明眸皓歯

最近はテレビでやたら歯周病のことが宣伝されているが、昔からそんな言葉があったのだろうか。あったけれど話題にならなかっただけなのだろうか。歯槽膿漏という言葉は知っていたが、それと同じものなのだろうか。それはともかく私はいま、その歯周病とかにすっかりやられている。この町に越して来て、いろいろいいことがあったが、そのうちの一つはここが医療機関の密集地で、互いに評判を競い合っていることである。とうぜんそれは診療技術の競争にも繋がっている(と思いたい)。
 今までも時おり虫歯の治療は受けてきた。けれども最近、評判のいい近所の歯科医に通うようになって、自分の歯茎がかなりの段階まで歯周病にとりつかれていることを初めて知った。よく歯医者さんの窓口などに気持ちの悪い段階まで進んだ歯周病の写真が貼られているが、まさか自分もその段階まで来ているとは。
 さて問題は、思い切って総入れ歯にするか、それとも辛うじて残っている歯をなんとか持ち直させるか、である。今六十三歳、ここが思案のしどころ。少なくともあと二十年はしっかり咀嚼したい。で結局、医者と相談して、今ある歯をできるだけ持たせることにした。さてそうなると、歯茎を徹底的に直さなければならない。
 あれほど大掛かりな治療とは夢にも思わなかった。怖いので見ていなかったが、局部麻酔のあとたぶん歯と歯茎の間にメスを入れたのではなかったか。つまり汚れを徹底的に除くためである。掃除(?)は一時間たっぷりかかり、最後は傷口を縫い合わせたらしい。終わり近くは麻酔が覚め始めたので、痛さをこらえるのに脂汗を流した。これほどの肉体的苦痛は何十年ぶりだろう。この治療があと数回は続く。
 ところで妻が言うには、初めて会ったときの私の印象は、歯のきれいな人。ところがそれから三十有余年、昔日の面影は見る影も無い。ところが妻の方は、今でも歯と歯茎はポスターのモデルにしたいほど元気である。四文字熟語の明眸皓歯(めいぼうこうし)は、ふつう美人を形容する言葉らしいが、妻は目は小さいし、とても美人とは……私の方は目は牛の目のように大きいが、歯は……いや、そんな段階と違いまっせ。どちらにしてもこれから二十年はしゃっきっとせにゃあきまへん(下手な関西弁?でスミマセン)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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