いつもの通り本の整理をしていたら、生松敬三さんの『書物渉歴1・2』 (みすず書房、一九八四年十二月刊)が出てきた。その年の五月にガンで逝った著者の遺稿集で、親友の木田元氏が編集したものである。「編集後記」によると、著者は余命いくばくもないことを重々承知しながら死の前日まで読書と執筆を悠然と続けられ、あまつさえ死の前年の六月から九月にかけては奥様同伴でウィーンに研究旅行までされている。そしてその際、二〇箱にも及ぶ書籍を購入したということだ。一九八四年五月といえば、私自身は清泉女子大から静岡の常葉学園大に移ったばかりだが、その前年にお便りをいただいて感激したばかりだったので、氏の突然の死に非常に驚いた。ただ新しい任地での雑事にかまけて、氏の死と業績のことをきっちり考えてみることなく今日に至ってしまったのだ。
ところで思想史家として生松さんの令名は早くから知っていたが、より身近に感じられたのは、氏が白水社の『オルテガ著作集』に「哲学とは何か」の訳者として参加されたときからである。もちろんドイツ語訳を参考にはされたであろうが、敢えてスペイン語原本をテキストにした一事にも、氏の学者としての生真面目さが窺える。どうして氏からお便りを頂いたのかは記憶していないが、おそらくこのオルテガに関してのやり取りからでは、と推測される。間違いがなければ、それは丁寧な字で書かれたはがきだったと思うが、今のところまだ見つかっていない。
氏は昭和三年(一九二八年)の生まれだから、亡くなられたときはまだ五六歳である(!!!)。なんという若さだったろう。氏はその対象に関して洋の東西を問わないたぐい稀な思想史家であり、私自身、彼の快刀乱麻を断つ切れ味鋭い文章から大いに刺激され、覚醒された。近代日本の外国思想導入の歴史からすれば、氏がドイツ哲学をその研究の中心に据えておられたのは思想史家として幸いしていたと思うが、しかし彼のような仕事のできる人が次世代から出てきているのだろうか、と考えるとそのあまりに早い死が今更のように惜しまれてならない。
しかし現在の私自身にとってもっとも関心があるのは、死を前にした彼の覚悟に関してである。自分だったらどうであろうか、と考えるとき、あゝまだまだ人間できていないぞよ、と自戒するのである。そして、彼の遺徳を偲んで、『書物渉歴』の背革布表紙の合本を造って合掌するのみである。
(10/31)