ヘンリー・ミラーという作家の作品など読むつもりはまったくなかった。『ネクサス』だとか『南回帰線』などという作品名はどこかで知っていたし、晩年はホキだかポキだかという日本女性とどうとかこうとか、なにやらスキャンダラスな身辺のことも含めて近づきたくもなかったのだが……
その彼の古い翻訳本が午後ネット古本屋から届いた。吉田健一訳『暗い春』(人文書院、昭和二十八年)である。どうしてこんな本を注文する気になったかといえば、実は三日前、何気なく(ナニゲニじゃない!)インターネットで「ウナムーノ」を検索した際、どこかの誰かの日記らしきものが検索網にひっかかり、そこにヘンリー・ミラーがそのエッセイ集の中でウナムーノの言葉を引用している、と書かれていたからである。
以前、アップダイクが短編の一つで、主人公が読んでいる『生の悲劇的感情』を小ダシに使っているのを読んだことがあるから、たぶんそれと同じウナムーノ作品かな、それとも別の作品かな、と変に気になりだしたのである。
最近新しい翻訳が出たらしいが、先の「日記」氏と同じく、比べるまでもなく吉田訳を、と思い、古本を探索。かくして届けられた黄ばんで古本特有の日向臭い『暗い春』を初めからぱらぱらめくってみたのだが、「ウナムーノ」という字は見つからない。二二〇ページほどの中に十篇のエッセイが収録されているのだが、二度、三度とページをめくったのだが見つからないのだ。そのうち疲れてしまって、別の作業をすることにした。つまり少し背の部分が剥げ始めたその古本に硬い表紙を貼り付け、背の部分を鼠色の豚革で補強したのである。遠い泉大津市から届いた『暗い春』も、とつぜん上着を脱がせられ、代わりにちょっぴり動物臭い服を着せられ、さぞかしびっくりしただろう。
さて今晩は、ハードカバーの豪華な背革の本になった『暗い春』に四度めの探索をする気力は残っていない。それはまた明日の陽が昇ってからにしよう。天気予報によれば明日はいい天気とか、元気も出てくるだろうから。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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