島尾敏雄ならびにその家族からの手紙はすべて資料館に寄贈したと思っていたら、昨日本棚の隅から「島尾敏雄資料」と書かれた紙包みが出てきた。そこには私がまだ神学校にいたころに書いた批評の試みの走り書き、つまり島尾敏雄や埴谷雄高、そしてなんと吉本隆明などについて書いた断片などがあったかと思うと、それから何十年もあと、つまり島尾敏雄が亡くなったあと、一時、八王子移転を望んだミホさんからの手紙3通や、八王子の不動産屋さんの見積もり、そしてどういうわけか島尾敏雄が倒れた鹿児島市宇宿町の家の玄関脇の書庫の見取り図まで出てきた。
手紙は別にして、そういった過去のそれこそ断簡零墨をどうしようか、ちょっと迷うところがある。昔なら庭の片隅で、落ち葉と一緒に燃やしたりしたものだ。煙となって空に消えてゆく、なんていうのは、過去の思い出に対する一種の礼儀・儀式の意味合いがあったと思うが、最近はめったなことでゴミを燃やすことすら出来なくなった。しかし洟をかんだティッシュペーパーや煮汁の染みついた新聞紙などと一緒にゴミ山に捨てられ、最後はごみと一緒にジュージューと焼かれるのは、なんとなく嫌である。
ところでそんな紙くずの中に、広島の長束修練院時代の日本語の先生だった広大の故・稲賀敬二教授の励ましの文章が混じっていた。自分の書いた文章を他人から褒められた最初の経験であり、以後曲がりなりにも文章を書くようになった大きなきっかけとなったものなので大事に取っておいたのであろう。
正直に言って、島尾敏雄の作品を私は読んでいません。私も自分の指導した人に、島尾敏雄論をまとめさせ、雑誌に投稿する様しむけたりしましたし、事実その人は投稿し、立派な仕事として認められました。私には勘はありますが、一つ一つの評論を評価するだけの力が足りません。で、私の同輩、磯貝英夫助教授(現代文学担当)に見てもらいました。その評が右の様なものでした。――今私は私の勘と言いました。私が前に投稿をすすめた人の論についても、私は勘でこれはいけると思ったわけです。対比するのは失礼ながら、君の作文を前々から読み、又、今度の論を見て、矢張りこれはいけると感じました。 磯貝氏の評の中に「くさみを持たない」批評のむつかしさと言う事があげてあります。「くさみを持たぬ」と言う事は、たとへて言へば、樽に酒が一杯入ってゐる時には、ゴボゴボと音を発したりしないといふ事です。君の論には神を知った人間の、神様をふりまわさないよさがあると思ひます。それでゐて、神様を知ってゐる人の手によって書かれた洞察の鋭さは充分に感じられるわけです。この辺を充分伸ばして、島尾敏雄論を完成されたいと思ひます。
恥ずかしくなるような褒めことばである。しかしそれにうまく乗せられてここまで歩いてきた。つまり教育の要諦は、褒めることなのだろう。