昨日曜日の午後、韓国から小包(EMS)が届いた。前回は K さんなどと頭文字でご紹介したが、終生の友となった彼のことはぜひ本名で呼ばせてほしい。彼もきっと許してくれると信じて。そうヨセフ金永泰さんからの待ちに待った贈り物である。ちょうど頴美も愛もいた時なので、三人で包みを開いた。目に飛び込んできたのは、永泰さんが美子と私のために毛糸で編んでくれた4足の素敵なソックス。私など編み物などしたことはないが、その私でもこれが手練れの編み師の作であることは一目で分かる。
人さまからのもらい物を自慢したことはないが、しかし今回だけはぜひご紹介したい。先ずは写真でお眼にかけよう。(いつもの通りクリックすると大きくなります)
永泰さんの説明によると、編み物を始めたのは2年ほど前からで、幼い頃母上がいつも編み物をしているのを見て育ったせいか興味を持ち、グーグルのサイトやユーチューブ動画で習ったそうである。
さらにこうも言っておられる。
「奇しき因縁でしょうか、 母は当時、 隣に住んでいた日本人の奥さんに編物を習ったと言ってました。」
美子は寝たきりのため血の循環が悪く、時おり、特に左足先が冷たくなっていることがあり、これから重宝しますという当方のメールに対して「何よりも、よしこ様に少しでも助けになるのであれば、逆に私の方が感謝します。」
ごらんの通り写真上の二足は私のため、下の二足が美子のためであるが、美子のためになぜその二色を選んだかは、以前のメールでこう説明していた。
初の作品はマリア美子様の靴下です。
“幼い肉声が坂道を降りていく。急に視界がぼやけ、鼻根が熱くなった。あの幼女はいつか思い出すだろうか、曇り空の公園のベンチに坐って自分の踊りを見てくれたあの老夫婦を。すべての思い煩いから解き放たれて、一瞬の中に永遠をかいま見たあの老夫婦のことを。あれは大震災のあった年の夏の初め、公園を囲む土手に、むらさき、薄むらさき、そして薄いピンクの紫陽花が咲いていたあの午後の公園のことを。”
先生様の「原発禍を生きる」七月二日の文章の中であの夏の初めの色が胸に深く残っており選択をしました。わたしはあじさいが好きです。
どうです、引用されている私より彼の方が遥かに詩人ではないだろうか。しかもこれは永泰さんが日本語版を手に入れる前、つまり韓国語版からの翻訳なのだ。
写真では読みにくいが、名札状の紙片には、「その年の夏、夜ノ森公園のアジサイ。マリア・ベルナデッタ美子様」、そして「呑空庵の恋歌 フランシスコ・孝先生様」とある。
参りました、脱帽です。美子も私もさっそくソックスを履きました、美子は薄紫色、私は濃いめのチャコールグレーを。
永泰さん、ありがとうございます、今年の冬はお陰様で暖かく過ごせます。毛糸のソックスのおかげでもありますが、それ以上に永泰さんの愛情あふれる温かな思いやりに包まれて。
お写真を拝見し、先生が「手練れの編み師の作」と言われるように実に素敵なソックスだと私も思います。美子奥様のソックスの色を先生の文章の一節の紫陽花から選ばれたこと、しかもその花を金さんも好まれているというところも素晴らしいことだと思います。また、翻訳も、私も好きな文章なのでそう思いますが、先生が書かれた文章と勘違いするぐらいお見事です。手間をかけ、心をこめ、ていねいに手編みで作られたソックスへの先生の感動は、文章を拝読した私にも確かに伝わってきます。
兄い殿
私は金さんの文章は、私の大好きな「カルペ・・ディエム」からの引用だとばかり思ってしまいました。「原発禍を生きる」の韓国語から、こんな素晴らしい魂の(というよりほかありませんよね)交流がうまれるなんて、人生ってたまらなくいいもんだ、と思える一刹那ですね。心から「兄い、良かったですね」と申し上げたいです。
見るからに暖かそうな靴下ですこと!