いま二階縁側で、上半身裸でACERに向かっている。時刻は午後の四時半を回ったところ。久方ぶりの美しい夕景色である。裸なのは、汗をかいていてシャツを着る気になれないからである。久しぶりの大工仕事だった。四、五年ぶりではなかろうか。八王子から越してきた当初は、天井板を張り換えたり、家中空いている壁という壁に備えつけの本棚などを作りまくったものだ。しかしいつの間にか、大工仕事をする気力なんてどこを探してもないようになってしまった。もちろん寄る年波のせいであるが、美子の介護疲れが(といってたいした苦労ではない)微妙に影響しているのであろう。
そのうち机のまわりの本が異常増殖し始めた。本を探すのにやたら時間がかかるようになってきた。それがどうした風の吹きまわしか、午後急に「やる気」が出てきたのである。今日の昼は久しぶりにばっぱさんを家に連れて来て一緒に食事をし、食後は DVD で中国の子供たちの歌とダンス(あゝそれをお遊戯というのか)に合わせて踊る愛のダンスを見た後、ばっぱさんを施設まで送って行き、帰ってきて昼寝をしようとしたがうまく寝れない。そのときである、忽然とやる気が出てきたのは。
大工仕事とは、具体的に言うと老夫婦の住んでいる旧棟二階から母屋に入ってすぐの壁に本棚を作ることである。材料はだいぶ昔に買っておいたラワン材。柱に直接はめ込む本棚だから、安定性抜群である。ちょうど襖一枚分の大きさの書棚となる。今日は上二段を作って止めた。楽しみはまた明日のため、なんて嘘で、そこまでで充分に疲れたからである。さっそく机のまわりの本の一部を納めた。心地良い風も吹いてきて、このところ頭上に立ち込めていた暗雲が消え、実に肯定的な気分になっている。
そんなとき、西澤龍生氏から新しい訳書が届いた。ジュラ・ヘレンバルトという人の『ブタペストのミダース王 若きルカーチとハンガリー文壇』(論叢社)である。著者もまた本の主題であるルカーチについても、まったく知らない。ルカーチの本は、『理性の破壊』と『小説の理論』 と二冊も持っているが、今までまともに読んでもいない文字通りのツン読である。しかし私より歳が上の(十一歳)氏のこの元気さはどうだ。氏とはオルテガ繋がりで知己を得たが、もともとは下村寅太郎門下の歴史学者であられる。以前このモノディアロゴスでも「<新訳>の対極」というタイトルで氏の翻訳スタイルの価値について書かせていただいたが、ともかく氏の教養の深さは半端じゃない。たしか氏は今でもサンスクリットに挑戦なさっているのではなかろうか。
大工仕事から「絶えず挑戦する教養」と話は広がってしまったが、体はともかく気持ちまで老けこむのは避けたいものだ。
※蛇足…
氏の「訳者あとがき」でも辞書を引いて確かめなければならぬ言葉に次々とぶつかる。たとえば「甘牛充棟」、見たこと読んだことはあるが、それが蔵書の多さを言う言葉だとは気付かなかった。つまり牛が汗を流すほどの重さの、そして積むと家の棟まで届くほどの蔵書の多さの意味らしい。まさに今の私の状態である。
ついでに。先日の埴谷・島尾ゆかりの場所探訪で訪れたお墓で「昭和癸酉」とあったが、それが何年のことか分からない。十干十二支の仕組みが分からないのである。この歳になるまで、しかも元大学教授でありながら(専門は違うよ、と逃げを打ちながら)、それが分からないのは恥以上に欠陥なのだ。それで今日、ネットで1~60までの組み合わせの表を見つけて印刷した。手帳にでも貼り付けておくつもり。ところであなたは(誰のこと?)分かった? 昭和十年のことですって。