プライバシー守秘という妖怪

これから私宛ての一つの私信を紹介するつもりだが、その前に、プライバシーなるものについて日頃から考えている私自身の基本的な考えを述べておきたい。これまでもいくつか、私宛ての私信をここで公表して来た。たいていは事前に了解を得たが、ときには事後承諾という形もとった。なぜ公表するのか? 実にかんたんである。それらが私一人の独占物にするのは勿体ないから、いやもっと言えば、独占物などにすべきではないからだ。
 いつごろからか、たぶん二、三十年くらい前からだと思うが、極端なまでに、時には滑稽なまでに、個人情報の守秘が叫ばれだした。役所など公の機関からの、たとえば病歴や経済状況などの個人情報が漏洩することは、私もけしからぬことと思う。しかし学生の名前や住所や出身校を記載したいわゆる学生名簿についてなら、話は別だ。つまり現在多くの学校・大学では学生名簿そのものを刊行しないようだし、原簿あるいはコピーも身分証明書を示さなければ見せてくれない、という現状についてはどうも納得できない。要するに現在、ある学生が入学した大学で、自分と同じ学校を出た先輩、ときには同級生を探す場合でも、学生課に出向いて、学生証を提示した上でしか知りえない、というのはどう考えても行きすぎだと思うのだ。
 もうどこかで書いたことだが、学生同士の横の連絡や交流・結束がこれでどれだけ阻害されているか、私自身、過去なんども苦く腹立たしい思いをした。「おれおれ詐欺」(現在は何と言うのか失念した、そうだ!「振り込め詐欺」だ)のような、手の込んだ悪事が絶えない世の中だから、そうした過敏なまでの守秘の意図も分からぬでもない。しかし乱暴な喩えかも知れぬが、病原菌を警戒するあまりに殺菌しまくって、逆に免疫力を弱めてより重い病気に罹るのと同じ愚に陥ってはいないだろうか。
 これまた乱暴な比喩かも知れぬが、やたら臆病になって身を隠し、それによって、悪人(?つまり他人の個人情報を悪用しようとする輩)にはむしろ格好の標的になる場合だってある。またそれとは反対に、自分を衆人環視のもとに晒すことによって、かえって安全である可能性だってあるのだ。
 これまたすでに論じた気がするが、いわゆる著作権なるものについても、あまりに保護され過ぎの場合がある。本来、人類全体にとって役立つ情報が、ごく限られた人間や組織に独占されてしまう場合が多すぎないか。先般も中国のどこかの公園で、ディズニーの人気キャラクターが盗用されたと大騒ぎになった。もちろんそれによって不正な、しかも巨万の利益を得る輩がいればそれを取り締まらなければならないが、しかしちょっと不恰好なミッキーマウスに安い料金で幼い夢を抱くのを禁じて、高い使用料を巨大なコングロマリット《ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー》に貢がせる必要があるのかどうか。世界中の子供たちに夢を与えるのがディズニーさんの夢だとしたら、いま天国の彼は果たしてあの問題をどう考えているであろうか。
 確かにプライバシーの問題は一筋縄ではいかない。これ以上深みにはまると先に進めないので、今回はこの辺で。実は本論に入る(ある書簡を紹介する)前に、もう一つ断っておきたいことがあるのだが、紙幅の関係もあるので、それは明日にしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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