大連で在留ビザが下りるのを一日千秋の思いで待っている頴美と、あれ以来ずっと毎晩電話でおしゃべりをしている。週三回の日本語学校での勉強も大変らしいが、こうして実際に毎日話していると、日本語がどんどん上手になっていくのが分かる。
先日は勿忘草の押し花が入った二通目の手紙もとどいた。私たちの電話を「さみしい生活の中で ひとつ太陽のような 輝いて光が入いている、とても よろこびと感じてます」なんて書かれると親馬鹿(?)よろしく嬉しくなってしまう。
彼女は本を読むのが好きで、とりわけ『三国志』からはいろんなことを教わっている、と言う。私自身は、確かギー、ショク、あともう一つの国が相争っている時代の物語としか知らない。それでネットの古本屋に注文したのが今日の午後の便で届いた。立間祥介訳の平凡社版二巻本(昭和三十八年第五版)である。昨年手に入れた蒲松齢『聊斎志異』と同時に「四大奇書」として出版されたものらしい。後の二つは、『金瓶梅』と『西遊記』である。四大奇書という言い方も、恥かしいことに今回初めて知った。『金瓶梅』についてはまったく知らないが、『西遊記』の方はもちろん知っている。
孫悟空は、小さいころ、私にとって親しい存在だった。サゴジョウ、キントウン、ニョイボウ、チョハッカイ、サンゾウホウシ、などの名前がぼんやり記憶の底から浮かび上がってきた。ゴダイゴとかサカイ・マサアキのテレビ・ドラマよりずっと以前のことである。ひところ自分のあだ名がゴクウとかなんとかだったこともあったような気がしてきた。まさか、とは思うが。いや、友だちの一人に、ちぢれっ毛で虹彩が茶色の子がいて、そいつのあだ名だったか。
それにしても十七、十八世紀(明や清初期)の中国に、他にも『紅楼夢』など、どうしてこうも息の長い長編小説が次々と書かれたのであろう。先日来、机の周りに積み重ねられている旧満州関係の本をまだろくに眼を通してもいないのに、またもやとてつもなくでかい文学世界が立ちはだかってきた。知力や視力、いや体力もが衰えてきているのだから、別にチャレンジしなくてもいいのだが、実は今日もまた、『金瓶梅』と『西遊記』を古本屋さんに注文してしまったのだ。まっ自分が読めなくても、いずれ生まれてくるであろう日中混血の孫にでも読んでもらえばいいや(おやおや万里の長城なみの遠大な計画だこと)。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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