ご進講

今日は天皇誕生日*。テレビから聞くとはなしに天皇の言葉が聞こえてきた。いままでいろいろと勉強なさってきただろうし、時々各界の専門家から個人的な話を聞かれて知識を積まれてきただろうに、どうしてあのような声であのような話し方をされるのだろうか。いまさら遅いのかも知れないが、まず発声からしてダメだ。あの声とあの話し方で、国民のみなさんの健康を願います、などと言われても一向に嬉しくもないし、元気も出てこない。
 ところで各界の専門家による個人的講義というのか、あれは正式には何て言うのだろう。そうだ、思い出した、「ご進講」というのだっけ。もちろん私はしたことがないが、恩師神吉敬三先生はその経験がおありで、ご進講のご褒美(?)に確かドラ焼きのようなものをいただいたのではなかったか。恐れ多くも、私もそのおこぼれをもらったように記憶している。
 他人様のことはとても言えた義理じゃないが、一般に日本人は歩く姿勢や話し方、要するに立ち居振る舞いがぐだぐだしている。お隣の韓国の人など歩き方や話し方がよほどしっかりしているように見える。とくに若い人ほどぐだぐだしている。こういうものは学校で教えるものではなく、自然に覚えなければならないものであるが、良い意味での「格好をつける」ことがあまりにも軽視されているようだ。
 さっきも言ったとおり、私は歩き方も話し方もぐだぐだの方だが、美子は昔から歩き方や話し方にキレがあった。用賀の清泉インターナショナル・スクールに勤めていたころ、口の悪い友人から、美子は胸を突き出して歩いてる、とやっかみ半分にからかわれたほどである。要するに自らを自然にショウーアップする習性があったのだろう。だから現在、すっかりその習性を忘れて、私の手に引かれて歩いているのが不憫でならない。
 それはともかく、むかし女子学生たちに、お化粧のやり方を勉強するより、魅力的な話し方を覚えた方が何倍も得する(?)よ、と唆したことがあったが、それウソでないホントのことあるよ。あらあら天皇の話し方から思わぬ方向に進んでしまいましたな。この辺でバカ話はおしまい。今日はなんだか疲れはてて、こんな話しかできませんでした。スンマソン(ふるっー)。

*投稿時間は日付が変わって24日午前0時30分(息子追記) 。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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