平和菌拡散のお願い

豆本作りが止まらない。先日は豆本型のノートだったが、それから進んで今作っているのは文字どおりの豆本。と言っても26ページの超薄型(2ミリ半)の豆本である。大きさは横4センチ、縦8センチ強。本当はもっと小型にしたかったのだが、いかんせんパソコンで打てる活字の最小サイズは8ポなのでそれで精一杯。何についての本かといえば『平和菌の歌・他二曲歌詞集』である。つまり「原発難民行進曲(「麦と兵隊」の替え歌)、「ケセランパサラン」、「平和菌の歌」の三曲で、最後の歌には舎弟のピアニスト菅祥久さん作曲の楽譜もある(ただし豆本には収録不可能なので諦めました)。
 二日前から試作を繰り返し、いまや短時間で作り上げられるようになった。豆本ながらきれいな布表紙の立派なもので、これを胸ポケットあるいはハンドバックに入れて常時携帯してもらえたら、と願っている。時おりとり出しては「平和菌」散布の弾みにしてもらいたいがためである。
 なぜこんなものを作り始めたか、というと、実はここに来てようやく自作作品集のスペイン語訳への動きが現実化しそうな雲行きになってきて、出版社に働きかける前に、ともかくスペイン語圏の友人たちにことの次第を報告する気になったことがきっかけである。つまり事態が本格化するようなときにはぜひとも応援を頼むためのスペイン語作文を同時進行させていたのだが、その本に収録される予定の、主に故小川国夫さん主宰の同人誌『青銅時代』に発表した作品のほかに、スペイン語版収録以後のモノディアロゴスからもいくつか収録したいと考え、いろいろ検討している途中で、例の不思議な生物「ケセランパセラン」にぶつかった次第。そうだこの際、日本の友人たちにもこの豆本を献呈し(普通便で送れます)改めて歌詞の紹介・伝播をお願いしようということになったのである。
 つまり時あたかも宜野湾市長選挙で安倍政権寄りの勢力が居座ることになったり、日本の末来に暗雲いよいよ濃くなってきて、ここで一念発起、「平和菌」散布が焦眉の急になったと判断したからだ。もちろん進呈したものを参考に、こちらから折り返し電送するデータを使ってお暇の折にでも自作を試みられ、出来上がったものをご友人たちに差し上げてもらえたら、という深慮遠謀が働いていることを敢えて隠しません。その節はどうぞ宜しく。
 ところで個人的なことではあるが(と言ってこのモノディアロゴス、すべからく個人的なものだが)いよいよ今日、嫁の頴美が手術の日を迎えた。昨日、愛のためにも頑張ります、と気丈な覚悟のもとに入院したが、愛も幼いながら事態をよく理解しているようだ。震災前、美子も長時間の手術に見事耐えて無事退院したことを思い起こし、今はただ頴美も元気に帰宅する日をひたすら待つ以外、この爺様のできることはない。このところ豆本作りに没頭してきたのも、もしかしてこうした事態から少しでも気を逸らす気散じの意味があったのかも知れない。
 ともあれ富士貞房作詞三部作を、上の「オリジナル作品」からもアクセスできるが、ここで改めてご披露することにしよう。

★カルペ・ディエム!(この日を楽しめ!)
 作詞 富士貞房
                (「ケセランパサラン」を改題)

1 どこに消えたの銅の兄妹は
  大揺れ広場の真ん中から
  今は空しく台座が残る
  北北東の風、放射線値0.38
  ケセランパサラン、コモパサラン

2 テニスコートの球打つ音も
  模型飛行機風切る音も
  すべては消えていま公園は
  風速2メートル無人の境
  ケセランパサラン、コモパサラン

3 どこに行ったの私の友は
  ねえまた元気に遊ぼうよ
  きっとここなら大丈夫
  この陽だまりで前のように
  ケセランパサラン、コモパサラン

4 午後の広場のしじまの中で
  幼い少女の歌声響く
  赤いスカート風に舞い
  そこで気取ってピルエット
  ケセランパサラン、コモパサラン

5 笑い声が小鳥を招く
  澄んだ声が花を咲かせる
  そう、しっかりそしてまじめに
  すべては少女の願いのままに
  ケセランパサラン、コモパサラン

「しっかりそしてまじめに」は亡くなったばっぱさんの遺言です。


★平和菌の歌
 作詞 富士貞房 作曲 菅 祥久

1 生まれは いずこか知らないけれど
  その働きは いつかは分かる
  柳眉逆立つ不美人さえも
  これをはたけば 楊貴妃に
  ケセランパサラン、コモパサラン

2 そのわけ 何にも分からんけれど
  誰にも効き目は じわりと分かる
  争い、もめごと、戦争さえも
  これを被れば 茶番劇
  ケセランパサラン、コモパサラン

3 見た目は カビと変わらんけれど
  漂う芳香 いつかは気づく
  虚勢や威嚇は ただそれ嗅ぐだけで
  馬鹿丸出しの 猿芝居
  ケセランパサラン、コモパサラン

4 原爆・原発 被った今も
  懲りずに推進求めるアホは
  ほんわか菌を浴びるがよろし
  まことの幸せ 見えてくる
  ケセランパサラン、コモパサラン

5 飛ばそ撒きましょ 平和の菌を
  みごと咲かせよ 心の園に
  あなたと私の垣根を越えて
  国境線さえ消してゆく
  ケセランパサラン、コモパサラン

※ケセランパサランは白粉(おしろい)を食べて生きるという、綿毛に似た伝説上の生物。十六世紀スペイン人バテレンによって伝えられたという説がありますが、すべて不明の謎の生物です。スペイン語ですとドリス・デイの歌った「ケセラセラ」とほぼ同じ意味になります。


★原発難民行進曲(「麦と兵隊」替え歌・認可済)
 作詞 富士貞房

1 除染除染とだれもが叫ぶ
  除染終われば住みよいか
  思いあぐねて振り返りゃ
  原発夕陽に照り返る
  あゝ無念の浜街道

2 ライトを頼りに夜道を行けば
  いとし我がベコ慕い寄る
  「すまん、すまん」と撫でてはみるが
  いつまた会えるか分からない
  涙こらえて 星空仰ぐ 

3 今日も晴れ行く相馬の空を
  雲雀悲しく鳴いている
  遠く見ゆるは国見の山か
  山菜取るのはいつの日ぞ
  婆さま(ばさま)すまねえあの世で探せ

4 眼(まなぐ)上げれば百尺観音
  今日も静かに笑ってる
  馬鹿な民草(たみくさ)哀れんで
  独り平和を祈ってる
   蓮(はす)の清(すが)しさ美しさ

5 行けど進めど道なお険し
  業の深さよ惨めさよ
  安楽・利便の後のみ追って
  袋小路に迷い込む
  原発難民どごさ行ぐ

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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平和菌拡散のお願い への3件のフィードバック

  1. 立野正裕 のコメント:

    佐々木さん、ろくにご承諾を得ないまま勝手にfacebookでシェアさせていただきました。ただ口ずさんでいるだけでも、風刺の精神が伝わってきますね。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    立野正裕さん
     お返事は左の本論でしました。よろしく。

  3. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、じっくりと読ませていただきました。
    友人たちにも紹介させていただきます。

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