新春来客三様

一生半径1キロの世界に生きる覚悟をしたとは言え、時にその境界を越えて遠出したいと思わぬでもない。しかし根が出不精のためか、本気でそう思っているわけでもない。でもありがたいことに、時おり遠方から客人が訪ねてくることがあり、それはそれでとても嬉しい。
 今日も、年が越えてから初めて遠来の客があった。他でもない、我が舎弟の守口さんである。もちろんこれが最初の訪問ではなく、これまでも野馬追いの折りや、川口さん・菅さんのコンサートに駆けつけてくれたことがあるが、今回はなんと仮設でお茶を立てるための来駕である。仮設訪問では大先輩格の渡辺一枝さんが連絡の労を引き受けてくださったそうである。
 お茶は大昔、広島長束のイエズス会修練院で何回か経験したことがあるが、守口さんがヴァイオリンの演奏以外に茶人でもあったことを実は今回初めて知った。仮設では十人ほど集まってくれたそうだが、無聊を託っているどころか、人によっては孤独地獄に陥っているご老人もいるはずだから、こうして一服の茶を味わってもらうことでどれだけ心癒されることであろう。ありがたいことである。
 客人ではないが、昨日とうとうミニコミ(ック)手塚治虫文庫が届いた。想像していた以上に小さく、したがって字も小さいので、虫眼鏡を使わなければ読めないものだが、でも一挙に200冊もの漫画本が側にあることによって、なんだか気持に余裕のようなものが生まれたのは想定外だ。さっそく「リボンの騎士」全3巻を愛に貸してやった。
 そして今日は、夕方6時半福島行きのバスで帰京する守口さんを駅前まで車で送って帰宅したら、郵便受けにフロスト警部が待っていてくれた。今日まで掛かったのは、どこか海外から(イギリスかららしい)船便で送られてきたからのようである。先日はたぶん読まないだろうと書いたが、いざ届いていつものように表紙を厚紙で補強し、背中に布を被せているうち、なんだか読みたくなってきた。フロスト世界は既に熟知しているので(?)分からぬ単語が次々と出てきてもなんとなく筋を追えそうだ。今回の『霜枯れのフロスト』の冒頭は、夜デントン市郊外の森の中を散歩していた男の飼い犬が、草むらに飛び込んでいったかと思うと突然人間の足を銜えて戻ってくるという、いつもの通りショッキングな描写から始まる。このあたりは黒澤明の『用心棒』からヒントを得たのかも知れないが、のっけから読者を引き込む匠(たくみ)の技である。
 ペーパーバック版で571ページだから、もし文庫本に翻訳されたら上下二巻、全800ページを超える長編。果たして読みきれるか? 最後まで行けるかどうかは保証の限りではないが、断続的にではあれ、ともかく読み続けられるだろう。
 今年の目標。残された時間のことを考えてちまちまと余裕の無い生き方はやめよう。たまには無駄と思えるようなことでも楽しんでみよう。道半ばで斃れてもいいじゃないか。そっ、カルペ・ディエム、その日を楽しめ、の精神である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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新春来客三様 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     多くの人が自分の一度限りの人生の中で、世間一般が考えるところの成功を目的に生きているんでしょう。営利目的の会社に勤めている人なら予算必達を目的に日夜奮闘しているということです。当然生きるには生活するためのお金が必要ですから結果を出すことを目的に生きざるをえない、異論の余地はありません。しかし、人生において、結果(成功)が目的ではなく、結果が残せるか残せないかに関わらず、そのためにいかに真摯に全身全霊を込めて打ち込んだかという過程に意味があるんだという考えを私は持っています。世の中の不祥事と言われるものの多くは、結果が全てという考えに凝り固まって、結果を出すためには手段を択ばない不正と呼ばれているものが罷り通っているように思います。

     『モノディアロゴスⅤ』の「一日の終わり(2010年11月27日)」の中で、一日の雑用(と呼ばれているもの)を終えられて、先生がこんなことを言われています。

     「お前、なーにやってんだい?という声が聞こえないでもないが、でもこんな一見意味のない些事を重ねていくことも<生きる>ことに違いないんだろうな、などと思っている。」

     人生というものは一見無味乾燥のように思われますが、先生の言われるとおりではないかと私は思います。お金をたくさん蓄えたり、国から勲章をもらったり、総理大臣になることが人生の本意ではない。そういうものは全部とは言いませんが、あらかた不正を冒さないと手に入らないものが多いと私は思います。世間からどう思われるかではなく、今日一日を自分が楽しめたか(自分の心の満足感)が大切だと思います。

     

  2. 守口 毅 のコメント:

    佐々木 兄い殿
     お元気を確認できて幸せでした。
    また兄いの”カルペ・ディエム”が聞けて、これも嬉しい。
     今回、仮設住宅でお茶のふるまいをさせていただいて、こういうことを考えました。私が毎年の冬に釜石・大槌にお邪魔しているのは、先方に私のやろうとすることを理解して仮設の場を設営してくれる山仲間がいますので、趣旨が通っていて一応みなさんが待ち受けていてくださいます。今回初めての南相馬は、渡辺さんからキーマンの自治会長さんをご紹介いただいて連絡を取らせていただいただけで押しかけるという、甚だ乱暴な行動でした。(もちろん趣旨を書いたものは持参いたしました。)仮設の集会所ではご婦人たちが和気藹々と編み物教室をやっておられました。そこに自治会長さんが、私と私が来訪した目的をお話しいただいて、お点前を始めたというわけです。ご婦人たちは手元が忙しく、お茶どころじゃない。まあお茶が点ったら行きましょか、って感じで、私はこの現場の現実をしっかり受け留めて、ひとり静かに点前を進めました。そして、点てた抹茶をお菓子と一緒にまず自治会長さんの元に運びました。会長さんは一服お飲みになり『これはうまい!みんなもらったらいい。』とおっしゃってくださり、それから次々と私の点前座の方にご婦人が来てくださって、お茶をふるまったということです。ですから、いつものお茶の点前の風景とはまったく違うことになり、お茶を提供する・それを飲むという、実に実務的なやりとりになりました。ですから座になっていないわけです。毎回一対一です。でもその短い時間に、私のような見も知らぬ男に対して、問わず語りにほとんどのご婦人がご自分のいま置かれている境遇と不安な胸の内をお話し下さるのです。その内容はお一人おひとり、みな個別に異なっていて、私はそのたびに深いため息をつくものばかりでした。そして思いました。ここまで胸の内を開いて語れるようになるまでにみなさんがどれだけに時間を要したのだろうか、どれだけの苦衷や諦めを経てこられたのだろうか。そして、放射能はそれでも人間を解放してはくれない、ということを。
    あまりにもささやかなお手伝いしかできませんが、暖かくなったらまた行きたいと思っています。これも、いまという時代の日本に生きていることの”カルペ・ディエム”なのだと思います。
     阿部さんのコメントにも励まされています。ありがとうございます。

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