先日、原町生まれで現在は神奈川に住んでいるY子さんから、これから風が強くなる季節、吹き飛ばされないで、とのメールが届いた。中通りの福島市なら、夜寝ているとまるで地獄の釜の中にいるように感じられる吾妻颪(おろし)の凄さは経験しているが(結婚してすぐの半年、家内の実家で)、相馬にそんな強風が吹くことはすっかり忘れていた。ところがここ数日、風の強い日が続いており、山と海にはさまれた地形特有の風にこれから暖かくなるまで悩まされることを覚悟した。
福島県の地形を改めて調べてみた。会津、中通り、浜通りという三つの地区がそれぞれ間に奥羽山脈と阿武隈山地を抱えていることを確認。つまり窓から毎日のように眺めている国見山などを擁する山系は、山脈というには低いから「山地」と言うのだろう。納得。それでも風が勢いよく吹き付けてくるほどには高い傾斜を持っているわけだ。
それにしても、陽が照っているのに、茅屋を絶えず揺るがす風の音を聞いていると、何か落ち着かない気持ちにさせられる。そして伊東静雄の詩を思い出す。「なかぞらいづこより吹きくる風ならむ」で始まるあの有名な詩である。三連から成るこの詩で、一番好きなのは真ん中の連である。
春寒むのひゆる書斎に書よむにあらず
物かくとにもあらず
新しき恋や得たるとふる妻の独り異しむ
伊東静雄何歳の時の詩かは知らないが、今の私には実に良く分かり胸に沁み入る。ところで必要があって、昔々奄美の島尾敏雄のもとでひと夏を過したのはいつだったかを調べていて、その頃つけていた日記が見つかった。かなり克明にその夏のことが記録されている。昭和41年(1966)8月21日の項に次のような記述がある。
「六時半と九時の両方のミサに与った。O神父がたてた。午前中はそのため、あっというまにすぎてしまったが、遅い食事の後、図書館の敏雄さんの部屋で小高根二郎の『伊東静雄』をひろい読みする。また埴谷雄高の『虚空』も読む」。
そして特に気に入ったのか、「なかぞらのいづこより」が全文写されているのである。
ものの感じ方、大袈裟に言えば世界観のようなものは、年齢に関係なく、いつのころからかほとんど固定されるということなのだろうか。あの頃はJ会の修道士(の卵)だったはずだ。変に文学づいていて、あのまま進まなくて良かった、良かった。