キクラゲだーっ!

美子の食事の介助、と言ってもエンシュアという缶詰の栄養剤にとろみをつけたものを匙で口に運ぶだけのことだが、ゆっくり間隔を置いての作業だから途中いろんなことを考える。今晩もなぜか、いや明日Kさんが赤ちゃんを連れて遊びに来てくれることからの連想だったが、子供たちがまだ1、2歳の頃のことを思い出していた。南武線の稲田堤というところに住んでいたころのことだ。
 少し大きめの乳母車に双子の赤ちゃんを乗せて買い物に行く美子の姿が浮かんだ。そうだあのころ面白いことがあったっけ。つまり八百屋にしか売っていないものを魚屋さんで買おうとして、「奥さん、それはね、八百屋さんに行かなきゃ売ってないよ」と言われた事件。はて、それは何だった?
 このごろ特に、はっきり言えば一日一回は、固有名詞が出てこないで往生することがある。今晩もどうしてもその商品名が出てこない。まだ買い物に慣れない若妻の美子が間違えたその商品は? 魚屋さんにあると思ったんだから、何か魚の名前が付いた野菜? さてなんだったろう?
 エンシュアを美子の口に運びながら考えたけど、どうしても出てこない。イワシ、サンマ、果てはタコまでいろいろ考えてみるのだが。その名前に行きつく回路に目詰まりが起きてしまって、そのまま放置するとその回路は塞がったままになってしまう、なんて考えたら頭が痛くなってきた。
 でも出てこない。もうやーめた、と思った瞬間、急に思い出した。そうだキクラゲ、キクラゲだーっ!!!!
 そんな悪戦苦闘のことなど我関せず焉、と美子はめでたく完食。あゝこれでスッキリ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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キクラゲだーっ! への3件のフィードバック

  1. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    澤井禮道さま
     こんな優秀な卒業生を持てたのに中央大学も損をしましたね。
    思わず角帽をかぶった澤井さんの(しかも現在の)姿を想像してしまいました。

  2. 守口 毅 のコメント:

    キクラゲを魚屋に買いに行くということは、クラゲの名前からしてごく自然であり、また鳥貝と極めてよく似ていることからも、私は若奥様・美子さんの味方です。
    私は料理をよくしますが、そういえば八百屋でキクラゲを見たことがありません。乾燥シイタケみたいにして売っているんでしょうか。水で戻すのかなあ?
    よし、今晩は卵と青梗菜に黄もやしを炒めてその中にキクラゲを加えてみましょう。一日ひとつ新味が加わるのは、幸せなこと。fuji-teivoさん、ありがとうございます。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    今回は奥様とご一緒のご訪問、おかげさまで実に楽しいひと時を持つことができました。どうぞ奥様によろしくとお伝えください。

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