魂の叫び
――ホセ・マリア・シシリア展に寄せて
佐々木 孝
美術にはまったくの門外漢である私に、シシリア展へのメッセージのご依頼である。どういう風の吹き回しでこうなったかは、私なりに推測はできるが、しかし最初は本当に困ったという事実をまずは白状せねばなるまい。こういう風に話を切り出していること自体すでに狼狽気味なのである。シシリアさんについては、友人のロブレードさんから教えてもらったわずかな知識しかないし、その作品もネットで見たいくつか、中には制作途中のものを含めてわずか数点しか知らなかったからだ。
しかもその数点といっても、これまで私が漠然とイメージしてきた絵画や彫刻とはいささか、いや大いに様子が違っていた。それで苦し紛れに、かつて読んだことのあるオルテガの芸術論、すなわち新芸術に向かう心得のようなことが書かれている(と記憶している)エッセイを読み直そうとして、はたと気付いたのである。そうだ、私に求められているのはなにも美術評論などではなく、今回のシシリアさんの作品創作のきっかけとなった二年前の東日本大震災、わけても原発事故の被災者の一人としての発言なのだ、と。
しかし被災体験は以前から書いていたブログの一部として既に発表済みで(論創社刊『原発禍を生きる』)、その後それは中国語版(香港・三聯書店)と朝鮮語版(韓国・ドルベゲ出版)を出してもらい、そしてこの五月には、シシリアさんのお国であるスペインでも出版されて(“Fukushima: Vivir el desastre”, Satori Edciones)…、と書いて、そうか私に求められているのは単なる被災体験の報告でもないのだ、とやっと気付いたのである。
こうしてようやくたどり着いたのは、今回の大震災を経験した被災者の一人として、シシリア作品をどう見るか、つまり美術評論でもなく、また単なる被災者の体験記でもなく、被災体験を経た一人の人間の眼にシシリア作品はどう映じるのか、と落ち着いて考えれば当然の結論に至った。なんとか直球勝負を避けようとして、結局はいちばん難しい結論にたどり着いたわけだ。こうなれば観念するしかない。ところが前述のとおり、彼の作品を生で見たことがないのである。どう書けばいいのだろうと困り果てていたところに、思わぬ救いの手が差し伸べられた。なんと四月二十二日の午後、友人のロブレードさんの案内で彼自身が我が陋屋を訪ねてくださったのである。
短時間だったが彼と直にお話することができたし、今度の展覧会用に作られたというDossier なるものもいただいた。そして展覧会のタイトルが原民喜の原爆体験を描いた小説『夏の花』に想を得た『フクシマ 冬の花』であるということも知った。その際、音声を絵や彫刻に視覚化する方法についても説明していただいたのではあるが、しかし私のスペイン語のヒアリング能力不足もあって、正直なところ良くは理解できなかった。ともあれ作家ご本人にお会いし、作品制作の意図なども直にお聞きするという贅沢に恵まれたのに、いやもしかして恵まれたからこそ、私にはシシリア論のハードルは更に高くなったのである。
こうなれば開き直るしかない。いや正直言えば、素手で、無手勝流で相手あるいは敵に挑むことこそ私の生き方そのものだったはずだ。つまり「当たって砕けろ」なら少しは格好がつくが、私の戦法は「砕けて当たれ」である。そう言えば今回の当面の敵とも言うべき原発事故に対しても、同じような戦法を採った。つまり原発とは何か、放射能そして放射線とは何かについてほとんど無知のまま立ち向かったのである。たとえばその放射能と放射線の違いなど、たぶん今では小学生でも分かるような基本的なことさえ分からないし、分かろうともしていないのである。つまり事故以後も、それら敵方の情報など一切調べることもなく今日に至っているのだ。
ともかく初めから肝に銘じていたのは、放射能はサリンあるいは炭疽菌のように即死につながる毒でもないし、ペスト菌のように伝染するものでもないこと、少々なら(そして低線量なら)時間をかけてじっくり攻めてもいい相手だということである(それが逆に恐ろしいと言う人もいるが)。もちろん避難を思いとどまったのは、介護を必要とする妻や、高齢の母の存在のこともあったが、しかしもし原発事故が報じられるよりも深刻なものだとしたら、こんな狭い日本列島を逃げ回っても無駄だろうと考えたことも事実である。つまり敵に対する恐怖を次々と足し算するのではなく、最悪の事態からの引き算をしたのだ。
結局、とっさに決めたこの決断が正しかったわけだが、おかげでまるで定点観測のように、あるいは間隔を置いて撮影された映像を早回しで見るように、あの眼に見えない化け物に翻弄された市民たちの動きをじっくり観察することができた。こんなことを言うと、いかにも他人事として沈着冷静に事態の推移を見守ったように思われ、いらぬ憎しみを買うかも知れないが、実際は妻の介護をしながらのまるで綱渡りのような危なっかしい日々であったこともまた事実である。
思わず被災体験記に深入りしそうなのでこの辺で本題に戻らなければならない。私にとってホセ・マリア・シシリアの芸術とは何かという難問である。ここでまたもやオルテガのひそみ(『ドン・キホーテをめぐる思索』)に倣うなら、難問に対しては、ちょうど旧約聖書のイェリコ包囲戦のように、大きく弧を描きながら徐々に近づいて行った方がいいかも知れない。つまり正門突破ではなく、搦め手からの攻略である。
まずシシリアさんは今回の大震災に対して、つまりその悲惨な事件を表現しようとして、なぜ音にこだわったのだろう、と考えてみる。造形芸術の表現媒体あるいは素材として(果たしてこの問題の立て方自体が適切なのかどうか、それさえ分からないのだが)、素人にもすぐ思いつくのは、先ず色や線であろう。それなら彼はなぜ音声を? 対象が人間、それも姿かたちではなくその内面であるなら、たぶん色や線より音の方がもっと対象に近づけるからだろうか。たとえば、制作途中のものではあるが、南三陸で津波到達の危険を知らせる「遠藤未希」という作品がある。まだ下絵段階だが完成すれば260×250×0.5cmのステンレスの作品となり、天井から吊り下げられ、重さは100キロ近いものになるそうだ。
完成態を目の前にしたと想像してみよう。まずその圧倒的な量感に打たれるはずだ。迫り来る大津波に対する恐怖と焦燥そして絶望の、言葉にならぬ叫び。見当違いな連想かも知れないが、たとえばここにムンクの『叫び』の中の男のように、恐怖のために体をよじった女性の姿を配してみたらどうだろう。いやいや、シシリアさんは人間の姿かたちさえ不要(?)と考え、叫びそのものの視覚化を求めたのだろうか。美術には冥い私なのにムンクなど呼び出したついでに、もう一人、スペインの大画家ゴヤも呼び出させていただこう。数ある泰西名画の中でいちばん好きな絵は、ともし聞かれたしたら、私はしばらく迷った後にゴヤの『砂に埋もれる犬』を挙げるであろう。
なぜ好きか、自分でも判然としない。しかし敢えて言えば、その判然としないところこそが魅力なのだ。つまり泰西名画であれ東洋の名画であれ、いかにも押し出しが立派な、誰もが太鼓判を押す意味明瞭な名画にはほとんど魅力を感じてこなかったのである。それについては過去に、私にとっては唯一の美術論と言ってもいいこんな文章を書いたことがある。
「私の中には、この世のものは全て過程のものである、という牢固たる確信めいたものがあって、何かを完結したものとして提示されると、それは嘘だという声がどこからともなく聞こえてくる。芸術作品とて未完のものにすぎないではないか。だから画家なり小説家なりが、最後の一筆をキャンバスに加えるとき、あるいは最後の文章にピリオドを打つとき、そこには大いなる逡巡、頭の中を吹き抜けてゆく突風のような無念さがあってしかるべきと頑固に信じている。
したがって、完璧な構成と自信ありげな筆遣いを誇っているような絵にはあまり魅力を感じない。 むしろ中途半端に投げ出されているような絵、画家が何を描こうとしているのか分からぬような作品に親近感を覚えてきた。その意味で、ここに取り上げたゴヤの<砂に埋もれる犬>は、比較的に好きな絵の一つである。といって部屋の中にその複製を掛けているわけでもないし、ときおり画集を開いて見るというほどの関係にもない。頭の片隅に染みのようにこびりついている気になる何かであるに過ぎない。砂だか、あるいは荒壁だか分からぬような背景、迫り来る死の恐怖に慄いているのか、それとも生の無意味さにじっと耐えているのか、頭部だけの犬の姿が哀れである。
聴覚を失った七〇歳代半ばのゴヤが、世間から隔絶された<聾の家>の二階の漆喰壁に描いたこの絵は、しかしそうした一切の意味付けと感情移入を峻拒しているようにも思われる。理不尽な生の気紛れに抗い、絶望の中で自由と生を求める人間の姿をそこに読み取っても間違いではなかろうが、それにしては圧倒的な砂の容積。その砂がやがてそうした一切の<意味付け>を徐々に浸食してくるはずだ」
先ほどムンクの絵に触れて、シシリアさんが表現しようとしている「叫び」に人間の姿形はもはや不要で、叫びそのものを視覚化しようとしているのでは、と推測した。その流れで言うなら、シシリアさんはゴヤの絵に描かれている犬さえも不要な「説明」であって、「絶望」そのものを視覚化しようとしているのでは、と言いたくもなる。これは芸術家の創造の聖域を侵す暴言だろうか。もしそうだとしたら恐懼して引き下がるほかはないが、しかし最初に断ったように私は美術にはまったくの門外漢、ならばむしろ怖じずにもう少し私見を続けさせてもらおう。
音楽は聴覚の芸術、絵画や彫刻は視覚(時には触覚)の芸術と一応は言えるかも知れない。とするとシシリアさんが目指しているのは、その二つの世界の境界線を飛び越えての越境なのだろうか。先ほど人間の内面を表現するには、視覚に訴えるより聴覚に訴えた方がより効果的ではないか、と言ったが、シシリアさんはそれさえをも踏み越えて、というかそれを逆手にとって、いったんは聴覚で捉えたものを今度は視覚に訴えようとしているのだろうか。
たとえば津波に襲われた人間の恐怖、絶望感を写実的な画き方で表現したとするなら、確かに被災者の恐怖や絶望感を分かりやすく、そしてある程度は表現することができるが、しかしそれでは恐怖なり絶望なりを小さく限定することになりはしないか。つまり恐怖や絶望の総量は、恐怖によじれた体や引きつった顔をはるかに超え出るほどのものだとしたらどうだろう?
さて唐突ではあるが与えられた紙幅を考えるなら、あやふやな「美術論」はこの辺で切り上げて、そろそろシシリア芸術の本丸に迫らなければならない、つまり芸術家としての彼の哲学に。と言いながら、私は相変わらず必死に搦め手、つまり裏門はどこかを探している。すると彼との会話の中で発せられた一つの言葉が蘇ってきた。そう、「アクシデント」という言葉である。最初これを通常の意味に、つまり原発事故を語る際のその「事故」という意味に取った。もちろんそうではあるが、彼が語るアクシデントにはもっと深い意味が隠されている、つまり哲学的な意味が…そしてここで彼からもらった Dossier に眼が行った。そうだその2ページ目に彼自身の重大な発言が記されていたではないか。
「アクシデントは日々私たちにその姿を現す。それは明らかになるまで隠れている。アクシデントは、時間、瞬間、生命と強く結びついている。全ての物がアクシデントの素材である。時間が全てを破壊し尽くす」
そうだ生は断片でできあがっている。つまり偶然の積み重ねである。だからそれを意味あるものにするには、「紡ぐ」ことが必要なのだが、しかし悲しいことにいま世界は、とりわけ日本は調子のいい言葉が飛び交っているが、それら生の断片を意味ある連関へと紡いでいくことがなおざりにされている。大震災後しきりに「絆」というスローガンが叫ばれた。しかしそれは、奈落の底にある者にとって、またなんと空しく響いたことか。
アクシデントたる生の断片が意味ある連関にまで至らぬとき、それを私は「魂の液状化」と呼ぶ。つまり大地震後、各地に露呈した地層の液状化現象と同じく、人と人、あるいは人と集団・社会との内面的な繋がりを喪失した状態をそう呼んだのである。平穏に過ぎ行く平常時には決して見えなかった靭帯や絆の綻びが、いや時には完全にぶち切れていることが、震災によってはっきり露呈してしまったのである。
こういう悲しい現実を表現するには、社会科学的な分析や論述より、芸術家の表現以上にすぐれたものは無い。先ほど日常に潜む(アクシデンタルな)危機についてのシシリアさんのコメントを紹介したが、先日、ここ南相馬で作品展のあった韓国の写真家・鄭周河(チョン・ジュハ)さんも同じようなことを言っていた。つまり日常に潜む危険な兆候についてである。そしてこうした兆候を感知する能力を、私たちはいつの間にかすっかり失ってしまっている。
思い返せば一九七〇年代、つまり福島県の浜通りという美しい海岸線に次々と原発が建設され始めたころ、そうした危機感知能力を麻痺させるアンゼン、アンシン、クリーンという呪文がやたら飛び交ったことを今でもはっきり覚えている。そう言えば、数日前にも日本の首相の口から同じ呪文が繰り返されていた。その狙うところは、フクシマ・ダイイチの事故が収束の見通しさえ立っていないというのに、恥ずかしげも無く、いやむしろ誇らしげに原発輸出を決め、原発再稼動へと大きく舵を切ることだった。それなのに、その呪文に魅せられたのか、ほとんどのマスコミは沈黙したまま、そしてほとんどの国民はそれが何を意味しているかさえ気付いていないように思える。
シシリアさんは、津波の音のイメージを両面にプリントした250×160cmの十二枚の旗にして天井から吊り下げ、それに「アクシデントという名の国(Un país llamado Accidente)」と名付けている。これが日本だけを指しての言葉なのかどうかは知らないが、でもそう呼ばれるだけの資格(?)は日本には充分すぎるほどある。そう日本はアクシデントの国なのだ。
一昨年、同じくロブレードさんが我が家に案内してくれた客人にスペインの小説家フアン・ホセ・ミリャスさんがいる。彼は帰国後「エル・パイース」の週刊版に “El País de más allá(はるか向こうの国)” という写真入りの長文のルポルタージュを発表した。これは被災地のみならずハラジュク、オモテサンドウなどを歩いて、震災後の日本の現実を鋭く抉った報告だが、その記事の表題がシシリアさんの表現に非常に近いことがずしりと臓腑に沁みてくる。つまりあれほど深刻な事故を経験したのに、相変わらず浮き足立っている日本という国の真の姿を鋭く暴いてくれたからだ。
東北が生んだ偉大な喜劇俳優・伴淳三郎(1908-1981)は、むかし「アジャパー」というギャグで一世を風靡した。もしかして彼は天才的なひらめきを感じて、高度成長・バブル景気に浮かれて危険な傾斜を滑り落ちる、あるいは息せき切って登っていく日本に向かって、アジャ(向こうは)パー(何も無いよ)と警告していたのかも知れない(呵呵大笑!)。
もちろん東日本大震災がもたらしたものは、大津波による尊い人命を含む甚大な被害、それに追い討ちをかけるように発生した原発事故によるさらに悲惨な被害等々、数え上げればキリが無いが、しかし私個人に関して言えば、それら被害に加えて、大いなる覚醒もまたもたらされたと言わなければならない。時にそれを「奈落の底」とか「終末論的な視点」、あるいはそれらを総括するものとして「魂の重心」という言葉で表現してきた。たとえば事故直後にテレビから流れる報道を見ながら忽然と悟ったのは、世界は理想とか信念とか信仰、あるいは善意の人たちの苦労や助け合いによって動いているのではなく、まさに投機(especulación)によって動いているのだという苦い認識などである…そしてシシリアさんが喝破しているように、世界は本質や実質よりもアクシデンタルなものの連続という、まるで綱渡りのような危険でその場限りのものによって動いているという残酷な事実への覚醒である。
3.11以後という言葉が一時期流行(はやり)言葉のように口にされた。しかし9.11の時もそうであったように、時の経過とともにそれはいつか実質を失った空しい常套句へと変化し、いつか程なく忘れ去られる運命にある。いや少なくともその内実は既に忘れ去られたと言ってもいい。
かつては東京タワーが、今は日本の科学技術の粋を集めたと自画自賛するスカイツリーが、善男善女の目をやたら上方に向けさせている。かつての日本人は、たとえば小津安二郎映画に出てくる日本人は、貧しくとも何と品位があったことか! もちろんそれには監督自身の人間性も反映していたが、そこには秘密もあった。つまり彼は撮影監督に命じて三脚の脚を切らせた。つまり重心を低くさせたのである。ともあれ今の日本人の生の重心の何と高いこと、すべてに浮き足立っている。
芸術に効用性を求めるのは筋違いだろうか。もしそうだとしても、被災住民の一人として切に願っているのは、今回の展覧会に展示されるシシリアさんの作品群が発している真摯なメッセージを、会場を訪れる全ての人に感じてとってもらいたいということである。生は確かにアクシデンタルなもの、しかしそれゆえにこそそこに本質的なもの、永続的なものへと架橋する手がかりを探さなければならない、というメッセージを読み取って欲しい。
そして同時に、日本の良質の伝統の中、世界に誇るべき芸術の中には、果敢ないがゆえにひときわ輝き出る美、消えゆく一瞬の中にこそ見えてくる永遠、があったということも想起してもらいたいのである。
そして最後にシシリアさん、あなたに心からなる感謝の意を表します。日本に対する、そして私たち被災民に対するあなたの深い愛を、ありがとう!
(2013 / 6/ 10 )