当たり前田のクラッカー

いわきの姉に送られてちょうど1週間ぶりにバッパさんが帰ってきた。いわき滞在中、さすがに義兄の前では大口をたたくことができなかったらしく、心持ちおとなしくなって帰ってきた、と思うが、さて「猫っかぶり」はいつまで続くか。
 それにしても暑い一日だった。日中三〇度は軽く越えていたのではなかったか。今自分が倒れたら我が家は崩壊する(?)と思って気が張っているのか、ここまで風邪も引かないし、持病の腰痛も出なかったが、こんな天候の激変ぶりに身体がついていけないようだ。なんとなく身体が重い。寝起き直後など歩きながらどんどん地面にめり込んでいくような感じがある。やはり運動を、せめて散歩をしなければならないのであろう。でも体重は八王子時代より3キロは減った。献立を考えることから料理まで三食すべてを作るようになって、無駄なもの(?)は食べないようになったせいかもしれない。食事が終わったとき、出したものは毎回ほぼ完食状態である。
 しかし台所は、未だに未整理のまま。毎日歩いたり取り出したりする部分だけ辛うじてゴミや汚れを取って使っているという状態で、それ以外のところは荒れ放題汚れ放題なのだ。無駄に集められた食器類もそのうち思い切って整理しなければなるまい。いや食器の前に、戸棚や引き出しの中にある賞味期限の切れたカレーのルーやお茶漬けの素、クラッカーの箱など捨てなければならない。
 ところでクラッカーといえば、先日何かの拍子に、昔どこかで耳にした「当たり前田のクラッカー」という宣伝文句のことを思い出した。藤田まことと白木みのるが出ていたテレビ番組で聞いたはずなのだが。もちろんこんなもの辞書や百科事典に出ているはずもない。そうだこういうときはヤフー頼みだ!
 やっぱり出ていた、それも3,000件あまりも。どんな人がどんな場合に使ったのかいちいち調べなかったけれど、誰かがどこかで書いたり触れたりしたものを、どういう仕掛けか分からないが、一瞬のうちに検索し拾い出してくれるのだ。だからどうってことでもないが、でもこれって意味あること、それとも単なる無駄? 吐き散らされた片言隻句が全て記録され保存されるとしたら、人間はもう少し自分の言葉に責任を持つだろうか? いや、ロシアとチチェン、アメリカとアルカイダ間の情報戦争のように、言葉はさらに無責任なものになって行きそうだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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