19.「サロン」担当者へのお願い (2003年)



「サロン」担当者へのお願い



 この四カ月ばかり、貴紙「サロン」欄を通じて地元の皆さんに語りかけるという新しい体験をさせていただき、ありがとうございました。私なりに楽しく書かせていただきました。
 さてお礼の後にお願いというのは心苦しいのですが、この機会に執筆者の一人として感じたことをぜひ述べさせてください。
 実は、毎回拙文の掲載号を見るのが少しばかり怖かったと申し上げなければなりません。というのは、毎回なにかしら文章が微妙に変えられていたからです。具体的に言えば、たとえば接続詞が省略されているなどのことで、別に他の言葉や文章が加えられているわけではありません。ですから文意そのものにさして変化があるわけでもないので、ことさらお願いにも及ぶまい、とその都度意見することを控えてきました。
 しかし今回は最終回なので、最後だけは気持ち良く拙文を見たいものと思い、ファックスでの原稿提出の際、次のようなメモを添えさせていただきました。
「…毎回少しずつ文章が変えられていますが、字数制限以外の理由での改変については一言相談していただけないでしょうか。今回はそのためもあって、一行少なくしておきましたが。よろしくお願い致します。」
 拙文が掲載された日、ちょっとばたばたしておりましたので、読んだのは夕食後でした。一読して前半部に一部省略箇所があることに気づきましたが、これは字数の関係で仕方ないのだろう、と思いました。しかし最後の段落での省略には、どうしても遺憾の意を表さずにはいられないと思いました。明らかに文意が変わっているからです。
 「『新相馬節』が大好きだが、でもケーナや…」と「『新相馬節』が大好きだ。ケーナや…」では明らかに文意が変化します。なぜ執筆者が逆接で繋いでいるものを順接に直す必要があったのでしょうか。字数には余裕があるのに。
 つまらぬ話題の些細な変化に目くじらを立てると思われるかも知れませんが、お互い言葉を大事にする仕事に就いているはずです。投稿ならいざ知らず(その際であっても慎重に扱っていただきたいですが)、依頼原稿に対しては、もう少し執筆者の意思を尊重していただけないでしょうか。こんなこうるさい執筆者は以後ごめんだ思われるかも知れませんが、それならなおさら執筆者の一人の最後の意見としてお心に留めていただければと思います。


貴紙ならびに貴「サロン」のますますのご発展を祈りつつ、

二〇〇三年一〇月二十四日
                 佐々木 孝