冒険者たち(二)

アラン・ドロンを「軽い」などと片付けて、ドロン・ファンを敵に回したと思うが、正直いって、後年それなりに重さが加わったにしても、『太陽がいっぱい』のあのアンチャン風はどうしても消えない。アンチャンで連想するのは石原裕次郎。これまた裕次郎ファンの激怒を買いそうだが、彼も最後までアンチャン味が消えなかった。ところでドロンとバンチュラとの対比で思い出すのは、1957年の『鷲と鷹』での裕次郎と三国連太郎とのそれである。
 その後見る機会がないので、話の筋はすっかり忘れたが、いわゆる海洋活劇だったと思う。勝負は初めからついていた。三国連太郎の方がはるかに男らしく魅力的なのだ。裕次郎を売り出すつもりだったら、明らかにミスキャスティングだったろう。
 バンチュラに話を戻すと、彼は1919年の生まれで、1987年には死去となっている。フランス映画そのものがあまり見れなくなって久しいが、死んでいたとは知らなかった。もっとも生きていたとしても今じゃ91歳、とうぜん引退していたであろうが。
 男同士の友情、ということなら、昨日、たまたま『冒険者たち』のすぐあとに変換した『海辺のレストラン』がまた素晴らしい。他のことをしながら飛び飛びに見ただけであるが、とある海辺にたどり着いた二人の男が、だれかに置き去りにされた老婆や、物乞いで暮らす子持ちの若い女などとボロ家具を集めて海辺にレストランを開店するまでの人情話である。
 原題は二人の男の名前をとった『ガスパールとロバンソン』、1990年のフランス映画、出演はジュラール・ダルモンとヴァンサン・ランドン、そして老婆役はシュザンヌ・フロン。子持ちのその若い女をともに好きになった二人の男のうち、少し年上のガスパールがロバンソンに譲るかたちで、黙って出てゆくラストが憎い。
 確かチャップリンの映画にもそんなエンディングがあったと思うが、必死に彼を探しに駅に走るロバンソンの裏をかいてか、逆光の夕陽の街道を一匹の犬を連れて去ってゆくガスパールの後ろ姿に、口惜しいけどホロリとさせられる。差別ととられても仕方がないけど、男同士の友情、侠気(おとこぎ)、絵になりますねえ。
 ところでこの映画、例によって2000年ごろ、スカパーの名画チャンネルから録画したものだが、ネットで調べると、どうも劇場公開はされてないらしい。そしてタイトルも『ガスパール 君と過ごした季節〈とき〉』となっている場合もある。監督は『モンド』(1995)『ガッジョ・ディーロ』(1997)『ベンゴ』(2000)など(いずれも見たことはないが)でロマ族(ジプシーの自称)など流浪の民を描いたアルジェリア系ロマ族出身のトニー・ガトリフとあって、なるほどなあ、と深く納得させられる。
 1980年夏、家族と一緒のスペイン旅行中、サラマンカからマドリードに向かう車の中で、馬車に家具などを山積みにして街道をゆくロマの一家を見たことを思い出す。流浪の民(今じゃ定住を余儀なくされているようだが)ロマ族ばんざい!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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