老いたる道化王

一昨日、いつものアマゾンからのものではない、かなり大きな小包が届いた。縦横ともに40センチ、厚さ5センチほどのかなりの重さ。送り主の名前を見てすぐ合点した。そうだ銅版画だ!
 郡山市在住のメゾチント版画家・岩谷徹さんからの贈り物だ。急いで開けてみると案の定、頑丈な木枠の画面いっぱいに広がる白地の中央に縦横15センチほどのカラー版画 “Roi du Pierrot” (道化王)が埋め込まれていた。初めて直に見る銅版画、黒と赤と黄色を主調にしたまるで宝石のように色鮮やかな道化像。
 我がブログの右側の岩谷さんのサイト入り口にメゾチント版画家などと紹介しているが、実はメゾチントなるものがどういうものか詳しくは知らない。この際だからウィキペディアで少し調べてみよう。

 「メゾチント(Mezzotint)とは版画の凹版技法のひとつ。金属凹版にロッカーという櫛のような刃がついた器具で版全体に無数の刻みを入れたり、ささくれ状態の線をつくったりする。さらにその上をバーニッシャーやスクレーパーという金属のヘラのような器具でささくれを削ったりならしたりして絵を描き、刷る際にはインクを細かな刻みに擦り込んだ後に、刻みのない部分からは拭い落とす。これにより、刻みが残っている部分はインクの色が濃く現れ、刻みが削られたりならされたりした部分は白く浮き出るという効果が得られる。微妙な明暗の加減を楽しむことが出来るとされる。」

 なるほどと言いたいが、それでも良くは理解できていない。つまりそうして彫り上げた銅板からどうやって版画ができるのかが分からないのだ。つまり版画一般の作り方がそもそも分からないのだから手に負えない。
 いや技術的な詮索などは止めて、ともかく目の前の銅版画を鑑賞するにしくはない。ふつう道化そのものの滑稽さに目が行くが、しかし道化の本質は悲しみではないか。岩谷さんの描く道化王も深い哀愁を湛えている。銅版画の下方には確かにフランス語で道化王と書かれてはいるが、しかし送られてきた外箱には肉筆で「老いたる道化王」と書かれていた。矍鑠としておられるが現在81歳のご自身に道化王を重ねられたことは間違いない。それで氏にこんな礼状を書いた。

 前略ごめん下さい。
 びっくりしました。思ってもいなかった素晴らしい贈り物です。正直申せば、御作品を直に拝見したい、できうるならいつかそのうちの一点でも手に入れたいと願いながらも、美術品を購入する機会など一度もなかったものですから、どういう手続きが必要なのか見当もつかず今日に至っていました。
 我が家は亡母が作った二つの棟からできており、その新棟には息子一家、少し段差のある渡り廊下で繋がる旧棟に私たち老夫婦が住んでおりまして、その旧棟をいつからか「呑空庵」と名付けております。呑空、D・Q、つまりドン・キホーテの庵と洒落たわけです。
 今回いただいた銅版画「老いた道化王」は、その旧棟応接間の、ちょうど来客の正面になるよう配置させていただきました。下手な写真同封致します。
 さきほどドン・キホーテに触れましたが、ドン・キホーテこそ道化の極致ではないでしょうか。いつからかこのドン・キホーテが、大げさに言えば私の全思想、全生涯を統括する者になっていました。
 岩谷さんのブログを読んでいていつも思うのは、豪胆・果敢な生き方の底を流れる不思議な悲しさです。まさにドン・キホーテの生き方を実践されてこられた方と思ってました。
 今までいただいた何枚かのハガキに描かれた道化その他の人物たちにもその悲しみがにじみ出ています。それらハガキ、もう何枚になりましたでしょうか、いつか額縁に入れて飾りたいと思っているうち、今回のさらに豪華な贈り物でした。我が家の家宝として大事にします。
 最近のブログでしきりに老境について書かれていて、先輩より少し年下の私ですが、いちいち共鳴しながらも「先輩、頑張って下さい、私も見習いますから」とつぶやいています。
 少し長話になりましたので、今日は御礼の気持ちを再度お伝えしてこの辺で失礼します。どうかお元気で、そして賢夫人にもどうぞよろしくお伝えください、寝たきりの妻の介護で生涯お会いできそうにもないことが残念ですが、しかしいただいた絵を毎日眺め、そしてブログを読ませていただくことで満足しましょう。

五月十五日

岩谷 徹様

 追伸 私にとっては唯一と言ってもいい美術論を見つけましたので、恥ずかしながらコピーお送りします。二〇一三年、県立美術館で開催されましたスペインの造形作家ホセ・マリア・シシリアさんのカタログに依頼されて書いたものです、ご笑覧下されば幸いです。


※ 文中、「賢夫人」などと書いたが、30年近くもパリでの修行を兼ねた(というより終始修行に明け暮れた)ご夫婦の生活を支えた奥様に心からなる敬意を感じていたからだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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