【息子追記】晩年、父が平和菌と称し、訴えたことの真意を理解する人がもっといてほしかった。
「やあ、しばらくぶりだね、こうしてネットに呼び出されるのは」
「こういう時って話題がなくて困ってる時か、ありすぎて収拾がつかない時か、どっちかだね」
「今回はどうも後者らしい。見ろよ、あの渋い顔」
「それはともかく、とうとうラジカセが壊れたようだよ。ここんところずっとばっぱさんの残した【昭和の流行歌】を聴いてたようだが、一昨日からまたもとのCDを聴いてる」
「昭和の流行歌で思い出したけど、彼…」
「彼ってわれわれでもあるんだよ」
「分かってらい、そんなこと。彼耳が遠くなったろ。そこでちょっと面白いことがあった。例の高倉健の『唐獅子牡丹』を聴いてたときだが、【義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界】、の最後のフレーズが男のコカンに聞こえてきてびっくりしたことがあった」
「セカイがコカンに聞こえるはずないよ」
「いやそれがね、耳が遠くなったせいか、ラジカセの寿命が来たためか、いやもしかすると死んだばっぱさんのいたずらか、或る音の層がいびつに再生されてどうしてもそう聞こえたんだな。それで彼、あわてて巻き戻し、今度は音量を変えて聞いたところ、今度はセカイになってた」
「やっぱ耳鼻科に診てもらったら?」
「それでね、彼、ちょうど安保法案強行採決でむしゃくしゃしてた時だろ、そのコカンで連想したのは脱腸で狸のようにコカンが膨張した男の姿」
「まさか安倍がその狸とでも?」
「そうはっきり言ってもらっちゃ困るけど、でも連想は止められない。なぜそんなこと連想したかって言うと、どうも安倍の求めてることはまさに唐獅子牡丹の世界なんだな」
「そうね、積極的平和主義なんて言ってもつまるところ親分アメリカへの忠誠心以外のなにものでもないからね。信介じさまがA級戦犯容疑から救い出されたことへの義理立てとしか思えない。日本と日本国民の生命と安全を守るためなんて言ってるが、かえって危険に曝すことになるのが明々白々なのにね」
「そうっ! ウォール・ストリート・ジャーナル (WSJ)が今年の6月22日 に発表した世界平和指数(グローバル・ピース・インデックス=社会の安全性や治安のレベル、国内および海外との紛争、軍事化の度合いという三つの基準で計った指数)で、162ヵ国中、アメリカは96位、つまりガンビア(アフリカ)やトルクメニスタン(中央アジア)よりも下位にランクされた」
「で日本は?」
「8位。ついでに言うと、世界で最も平和な国のランキングトップはアイスランド。2位はデンマーク、3位はオーストリア。一方、最下位はシリア。最も大幅にランキングを下げたのはリビアで、ウクライナがそれに続く」
「ということは、親分アメリカの子分になるっちゅーことは、単純計算しても一気に50位くらいランクを下げるっちゅうーことだね」
「そういうこと」
「だとすると先日通った安保法案、いやもとい、戦争法案をいつか必ず廃案にもっていくしかないね」
「さて、それをどうするかだが、とりあえず考えられることは来年の参院選挙で自公民の与党二党と法案に賛成した野党三党を大敗させること」
「野党三党って、はっきり名指ししないと」
「いまそいつらの名前を確認するのもカッタルイくらいきもち悪くなってきたので勘弁」
「問題はその怒りをそれまで持続させることだね」
「そういうこと。だから怒りを一気に爆発させないで、じわじわじわじわと種火のように燃やし続けることだーね」
「分かった、貞房さんがかねがね言ってた平和菌を至るところに仕掛けていくことだね」
「そうっ、ヤクザまがいの義理の重さじゃなくて、信義と信頼、さらにいうと真の平和主義に裏打ちされた男のセカイ。そんな重さなら喜んで引き受けたいね」
「そんな世界だったらもう男も女もない、子どもも老人もない、みんなして心を合わせて頑張りたいね。それが本当の積極的平和主義」
原発問題の時に、先生は人の生き方との関連性を指摘され、今回の安保法制においては国のあり方を問われていますが、それらのことを考えていましたら、なぜか、ばっぱさんが問われた言葉が解決への糸口になるように直感として私は感じました。
「人は何故死ななければならないのか」※
私たちこの限られた生命(いのち)の中で、生きている間、自分の欲望をできるだけ満たし、豊かな環境で楽しい人生を送りたいと考えてしまいがちですが、その考えからは、ばっぱさんの問いに対する答えは見つからないと私は感じます。この限られた生命を自分のためだけでなく、先生が常に言われているオルテガの「私は、私と私の環境である」、その環境である他者のために生きると決心した時、この限られた生命を永遠の生命に飛翔させる光明がそこに生まれるのではないか。魂の平和とは永遠の生命を感じること、それがばっぱさんの問いに対する一つの答えのように私は思います。人の生き方や国のあり方(あるべき姿)は一朝一夕に変えられるものでは当然ありません。根源的なところを掘り下げて考えていくことが、現政権のやっている問題点を発見し、今後どういう方向へ日本を、私たち一人ひとりの生き方を改善するかの糸口(光明)がそこにあるように私は思えてなりません。
※ 2014年4月6日「或る公開書簡」の私のコメントで『虹の橋』から引用文があります。