駅の待合室

町全体は昔とずいぶん変わってしまったが、駅舎そのものは大して変わっていない。昔は改札口が二つあったが、現在は旅行客そのものが減ったためか、駅舎内にある改札口一つになったくらいの変化である。売店側の立ち食いそばもそのまま。土産品の種類は少し変わったが、ひばり餡餅はまだあるようだ。
 千葉県から来る姉を迎えに行った。駅に行く前に今夜の食材を買うためにスーパーに寄る時間も入れての計算がずれて(距離があまりに近いことにまだ慣れていないのだ)、二十分ほど早く着いてしまい、待合室でぼんやりしていた。昔のように外界(?)との連絡手段が鉄道だけという時代ではなく、車で東京、仙台に行くのはあたり前の時代。だから、たとえば連絡船の待合室のような切羽詰った別れの光景とか、人生ドラマの集約された場所という風情はなくなった。しかしそれでもやはりいろいろな人生の断面図が見られる場所であることには変わりがない。たぶん仙台あたりの法事に出かけるらしい喪服姿の母娘。日頃の力関係やそれぞれの癖までが露出してしまう。どこかのおそらくは肉体を使う労働からの帰り、待ち合わせしたのか、小学高学年の娘と仲良く立ち食いうどんを美味しそうに食べている三十代の女性。どうも商談はまとまらなかったといった感じの営業マンが、外科医のそれのような膨らんだ鞄を膝に抱え込んで、ぼんやり駅前広場を眺めている。パンツが見えそうな短いスカートをはいた女子高生たちが、慣れた手つきで定期券を見せて改札口をすり抜けていく。いまどきこんな高校生がいるのか、と思うほどの真面目そうな男の子がベンチに座って文庫本を読んでいる。あれに高歯をはかせ腰に手拭を下げさせれば、そのまま昔の自分と変わりがない。
 ただ駅に行くたびに不思議に思うのは、昔改札口真上の壁にあった列車発着表がなく、代わりに(名ばかりの)特急の列車連結図だけだということ。迎えに行っても、電車が何時何分に着くかを調べるには、ボードに張られた小さなダイヤグラムを見るしかない。いったいいつからこうなったのだろう。人に聞くと、JRはどこでもそうなっている、という。本当だろうか。どうして分かりやすい表示にしないのか。
 ともあれ、二十分という空き時間があっという間に過ぎてしまった。カメラを固定して朝の始発から終電まで回しっぱなしのフイルムを一度見てみたい気がする。 (10/8)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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