虹の橋

ここ二、三日、自分のことはそっちのけで、他の人のことにかまけ切っている。他の人といっても他人ではなく立派に(立派な、じゃない)肉親なので、涙ぐましい愛他精神の発露などと自慢しているわけではない。つまりばっぱさんのために一肌脱いでいるのだ。といってこれも親孝行などというものではなく、いわば古証文がなんとなく気になって、いっそそのもやもやを一気に片付けなければ、という精神衛生上の衝動なのだ。
 以前、ばっぱさんの書き散らしたものを、いつかまとめてあげる、と約束したことがある。同居しているあいだは、彼女との日々のバトルでそんな気も起こらず、そのうち施設に入ってしまった。一時は新しい同居人の息子に仕事をまかせたが、一向にやる気配も見せないうちに今日になってしまった。
 死んでから追悼文集を出すなんてより(ばっぱさん、ごめんなさい!)生きているうちに、それもなるたけ早く、文集をまとめてやろうかな、と思ったのは、このところばっぱさん、三年前に出した『熱河に翔けた夢 佐々木稔追悼文集』を熱心に読み始め、会うたびに、「よく満州時代のこと覚えていて書いてくれたなー、おめー、たーちゃんたーちゃんなんて呼ばれて小さかったのになー」などと言うからである。
 ともかく数日前から、パソコンに入れていたデータを引っ張り出し、袋綴じだがB6版215ページばかりの『虹の橋 佐々木千代文集』なるもののテスト版をとうとう作ったしまった。1960年代からほんの最近までの、短歌や雑文、「福島民報」や「あぶくま新報」など地元紙への寄稿文を編年形式でまとめてみたのである。「虹の橋」というのは、地元紙への連続寄稿文のなかの一つのタイトル(なにやら旧約聖書の言葉らしい)である。
 今日の訪問でさっそく見せたところ、テスト版であることは分かるけど、今晩一晩置いてけ、としきりに言う。そうまで言われれば仕方がない。ところがそのついでに、ベッドのそばにあった紙包みを持ってってくれと言う。覗いてみると、アッチャー!『であい』と『海岸線』という、ともに最近まで彼女が所属していた同人誌のバックナンバーの山。彼女の文章、まだまだ残っていたわけである。
 仕方ない、乗りかかった船、最後まで面倒みましょう。この調子だと、全部収録するにはあと100ページは優に必要である。まあベースはできているのだから、暇を見つけて増補版を作ってやろう。まず雑誌の該当ページをスキャンして、マイクロソフトの文書に変換し、次いでそれのページ設定をし、すでに出来上がっている原稿の該当部分にはめ込んで行くという簡単な作業、いやいや大変な作業ですぞー。

 やっぱ僕って親孝行かも。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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