何も頭に浮かばない


「九月二十六日 はれ  大島にて
 昨夜あわただしく修院を出発して、十時に竹芝桟橋出港の藤丸(1200トン)にのり、大島に向かった。だが十時半から十二時までは、羽田空港沖で時間調整のため停泊したなければならなかった。波はほとんどなく、快適な旅。旅客も少なかった。
 五時、元町港に着く。まだ明けておらず、あけの明星が異様なまでに明るく大きかった。三原山がぼんやりと見え、雲が空をおおっていた。
 山頂行きの臨時バスや、旅館からの迎えのバスが五台ほど待っていたが、早朝の冷涼の中を歩くことに決めた。十五分ほど歩いて、教会を見つけた。道の真中に白い十字架が行く手をさえぎるように立っている。道はそこから折れて下ってゆくので、そんなふうに見えるのである。
 まだ誰も起きている様子が見えないので、聖堂の中に入って…」

 ふつうは夕食を終えたあたりから、今晩書くものの大体の内容が、時には(いやその方が多いか)題名だけがぼんやりと頭に浮かんでいるのだが、今日はどうしたことか、なんにも頭に浮かんでこない。今日は、午後すこし気温が上ったとはいえ、珍しくいい天気で、美子の世話もうまく行き、とりたてて疲れていたわけではないのだが、全くなにも浮かんでこないのだ。
 こんなときは休むべきだが、一度途切らせると、そのまままた書けなくなるのでは、との恐怖心があって、ともかくなにか書こうとした。この間のように三好達治の詩みたいな愛唱歌でも写そうか、とも思ったのだが、それさえいいものが思いつかない。それで四十三年も前(一九六七年)の日記を写しだしたのである。この大島からの帰途、藤枝の小川国夫さん宅に寄ったことは、以前に書いたことがあるのだが、その前後のことが記憶の中でぼんやりしており、この際はっきりさせようと思った…のだが、馬鹿らしくなって途中でやめた。今日は潔く休むことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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