2. 生の喜劇的感情――架空インタビュー(1977年)



生の喜劇的感情――架空インタビュー



 かつてある新聞のインタビュウに応じたことがある。記者氏とすっかり意気投合、三時間ばかり愉快に話し合ったが、できあがった記事を見て驚いた。嘘はひとつも書かれていないのだが、つまり私の言わなかったことはひとつも書かれてはいないのだが、全体の内容は私の言わんとしていたこととはまったく別物になっていたわけだ。おそろしいものだと思った。そして新聞などに載っている同種の記事は、これからよほど注意して読まなければならないな、と改めて思い知った。比較的安全なのは、インタビュアー(会見記者)をこちらで勝手に想定して〈それに応える〉という形で意見を発表するという方法だろう。何のことはない、ひとり言である。以下〈まともな文章〉を書けないままに、ひとり言でお茶をにごすことにする。

「先生、お仕事は順調ですか」
「お仕事? ああ、お仕事ね。あまり順調でないな。もっともお仕事って何のことか自分でもはっきりしないが。先日も友人が訪ねてきて同じ質問をしてね。それで、何やかややるにはやっているが、どうも張り合いがなくてね、スペイン思想を紹介したって別にどうってことはないし、って返事したら、彼氏一瞬びっくりしたようにこちらを見たね。これスランプなのかな。しかし昔からこうだった気もするから、これはスランプなんてものじゃなくていわば常態かも知れないな。スランプが常態というわけかな」
「なさけないですね。学生にもその無気力がうつりますよ」
「そうだね、それは注意しなくちゃ。若い人にはがんばってもらわなくちゃね」
「先生、それ老化現象じゃないですか」
「そうかも知れないな。でもね、正直言って自分が年をとっている、という感じはほとんどないね。ときどき自分が何歳だか、本当に分からなくなるものね。ほれ、こうして話しているいまだって、自分が何歳なのか……」
「昭和十四年生まれですから、三八歳ですよ」
「三八歳か、早いものだね」
「そんな他人事みたいに。人生のちょうど真中にさしかかったんですから、ライフ・ワークの構想でも立てないと」
「ライフ・ワーク? 可愛い顔をして恐ろしいことを言うね、君は。ライフ・ワークね、こわい言葉だね」
「こわがってばかりいたって仕方がありませんよ。教室で学生にもときどき言うでしょう、人生はおのれの小説を書くこと、ノベラールすることだって」
「そう、ウナムーノの言葉としてね。人間の真骨頂は、その人が何になりたいかにあるという意味だね。その理想と、そして現実のあいだのギャップから生の悲劇的感情が生まれるわけだ。しかしね、その同じウナムーノが人生で大切なのはパサール・エル・ラト、つまり時をやりすごす、あるいは暇つぶしをすることだ、とも言っているからね。これが生の喜劇的感情というやつさ」
「どっちが本当なんですか」
「どっちも本当さ。というより、どっちも結局は同じことを言ってるんだな。たとえばパサール・エル・ラトのパサールという言葉は、同時に耐える、たえ忍ぶという意味があるからね。つまり生の無意味さに耐えるというわけさ」
「それじゃ人生は無意味だというわけですか」
「いや、そう言い切ってしまえば嘘になる。生は無意味かも知れないが意味を見出していく、創り出していくことに生の意味がある、と言い換えてもいい」
「何だか禅問答みたいですね」
「そうさ、人生は禅問答さ。悲劇的感情と喜劇的感情の絶えざる争い、と言ってもいいし、緊張をはらんだ対話と言ってもいい」
「人生は悲喜劇というわけですか」
「そう、いいことを言うね君は。人生はトラヒコメディアである。そこまで分かれば、スペイン文学の神髄に触れたわけだ」
「でも先生はどちらかと言えば、むしろ喜劇的ですね。深刻なこと言っても目が笑っているし……」
「それは君、僕の人の善さのしからしむるところさ」
「と言うより、甘さ」
「きついね」
「話を本筋にもどしますけど、お仕事の方は?」
「うまく話をそらしたと思ってたが、やはり駄目か。教師としての仕事は……ま、これは君の方が良く知っているから抜かすとして、今年は何とかオルテガ論を一冊にまとめたいね。本当は昨年書くはずだったんだけど。それに、君たちの先輩とやっているライン・エントラルゴの『九八年の世代』と、マダリアーガの『イギリス人、フランス人、スペイン人』の翻訳、二つとも三分の二くらいまで来たから今年中に完成させたい。スランプ、スランプと言わないで、ともかくこつこつやることだね」
「生の悲劇的感情とか何とか言って、結局先生なまけ者じゃないんですか」
「ちょっと君、それは言いすぎだよ、僕でさえそんな風にはとても言えないよ。いやまてよ、案外それが当たっているかなあ。僕の母は田舎で一人で暮らしているんだがね、この母が僕と正反対の活動家でね。で、いつも電話で言うことといえば、なわとびしろ、ランニングしろ、野菜食べろ、ってことばかりでね」
「今度トマト・ジュースのコマーシャルに出してもらったら?」
「アッハッハッ、良く言うよ」

   
清泉女子大学スペイン語スペイン文学科西文学会機関誌
「FUENTE」、第十号、一九七七年