すべて人生の薬味・滋養

これまでずいぶんものを知らないで生きてきたんだなあ、と思うことが最近目立って増えてきた。例えば今日など、三月は弥生か、それじゃ旧暦で月の数え方全部言えるだろうか、と考えてみたら、途端に自信がなくなった。特に7月、9月が出てこない。睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月…そうだ文月だ、次いで葉月…うーんと長月、神無月、霜月、師走。六月の水無月がそのころ田んぼに大量の水を必要とするから、とは知っていたが、さて他の月にはどんな謂れがあるのだろう。そのうち調べてみなきゃ。
 大気が乾燥しているだけじゃなく、灯油ストーブを使っているせいか、ときどき背中あたりが痒くなる。そんなときのために机の脇に常時孫の手を掛けている。ちょっと待て、ほんとに孫の手なんだろうか。辞書で調べると、孫は麻姑の当て字で、その麻姑は中国の伝説上の仙女とある。つまり「後漢のころ姑余山で仙道を修め、鳥のように爪が長く、それで痒いところを搔いてもらうと、とても気持ちがよかった」かららしい。なるほどそういうことか。
 ことほどさように、知らないことがいっぱい。そんな意味でも、いま読んでいる岡村訳『ドン・キホーテ』はいろんなことを教えてくれる。まだ第十二章あたりをゆっくり楽しみながら読んでいるのだが、ドン・キホーテやサンチョの科白(せりふ)が実に面白いし生きている。いずれ会田訳や牛島訳と比較するかも知れぬが、今はとりあえずスペイン語原文を時折参照しながら読んでいるのだが、岡村氏、原文からは決して離れず、しかも実に自由闊達に訳している。たとえばサンチョが主人への感謝の意を表すのに「感謝感激雨霰」などという懐かしい日本語をさりげなく挟んでみたり、「臥薪嘗胆」とか「白髪三千丈」などという漢語が実に自然に遍歴の騎士物語の中に溶け込んでいるのだ。
 そればかりか原作者の向こうを張って(?)、原文にはない言葉遊びさえしている。たとえば「<馬鹿を申せ>と、ドン・キホーテ。《幾人討ったとて、罪に問われる遍歴の騎士がどこの世界におる。さような例を見たことがあるか?読んだことがあるか?》《人を売ってどうのこうのなんて、おら、なんにもわからねぇ》と、サンチョ。」
 つまり homicidios(人殺し)という騎士の言葉を従者は聞き間違えて単なる悪意ほどの意味を持つ omecillos という当時の俗語に言い換えたわけだが、それを岡村氏は「討った」と「売って」と二つのまったく別の意味の言葉で遊んでいるわけだ。
 他の訳者はここをどう訳しているかいつか調べてみたいが、とにかく大変長丁場の苦しい翻訳作業だったとは思うが、しかし楽しみながら翻訳を進めたらしいことがこれ一つとっても充分うかがえる。
 以上はスペイン語から日本語への翻訳の話だったが、今度は逆に日本語からスペイン語への翻訳の話である。他でもなく現在進行中の私のスペイン語版作品集のことだ。先の『原発禍を生きる』ですでに実証済みだが、ハビエルさんが今回も冴えた訳筆をふるっている。たとえば『ピカレスク自叙伝』の中で主人公の少年(私でーす)に向かって、兄が「お前は橋の下で拾われたマンジンの子なんだぞ」と言った時、側で聞いていたおやじは、なんとも訂正しなかったではないか、という箇所で、とつぜんこんなスペイン語が出てきて、最初は間違いではないかと思った。つまり直訳すれば「この口は私のものだとは言わない」(no decir que esta boca es mia)という訳文だが、よく調べてみると確かにその表現が辞書にあった。つまり押し黙ることをそう表現するらしい。これも原意を十分咀嚼したうえでの一種の言葉遊びであろう。皮肉やダジャレ混じりの拙文にはうってつけの訳者であることが再確認できて嬉しい。
 とここまで書いてきて、かなりの回り道になったが、実は今晩(おっともう翌日になった)ぜひ書きたかったのは、今晩いや昨晩7時半から放送されたNHKクローズアップ東北「もっと笑える~医療的ケア児と家族の日々~」についてであった。番組紹介は以下のようになっている。

「山形県鮭川村で旅館を営む元木家。長女の陽菜さん(13)は、原因不明の難病で目や脳に障害があり、日常生活を営むために栄養剤の注入などの医療行為が欠かせない「医療的ケア児」だ。村には訪問看護などのサービスがないことから、母親の美香さんが医療行為を行ってきた。そんな元木家は家族ひとりひとりが楽しく暮らすためにできることを見つけてきた。元木家の穏やかな日々を見つめる。(語り: 杏)」

 ほぼ寝たきりだが、家の美子と違って陽菜(ひな)ちゃん時折手足を動かすことができる。妹と昼寝をしながらその妹に両腕で絡みつくような動作をすることもある。お腹から栄養剤(美子のエンシュアとは違うようだ)を注入しなければならない陽菜ちゃんはお母さんの四六時中の介護が必要で、この先どうなるのか、それは確かに心配である。しかし茶髪で元気に介護するお母さんの美香さん、旅館業で忙しいお父さん、鮭川村でただ一人の小学生の可愛い妹とのこの四人家族の明るさはどうだろう。まさにホラチウスの Calpe diem!(この日を掴め)を見事に実践している。さしあたっての問題や苦労はないがしょっちゅういがみ合っている「幸福な」家庭よりも数千倍も幸せな家庭を作っている。
 美香さんにこれまで多くの試行錯誤、ご苦労があったことは間違いないが、いつも前向きで、介護の作業一つひとつを実に丁寧に、しかも絶えず工夫を凝らしてこなしている。つまり介護を楽しんでいるとさえ言える。要するに美香さんだけでなくこの元木家にとって、陽菜ちゃんは太陽のような存在なのだ。私にとって美子がいわば生きる原動力であり活力源であるのと同じ。何を無理して、いい子ぶって、と言いたい奴には言わせておく。
 元東京都知事であった男が、在任中、胃ろうなどで命をつないでいる病人がいては都の財政が逼迫するだけだ、などとほざいたことがあったらしいが、その元知事の豊洲移転問題で記者会見をしているのを陽菜ちゃんの番組のすぐ前にちらっと見たが、なんとも痛ましい姿だ。
 いや玄関先から車までヨタヨタ歩くのはいい。私だっていずれそうなる。しかし会見に臨む心境は、と問われて、果し合い前の侍の心境だ、なんて口だけは達者。そのサムライが言ったのは「私だけの責任じゃない」とまことにみっともない言い訳。かつての最高責任者が言うことか! 武士の風上にも置けない卑怯な言いぐさ。おぬしは侍なんぞじゃない、湘南の元不良の成れの果てだ。会津侍の血を引く(らしい)貞房が言うことに間違いなし。
 さてこれまで翻訳の話と陽菜ちゃんの話と全く関係のなさそうな話題二つを書いてきたが、わたし的には(おゝ嫌だこの言葉!)同じ一つの主題である。つまり簡単に言えば、すべてを、たとえそれが表現上の困難であろうが、生活上の不便や介護であろうが、すべてを前向きにとらえて、できればそこに楽しさ、喜びさえ見つけようとの姿勢である。そこに負け惜しみや無理はない。
 だって一度限りの人生だろ、だったらすべてはその人生の薬味であり滋養であり、無意味なものは一つもないはずだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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すべて人生の薬味・滋養 への4件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    ちょいと忙しさにかまけているうちに、十勝の風は春を運んできている。忙しいとは心を亡くす、と書き表すのでご用心。雑事に終われているとろくなことはない。ゆっくり咀嚼するように思考することから、自ずと離れてしまうようだ。そうなると、モノディアロゴスからも距離を置こうとしてしまう自分に気が付いた。

    久しぶりにスーパーのお菓子売り場をうろちょろしていると、あの、きび団子が目に飛び込んできた。庵主のお好みのおやつだ。そう、そのクリーム色の包み紙は私にささやいた。「ちょっと、ちょっと、最近、ゆっくりモノディアロゴスしていないんじゃないかい?」。まさにその通り。なんだか後ろめたさを感じているのだろう。

    今しがた、久しぶりに呑空庵主の声を聴いた(拝読した)。快調、明快、朗々とした響きがアップテンポで迫ってくる。文字でしか知らない庵主の生の声、笑い声を直接味わいたいと思いながら、近いうちにきび団子をもって南相馬の呑空庵のドアをノックしたい。そんなことをふと思った私です。

    支離滅裂でごめんなさい。いや~、実に、爽快な気分です。やっぱり、モノディアロゴスをしょっちゅう読まねばなりません。先生の思想、文章は、私の血となり、肉となります。

  2. 岡村 一 のコメント:

     自分の翻訳が褒められる褒められないの前に、仕事を理解してもらえるというのが一番うれしいことです。おっしゃるとおり、訳を進める過程で原文は必ず片手で摑んでいました。そうしなければ翻案になってしまうと思いました。
     言葉遊びや諺の訳は楽しみました。とくにことわざについて。まずは既存の日本のことわざを探しましたが、みつからない場合、みつかっても文脈に会わない場合は作りました。いかにも既存のことわざらしく作って、どれだけの読者が『騙される」かと楽しみでした。

  3. 佐々木あずさ のコメント:

    呑空庵主さまと翻訳家岡村さま
    翻訳の醍醐味を、ご当人とそしてその面白さを堪能する読み手のお二人から教えていただきました。感謝!

  4. 岡村 一 のコメント:

    佐々木あずさ様
    文字通りの拙訳ですが、機会があれば図書館ででもお読みくださるなら、とてもうれしく存じます。

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