Man on wire

先日、と言っても既に先々週のことだが、こんなニュースがネット上に流れた。
「多くの人でにぎわう11日夕方の東京・新橋駅前で、横浜から遠足に来ていた300人ほどの女子高校生のうち7人が具合が悪いと訴え、一時、騒然となった。7人は過呼吸とみられ、数人が病院に搬送されたということです。」どうやら集合時間に遅れて先生に叱責されての結果らしい。
 過呼吸、私が覚えている用語では過換気症候群である。辞書にはこう出ている。「神経症や呼吸中枢の異常により、発作的に過呼吸を行ったため、血液中の二酸化炭素濃度が低下して起こる一連の症状。呼吸困難・胸痛やしびれ・痙攣などがみられる。」
 なぜこんなことを書いたかというと、大昔、スエーデン船籍の豪華客船に夫婦で無料招待され、シンガポールからバリ島など観光地巡りをして、竜宮城帰りの太郎さんよろしく、八王子の陋屋に帰ったその晩の夕食時に、美子が突然呼吸困難に陥り、救急車で病院に搬送され、過換気症候群です、と診断されたことがあったからだ。ただし大事になどならず、担当医師から、こんどこういう状況になったときは買い物袋でもかぶせてやって下さい、と笑われた。なんでもこの病気というより発作が有名になったのは、やはり千葉かどこかの女子高校生の一団が修学旅行からの帰途、東京駅でこの発作が起こった時以来らしい。つまり思春期の女の子のように感受性の強い人に起こる発作。ということは私も感受性が鋭いのよ、と後から美子が弁解したが、今でも一年に一度くらいの割でこの発作が起こる。しかし例の弁解もできない今の美子にとって辛い発作であることには変わりがない。しかし私など慣れたもので、袋はかぶせないが、「ダイジョーブ、ナンデモナイヨー」と肩を撫でながら繰り返し言っているうちに次第に収まってくる。
 いやこんな取り留めのない話を最初に持ってきたのは、これから書こうかな、と思っている話もそれこそ取り留めのない話、てゆーか(いやな言い方!)妄想に近い話なので、一種の煙幕効果のためである。
 話の発端は、最近思いがけない方から思いがけない連絡が入ったことである。「岩手未来機構」の事務局長■さんからの以下のような内容のメールである。


 スペインの芸術家 JOSE MARIA SICILIAさんが先生と対談をさせて頂いてから、5年が経ちました。あれから後も JOSE MARIA SICILIAさんは、年に二度から三度東北の被災地を訪れて、ワークショップを継続していらっしゃいます。
 そして今は、岩手 宮城 福島の各所で食と融合の表現をされておりますが、スペインの科学者 JUAN KNASTERさん、同じくスペインのフードプロデューサーのMIGUEL DE TORRESさんがその活動に合流し、母国から遠く離れた被災地の活動に協働されておいでなのは不思議な思いが致します。
 このワークショップは 人・食・科学の3つから成り立っており、その中でJuan Knasterさんは、原子力発電の今回の事故が 分裂によるリスクを伴った為であることに触れ、今後は融合を用いたエネルギーの必要性を説いています。興味深い事に、この融合のエネルギーとは太陽や星が発しているものであり、その成分は私達人間の成分とほぼ同じなのだそうです。
 この融合をテーマに Miguel de Torresさんが美食学に基づいた食事を調理されます。
 実はご相談させて頂きたいのは、この食事についてでございました。JOSE MARIAさんはこの食事の意味を “同じ料理を作っても今日と明日では別のものである。今この瞬間を感じてほしい。私たちは過去でもなく、未来でもなく、今を生きている。地震も福島で起こったことも、他の災害もまた『今』の出来事の連続である。私たちはそれらを忘れることはない” との思いを込めて岩手で提供致しましたが、福島で始めるにあたり、先ずは先生にご自分の思いをこめて召し上がって頂きたいのだそうです。
 JOSE MARIA SICILIAさんの思いをお汲み取り下さり、ご検討を賜りましたら幸いでございます。


 もちろん二つ返事で応諾の返事を出した。先ほど「取り留めのない話」と言ったのは、■さんからの申し出そのもののことではない。確かに「食」をめぐるワークショップの趣旨は少し分かりにくいが、しかし我が家に来てくださり、実際に料理を我が家の台所で作ってくださるなんてことは願ってもない嬉しい話で、決して取り留めのない話ではない。「取り留めのない話」はこの思いがけない話から、黙居・独居老人の脳髄に浮かんでは消え、消えては浮かんでくる想念・妄想のことである。
 先ず驚いたのは、この「岩手未来機構」という特定非営利活動法人という組織そのものである。今まで全く知らなかったが、調べてみるとなかなか面白い組織である。以前、被災地からの要望で、家族が泊まれる施設が欲しいと言われ、ブルートレイン(寝台車)を3台被災地に運んだ事もあったそうだ。「女性だけのグループですと、後先考えないからでございましょうか 笑」との■さんのコメントが付いていた。
 いや私が最も共鳴したのは、組織の目標を掲げた木村要一理事長の次の言葉である。

大地震発生から7年が経過する中、被災各地域での物理的な復興は遅まきながらも進んでいると言えますが、「心の復興」未だしの感があります。 それどころか、物理的な復興が進めば進むほどに老人や子供たちの心の回復の遅れが露わになってきていて、こうした問題の取り組みの不足が露呈してきました。 老人や中高年の人たちの自尊心と誇りの回復、地域の活力をもたらす雇用の確立、明日を担い将来への希望を確実なものとする子供たちの育成。これらの3点は、今私たちがその実現を目指す大きな課題であると考えます。

 実は28日(月)の午後二時からラジオ福島で5分ほど話す(電話口で)ことになっているが、その時話そうと思っているのは、我が福島県知事の施政方針に対する辛口批判である。つまりここでも書いたことであるが浜通りをシリコン・バレーを真似たロボット・バレーにしたいなど、想像力の貧困をもろに露呈しているのに比べて、この未来機構の目指すところははるかに賢明であり温かい。
 先ほど名前の出たホセ・マリア・シシリアさんがいつのまにか(と言ったら失礼だが)この未来機構の顧問になっていたことも意外だったが、さらに驚いたのは、彼と並んで同じくスペイン出身で現在はアメリカで活躍しているマグダレナ・ソレ(Magdalena Sole)さんが顧問になっていることだ。と言って今回、■さんから彼女があの “Man on wire” でアカデミー賞を受賞したプロダクション・マネージャーで写真家として著名であることを初めて知ったのだが。同名の映画については何となく記憶に残っていたが、その彼女が未来機構の顧問だとは、まったく意想外のことだ。
 シシリアさんもこのマグダレナさんも、日本ではほぼ無名ではあるが、しかし世界的には著名な芸術家を二人も顧問に据えるとは、未来機構もなかなかやるなーと感じ入っている。
 かつて、もしかして今も、「日本のチベット」などと揶揄されてきた岩手県だが、しかしこの先見性、革新性は見事ではないか。今はやりの言葉で言うとディープ東北だからこその革新性かも知れない。第一、宮沢賢治を生み、遠野物語の舞台である。そこへ行くと我が福島県は浅い東北、中途半端な東北、自分の足元を見るより視線は絶えず東京を向いている。
 もはや死ぬまで盛岡や遠野、花巻を訪れることもないと思うが、しかし私にとって必ずしも無縁の土地ではない。なぜなら母方の先祖は八戸、つまり南部藩として、文化的に津軽よりむしろ岩手に近い八戸の出だからである。しかし先ほども言ったようにおそらく死ぬまで岩手県を訪れることはないだろう。とこう書きながら、実は或る人の姿を探している。遠野に実家を持ち、時おり帰省している人、そう盟友・立野正裕さんである。
 この歳になると個別の手紙つまり私信と、こうやってブログに書くこととを区別するのは面倒になってきた。誹謗中傷さえ書かなければ、何も私信とこうやって多くの人に読まれる文章とを区別する必要はないのでは、という考えに大きく傾いている。
 はっきり言おう、立野さん現在は川崎に住んでおられるけれど、どうでしょう、今度遠野に帰られるとき盛岡の未来機構の人たちと会っていただけませんか。私は終生1キロ四方の世界から外に出ることは出来ませんが、立野さんは先日もブルガリア旅行から帰って来たばかりとか。佐々木の盟友として、岩手未来機構と一緒に何か面白いことやりませんか。
 実はこのブログの隠れたターゲットはもう一人、そう今日も、いま来日中のマグダレーナ・ソレさんと行動を共にしている島口さんです。ぜひ立野先生も仲間に入れてくださいませんか。昨夜のメールだと、私の私家本を揃えた「呑空庵コーナー」が事務所の一角に作られたとか。そこに『遠野物語を読む』など立野さんのたくさんの著書も一緒に並べてもらおうじゃありませんか。
 本当は私の妄想はさらに飛んで、マグダレーナさんがプロデュースした『マン・オン・ワイヤー』(畔柳和代訳、白揚社)をアマゾンから安く手に入れたので、それを読みながら綱渡りに命を懸けたフィリップ・プティの生き方に何か惹かれている私という人間について書きたいと思ったのだが、読んでいないうちにそれは無理な話、と諦めたところ。
 ともあれ今日あたりマドリードでシシリアさんと会われているはずの岡部さんという方が私のスぺイン語版作品集『平和菌の歌』(表紙が例の「焼き場に立つ少年」)を渡して下さり、また今日、■さんが同書をマグダレーナさんに渡してくださる予定でした。さて蟄居老人としてはこうして他人様のお手足をお借りしつつ、何とか外界と繋がろうとしてますが、立野さん、■さん、どうかこの不自由な老人の意を汲んで、お二人お友だちになってください。
 最後はお二人へのラブコールになるという摩訶不思議なというか、しっちゃかめっちゃかなブログになりましたが、悪意はありませんのでどうかそこんところはよろしくお願いいたします、はい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

Man on wire への2件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    おはようございます!まったくもって素敵なお話し盛りだくさんのモノディアロゴス。先週の北海道新聞にて、呑空庵主の1キロメートル四方から世界に語りかける平和のドン・キホーテならぬ師匠の思考を深め、広げる行動力が紹介されました。そして、今回の話題。スペインと日本のお仲間からの提案もさることながら、先生がトントンとリズミカルにまな板の上で大根を切るがごとく、進んでいくプラン。もう、ワクワクドキドキが止まりません。残念なことに、繊細さに乏しい私は、過呼吸には及びませんが…(笑)。

    立野先生の呑空庵書籍のコーナー、素敵ですね。私もマネさせていただきます!

    十勝の大地は、いもの植え付けも終わり、秋まき小麦が背丈を伸ばしています。今日のラジオ、たのしみですね。FBにてシェアさせていただきますね。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずささん
    今日の短い放送内容は、福島県の内堀知事がロボットバレーなんて構想を打ち出しましたが、ロボットの名付け親チェコのチャペックはむしろ人間のエゴイズムと科学技術の結託で人類が滅びるという趣旨の作品なのに、日本ではただひたすらバラ色の未来予想図を描いているのは愚かだということが主旨でした。お粗末。
     今日は電話口で、しかも難聴なので、菅原美智子アナウンサーの質問が良く聞こえず、後から今度は収録にしましょうね、と連絡が来ました。心臓弱い方ではないのですが、即座の応答はやはり難しい。今日の放送の音源、メールで送れるようなことできるんですか、と聞いたので、万が一それが可能ならメールでお送りしましょう。
     あゝ、北の大地は今が一番いい季節ですよね。もう行けなくなりましたが、でも想像力を働かせて、廃線になった士幌線で萩が丘、その少し前があなたの住む士幌、そして勢多までたどってみましょう。

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