大木倒れる

確か二日前(それさえもう忘れている)だったか、この季節には珍しく強風が吹き荒れた。クリニック経由で薬局に美子のエンシュア(缶入り栄養剤)をもらいに行くときの車さえ、信号待ちの時に煽られて車体が傾ぐほどの強さだった。これまでそんなこと心配したこともないのだが、こんな時どこかで出火でもされたら大変、と怖くなった。
 ところがその強風の爪痕が我が家の庭に残されていた。つまりかなりの高さ(名前は知らぬ)の立木が昨年あたりから葉もつけずに立ち枯れていて、そのうち伐ってもらわないといけないな、と思いながらも放っていたのが、案の定、この強風で根元から折れて塀の上に横倒しになっていたのだ。倒れた瞬間、当然かなりの音がしたはずだが、耳の遠くなったこの老人には何の物音も聞こえなかった。
 玄関脇の通路から回って近づいてみると、腐った根本からみごとに倒れていた。これが塀の方に倒れたからいいようなものの、もしも風の向きで家の方に倒れていたら、と思ってゾッとした。初めノコギリで適当な長さに伐ろうかと持ち上げようとしたが、根元近くは直径30センチはある大木で、日ごろから運動不足で体力がない老人にはとてもじゃないが無理だと分かった。
 さてどうするか。すぐ思い付いたのは、もう十年近く以前に、桜の大木やら、すぐ前のどこかの事務所の外階段からの目隠しのための塀などを作ってもらったシルバーセンターのこと。現役を退いた植木屋さんや大工さんなどが小さな工事などを割安で請け負ってくれるセンターである。さっそく電話連絡すると午後二人のスタッフが下見に来てくれた。料金は重さで決めるらしく、これはかなりの重さだけど枯れ木である分、少し安くなるでしょうとの見立て。いやいやこのままにしておくわけにもいかないので、料金が少しぐらい嵩んでもお願いします、と言った。明日来てくれるそうだが、隣のMさんの庭に入らなければならないので、そのことはよろしく頼んでください、とのこと。
 夕方、頴美と愛が少しばかりのリンゴ持参でお願いに行ってくれた。これで安心。
 ところで最近、特に震災後、隣り近所の付き合いが見事なまでに消えてしまった。家の前に並ぶ元市営住宅が復興工事関係者の借り上げ住宅になってからは、いわゆる「向こう三軒両隣り」は完全に死語となってしまった。他の地域の実情は知らないが、多かれ少なかれ似たようなものであろう。つまり少しばかり面倒な近所付き合いは軒並み消えたか、あっても非常に希薄なものになったのではないか。2002年に越してきた当時は、いわゆる隣組はまだ健在で、空気が乾燥する冬場など、夕食後、集会所に集まって、五、六人が組になって「火の用心!」と叫びながら近所を回ったものだ。そんな良風は、現在はどこにも見られなくなってしまった。
 今日の夕方のテレビで、この南相馬でもスマホのSNSとかを使ったイジメに遭って、一人の女子中学生が自殺したというニュースが流れた。時に面倒くさい、顔と顔をつき合わせ、肉声で話し合う濃密な人間関係が無くなり、かわりに無責任で非人道的な言葉が空気中を飛び交っている。何、SNS? 何、ソーシャルネットワークサービスだと? ざけんじゃない! 何がソーシャルだ! ANSに名称を変えろ! つまり asocial(自己中心的で、反社会的な)ネットワークサービスの略称よ。
 NTTだかドコモだか知らねえけど、てめえらの流行らしてるスマホだかSNSだか、前から言ってるように人間社会を根底から蝕む黴菌をばら撒いてるんだぜ。俺が秀吉なら、刀狩りの代わりにスマホ狩りをするんだけどなあ。いけねえ、だんだんほんとに腹が立ってきた。この辺でやめないと破裂しちゃう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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大木倒れる への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の近況報告を拝読して、大事に至らなくて本当に良かったと思います。私も車を良く利用しますが、最近特に危ないと感じるのが自転車を乗りながら携帯電話をしている若者です。異常に多いと感じています。十字路は常に徐行して走らないと、いつ飛び出して来るかわからないので特に気をつけています。これだけ携帯電話が普及すると、携帯電話をしながら歩行していても当たり前のような社会になってしまいました。細かいことはわかりませんが、先生が指摘されているようにスマホのSNSを使ったイジメも多いんでしょう。若い人たちの読書離れをよく耳にしますが、携帯をいじっている何分の一でもよいですから心の底から感動するような良書を読む習慣を身につけてもらいたいと願っています。文学には若い人たちの人生を変える力があります。

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    倒木、お見舞い申し上げます。この4月にお邪魔した日のことを思いだします。雨模様の春でした。教会と幼稚園のおそばでしたね。本来は、子どもたちの声や、古くから住んでいらっしゃる、そう、ばっぱ様が培ってきた交友関係豊かな地域だったかと思います。過去形で書いたのは、先生の文章を拝読したからです。そうなんだ、先生の地域は、「地域が壊されたまま」なんだ・・・と。しのびないです…。

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