辺境・混血こそタカラ

談話室への佐々木梓さんのご報告によると、呑空庵十勝支部の集会に斜里からも参加したとか。斜里、たしかこれはアイヌ語由来の地名ですね。北海道の地名は、大正などともろ本土由来の地名はあるにしても、そのほとんどがアイヌ語由来の地名であることは、先人たちの見識の深さを示し、実に喜ばしく、そして誇りにすべきことである。斜里はアイヌ語の「サル」または「シャル」が転訛したもので、いずれも「アシが生えているところ」を意味しているとか。
 そういえば私の生まれ故郷の帯広は「広い川原」を意味するオベレオベレというアイヌ語から来たと覚えていたが、いまネットで調べると、正確にはアイヌ語で「川尻が幾重にも裂けているもの」を意味する「オペレペレケプ」(川尻・裂け・裂けている・もの)の前半部の音を採り、それに十勝平野の広大さにちなんだ「広」をつけ「帯広」としたと出ていた。オベレベレじゃなくてオペレペレか。
 数年前、道議会の一議員が、先住民への支援金を出すのが惜しくて、北海道には先住民など存在しないなどと、実に愚かな、というより無知蒙昧の暴言を吐いたことがあったらしいが、それこそ己をわきまえない、天に唾する態の妄言である。
 アイヌ民族の南限がどこまでであったかは知らぬが、私の住んでいる相馬地方にもその確実な痕跡がある。だいぶ前、少年時の耳に残っていた「バッカメキ」という地名がどう考えてもヤマト言葉ではなく、アイヌ語らしいと思い、少し調べたが不明に終わった。母方の先祖が八戸の出であることから、もしかして遠い先祖はアイヌではなかったかとの期待感からの探索だったが。(本ブログ2008年11月20日「北の大地=アイヌモシリ」参照)
 いずれにせよ日本民族は純粋培養の単一民族などという発想自体、実に想像力の欠如であり、その意味でヘイトスピーチ参加者の頭の程度を疑わしめる。もしかして自分の血の中に朝鮮民族の血が流れているかも知れないのに。
 先日の集会では阿波根昌鴻さんの朗読劇もあったとか。わが遠き先祖アイヌ(と自分では思っている)もかつてはそうだったが、沖縄の人たちは、いまこの瞬間にも辺境であることからの不当な差別や蔑視を受けている。阿波根さんの有名な言葉「ヌチドゥタカラ」(命は宝)にはしなくも表れているものも、純粋培養・単一民族を自負するヤマトンチュウにはない実に骨太な思想である。
 ちなみにアイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。実に大らかで豪胆な発想ではないか。
 いや学ぶべきは人間からだけではない、十勝坊主の周辺に今も可愛らしく、いやネズミほどの小さな体ながら幾たびもの寒冷期をたくましく生きてきた大先輩、ナキウサギに相当な敬意を払わなければならない。このエゾナキウサギは今から1万年前以上前の氷河期に、シベリヤ大陸から北海道に渡ってきたらしく、その頃は氷河が発達して海面が下がり、大陸と北海道は陸続きになっていたそうだ。氷河期が終わった後は、氷が溶けて海水面が上昇し、 北海道は再び島になったが、それでもナキウサギは涼しい山岳地帯に生き残ったので「生きた化石」と言われている。確か開発の名のもとに、この絶滅危惧種も文字通り絶滅の危機に瀕したことがあったが、それは人間たちの手前勝手な、そして恩知らずの愚挙以外の何物でもない。
 ユウチューブにその可愛らしい動画が見つかった。可愛の何のって、パンダやコアラの比じゃない。ぜひ一度見てください。動画だけでは我慢できなくなって、たぶん実物より少し大きめ(それでも10センチ)のぬいぐるみ三匹を今からアマゾンに発注するところ。一匹は美子の添い寝用、もう一匹は愛に、そしてもう一匹はお爺ちゃんの遠い先祖だよ(まさかウソですよ)と川口の孫たちに上げるつもり。

https://monodialogos.com/archives/187
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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辺境・混血こそタカラ への2件のフィードバック

  1. 只今県立図書館より借りてきました「原発禍を生きる」を読んでいます。
    バッカメキがアイヌ語でないのかということで、国有林の中のいわゆるバッカメキを思い出しました。当時私は馬場温泉富の湯に泊まっていて、国有林内の送電線工事建設を担当していました。福島~南相馬(変)までの送電線です。
    私は東北電力福島支店に勤務していまして毎週富の湯に通っていました。足掛け6年ほど滞在しまして、山木屋から、比曽・長泥を通って小高に抜ける26kmほどの国有林を伐採して送電線を建設しました。
    バッカメキには原町営林署の作業所がありました。国有林の中の道路を馬場温泉から山木屋まで何度も往復していました。これから読み進めてまいります。よろしくお願いいたします。

  2. 富士貞房 のコメント:

    中山裕二様
     談話室にようこそ。そうでしたか、福島~南相馬までの送電線の建設に携わっておられたのですか。ありがとうございます。
     その頃でしょうか、ボーイスカウトのテント合宿の折にその不思議な地名と出会い、印象深く記憶してました。アイヌの南限はおそらく茨城あたりまであったようです。伊藤久男の『イヨマンテの夜』なんて歌も一時流行りましたね。。
     どうぞこれからも時おりお気が向いたら談話室にどうぞ。

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