平和菌の伝道師

今朝7時半(あっもう昨日になってしもた)、いつものように隣のベッドの美子に声をかけながら起き上がったとたん、大きく体が右に傾いて、かろうじてベッド・フェンスにつかまって転倒を免れた。こんな経験は初めて。なんとかトイレには行ったが、戻ってきても目まいがとまらず、椅子に腰かけて落ち着こうとしたが、そのうち吐き気を催し、傍のごみ籠にたまらず吐瀉。といっても内容があるわけでもなく液体だけ(スミマセーン、のっけからバッチイ話で!)。
 でも不安なのでクリニックの石原先生のケータイの方に電話をかけ指示を仰ぐと、それは内耳の何とか(難聴のため聞き取れず)の異常でしょうから安静にしていれば落ち着きます、とのありがたいお答え。事実、ネットで調べたらこんな記事(朝日新聞デジタル > アピタル)が見つかった。誰かのお役に立つかも知れないのでそのまま引用させていただく。

「76歳の女性。夜、椅子に座ってテレビを見ていたら突然、部屋中が回っているように感じ、2時間ほど吐き気が続きました。その後も下を向いて新聞を読むなどすると気分が悪くなります。耳鳴りや頭痛はありません。どんな治療があるのでしょうか。(広島県・A)

【答える人】 堤剛(つつみ・たけし)さん 東京医科歯科大学耳鼻咽喉科学講座教授=東京都文京区
【質問】どんな病気が考えられますか。【答】 頭を動かした拍子に最初の発作が起きたなら、良性発作性頭位めまい症が考えられます。ぐるぐると目が回り、吐き気を伴うことがありますが、安静にしていると、めまいは通常、数十秒以内に消えます。頭を動かしていないのに回ったり長時間続いたりしたのなら、その他の内耳障害の可能性があります。
【問】原因は? 【答】耳の奥には、「耳石器」と「三半規管」という体のバランスを保つための器官があります。良性発作性頭位めまい症は、耳石器にある耳石という小さな結晶が、三つある半規管のいずれかに入り込み、頭の位置を変えるときに半規管を刺激することで起きると考えられています。診断にはまず、発作時の症状を詳しく聞き取ります。必要に応じて体のバランスや眼球運動の検査をします。
【問】治療法は? 【答】医師が患者の目の動きを観察して頭をゆっくり回転させて耳石をもとの場所に戻す治療法が有効です。頭を動かした時に起きるめまいの症状が軽い場合、頭を動かさずにいるとかえって長引く可能性があるので、あまり怖がらずに動くほうが症状の改善も早いとされます。吐き気には酔い止め薬などを使います。
【問】他の病気の可能性は? 【答】二重の水風船のような構造をしている内耳の内側が水ぶくれ状態になることで起きるメニエール病、ウイルス感染が主な原因となる前庭神経炎でもめまいやふらつきは起きます。いずれも発作が持続するのが特徴です。治療にはメニエール病では利尿薬、前庭神経炎ではステロイドや抗ウイルス薬を使います。」

 なるほど。となると吐き気は長く続いたが、耳石と三半規管の異常か。ずっと昔、作家の安岡章太郎さんがメニエール病で入院なさったときのことを思い出したが、今回の私の場合は幸いそれではなさそうだ。
 このまま続けると先日のボヤキに続いてナゲキ節になりそうなので、この話はここまで。

 次は表題の説明に移る。
 例の平和菌拡散運動は飽きることなく続けているが、徐々にその賛同の輪が広がりつつあるのは誠に嬉しい。以前お約束したように、今朝のような目まいなどにもたじろがず手が動く限り死ぬまで豆本製作を続けるつもり。サバを読まずに現在の実数は、拡散済みのものと手元にあるものの合計は、日本語版2,604冊、スペイン語版423冊である。そして我が心意気に助力を申し出てくれる人や組織が引きも切らない(それは大げさ、というよりウソ)。
 戸嶋靖昌記念館の執行草舟さんと安倍三崎さん、そして立野正裕先生は別動隊(?)だが、これまで先陣争いを展開してきたのは呑空庵十勝支部の佐々木あずささん、事務局に呑空庵コーナーを創設してくださった岩手未来機構の島口修子事務局長、その他名乗りを上げてはいないが実質的には立派に支部の仕事をしてくださっている沢山の方々がおられるが、今回は年の功と言っては失礼だが(確かに私より少しだけ年上)仙台支部の中西圭子さんのご活躍をご紹介しよう。
 中西さんは元幼稚園園長さんだけあって交際範囲が広く、個人だけでなく組織とも繋がりを作って下さっている。最近では仙台白百合女子大のカトリック研究所や日本基督教団の西仙台教会など宗派を問わず友人たちを見つけて下さった。豆本配布だけでなく、十勝支部や岩手未来機構同様、呑空庵発行の私家本の無料貸し出しまでして下さっている。ちなみに豆本の拡散状況を調べると、14+4+40+20+20+20+15+10+10+10+10+20=183、という具合にこれまで183人(足し算に間違いなければ)の平和菌宿主を作って下さったわけで、支部というより本部の西内祥久さんの153冊をはるかに越えている。小刻みの数字が示しているように、これは街頭でティッシュを配るように配布したのではなく、個別に一人一人とお会いし、しかもその趣旨を縷々説明したうえでの拡散であるのは誠に天晴れである。
 だから私は密かに、しかしここに明記した以上今日から公に、中西さんに平和菌伝道師の尊名を奉ろうと思う。
 先ほど彼女の交友関係が広いと言ったが、その実例、しかし悲しい話になってしまうのが残念だが、彼女の友人の一人に高槻市のお寺の住職さんがおられ、その住職さんと豆本のことを話しているときに分かったのは、その娘さんのお友達が今回の悲劇の犠牲者だということだった。つまり登校途中のブロック塀倒壊の痛ましい犠牲者・小学4年生の三宅璃奈(9)ちゃんの親しいお友だちだったそうだ。小4といえば我が家の愛と同じ学年、それでなくとも胸が痛い事件がさらに痛ましく感じられてならない。
 中西さんの交友関係の広さをご紹介するつもりが、最後にこんなに悲しい話までして申し訳ない。でも瑠奈ちゃんのご冥福をさらに身近なこととして祈っていただければそれに越したことはない。
 今回もまたナゲキ節から真面目なお願いまで、どうもお騒がせしました、勘弁してください。

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 隣りの「談話室」にモノディアロゴス君の馬主・野嶋さんからの嬉しいニュースが届きました。ご覧ください。
**追加情報 モノディアロゴス君の父: ロードカナロア 母: プリンセスルーシー(Strategic Prince、色・牡2/鹿、貯教師・松下 武士(栗東)、騎手・北村 友一 体重54.0kg

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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