせまいし、時代後れのようである。私が文学をやりたい、特に興味があるのは戦後文学だなどというと、きまって「へえー、文学をねぇ、修道者がねえー」とくる。いや、実のところ、自分でも大いに怪しいのである。はたして修道者と文学者が一人の人間の中に共存できるのか。
 もっとも、埴谷雄高氏の説によれば、二十世紀文学は、これまで呪術と宗教がになってきた役割をふたつともまるごと抱え込んでしまったそうである。つまり「私が私でなくなろうとする魔術的、悪魔的、多元的、躍動的、夢想的、無政府的世界が、私がひたすら私であろうとする神的、一元的、静的、内省的、秩序的世界を経て、さらに現在、私が私であって、しかも、私でなくなろうとする一種の自在力を備えた小説的、想像的世界へいわばまことにうまく、都台よく、ジンテーゼふうに踏みこんでしまった」そうである。(しかし、このような小説的世界をもまるごと包みこんでしまうのが宗教というもののはずだが)それはともかく、この二つのもののあいだの《いわば巨大な手風琴に似た不思議な振動》の音が今もって聞こえぬとするなら、私ごとき若輩の悩みもまた、それなりの存在理由ありとすべきか、いやはや、これまたむつかしい課題ではある。

      

 『新潮』、一九六七年六月号