現実は散文的である

京大有志の会の声明文がどんどん広まっている。それは日本だけにではない。私が知っているのはスペイン語圏に関してだが、確実に賛同者が増えている。昨晩もある人に書いたように、最近、とりわけ震災・原発事故のあと、日本および日本人に深く絶望してきたが、しかしこの声明文に寄せられた賛同者の言葉を読むと、いや絶望するのは早い、私と同じように日本の現在そして末来を憂えている人がいるんだ、と分かり、勇気をもらっている。
 たくさんの人が、この詩とも言うべき簡潔で力強い文章に感動している。中には、この部分はこう言い換えたらもっといいのに、と親切にも提案している人がいるが、いやいや練り直す必要はない、このままがいいと心から思う。つまり詩のようだと言ったが、ふつう詩に感じられる技巧から無縁であるところがいい。言葉がまるで取り立ての野菜のように、少しばかり不揃いで土が付いているところがあっても、シャリシャリと輝いている。
 大震災・原発事故そしてその後のことを歌った詩人たちの詩をいくつか読んだが、どうもしっくりこなかった。簡単にいえば詩人の技巧を感じて、その分だけ感興を殺がれる。あるいは自分自身の経験から言えば、現実は詩的ではなく、むしろ散文的である、との思いが募ってくるのだ。
 つまりまるで綱渡りしているような苦しい毎日、先のことは考えずにとりあえず目の前のこと、そして只今の瞬間だけを考えようとしているとき、書けるのは詩ではなく散文だということ。苦しい現実を俯瞰して、練りに練った言葉で上手に表現しようなどという余裕はない、と言ったらいいかも知れない。
 いや、どうもうまく言えないが、このことを別の角度から説明してみよう。今回の声明文のどこに感動しているか、と言えば、これらの言葉が、例えば詩の結構を考慮して選ばれたものではなく、おそらくはその場で思いついた言葉を、ともかく並べているうちにおのずと出来上がったものではないか、と推測している。それも一人の人間が書きつけたのではなく、何人かの人が頭を寄せ合って紡いでいった即興詩ではないか、と。
 そんなことを考えたのは、むかし一度だけだが連句を体験したことがあるからだ。つまり何人かの連衆(れんじゅ)が連句を巻いてゆく体験をしたが、今でもその時の不思議な感動を覚えている。おそらくそれは共同主観的体験と言ったらいいのかも知れない。専門的なことは分からないが、辞書で調べてみると、これはフッサールの作った用語らしく、複数の主観、つまり簡単に言えば複数の人間、のあいだで共通に成り立つもの、ということらしい。
 思えば近代文学、中でも近代詩は一つの主観、つまり一人の詩人の主観性そして独創性を過度に強調するあまり、次第に自然で豊かな感受性をも枯渇させてきたのではないか。例えば中世の吟遊詩人の例を出すまでもなく、もともと詩は人々の集まりの中で、つまり詩人と聴衆のいわば共同主観的状況の中で作られたものではないか、ということである。
 これ以上語るとボロが出るのでこの辺で止めるが、繰り返しになるが、例の声明書は何人かが頭を寄せ合っていわば共同主観的な場で作られたものではないか、ということだ。
 それと「現実は散文的である」という表題とどう結びつく? さて弱った。もしかして日ごろ詩人たちに対して持っている偏見をつい口に出しただけ? あなたたちの詩は、この平明かつ力強い散文に、その文学的感動においてさえ負けている、と言いたかった? いやそこまで言うつもりはない。
 ただ苦し紛れの強引な結論を言うなら、人が苦しい、あるいは喜ばしい現実に向かい合ったとき、内からこみ上げてくるものを何の粉飾も加えずに吐露するとき、そこにはもはや詩とか散文の区別はほとんど意味を成さないのではないか。くどいようだが今回の声明書は、どんな職業的(?)詩人の作った詩よりも感動を呼び起こした。そのとき、これが詩であるか散文であるかなどの区別立てはほとんど意味を成さない。
 今朝も「賛同者の声」を覗いてみると、キューバのハバナからスペイン語を読んでの感謝と共闘のコメントが入っていた。スペイン語関係者からも、これからどんどん拡散させます、との嬉しいメールが届いている。戦争法案を廃案に持っていくまで粘り強く攻勢をかけていこう。

※ スペイン語圏からだけではない。いま、拙著の中国語訳を出してくれた香港・三聯書店の編集者からも賛同と激励の言葉が届いた。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください