ドブとドブ君

新藤兼人さんの『ノラネコ日記 ―乙羽さんとドブ君たち』がアマゾンから届いた。面識も無いのに「さん」呼ばわりをしたが、九十八歳になっても映画への情熱がいささかも冷めることなく、今も「一枚のハガキ」という作品を撮っていることへの尊敬の念をこめてそう呼ばさせていただいた。九十八歳、うちのばっぱさんと同じ歳である。ちなみに「一枚のハガキ」は、自らの体験を基に、戦争の非人間性を追及した映画らしいが、その完成が待たれる。
 ところで『ノラネコ日記』の挿絵はすべて新藤さんが描いたという。実に味のある絵である。もともと絵の才能があったのか、それとも映画用の絵コンテを描くうちに徐々にうまくなったのか。
 八王子の家のネコたちがそうであったように、新藤家のネコたちもみな野良の出らしい。一時は全部で十匹のネコたちに食事を与えていたころのことが思い出される。新藤さんちのドブは、ドブネコのようなお母さんネコから生まれた男の子らしいが、八王子で同じ名前で呼んでいたネコは、はたして爺さんだったか婆さんだったか。本当にドブから出てきたような汚い猫で、両耳は喧嘩で食いちぎられていた。灰色だが、もともとは白ネコだったらしく、食事時になるとどこからか忽然と現れたものだ。
 八王子から原町に引っ越すとき、美子はドブも連れて行こうか、と本気で言っていた。彼女が言うように、洗えばなかなかのハンサム(やはり牡だったか)だし、何よりもその眼は深いブルーで、もしかして野良になる前は、どこかの金持ちに飼われていた由緒正しきネコだったかも知れない。もう死んでしまったはずだが、残してきた他のネコたちと一緒に、ときどき懐かしく思い出す。
 内田百間の『ノラや』も素晴らしいが、新藤兼人さんの『ノラネコ日記』も、その味わい深い絵によってネコ文学名作の仲間入りをしたと思う。もちろん富士貞房の『猫まみれ』もその末席を汚す小品であることも付け加えさせていただこう。


【息子追記】立野正浩先生(明治大学名誉教授)からのコメントを転載する(2021年3月20日記)。

のら猫も含めて猫にまつわる思い出はわたしにも尽きぬほどあります。それはさておき、いま大佛次郎の著作をあれこれ読んでいるところですが、この作家も尋常でない愛猫家で猫を語った著書もあります。猫にまつわる文学も世には少なくありませんね。漱石の『吾輩は猫である』が日本近代では有名ですが、漱石が少年時代に学んだ錦華小学校が明治大学の隣にあり、植込みに石碑が建っています。「吾輩は猫である。名前はまだない」と刻まれていますが、この石碑に気づかぬ学生がほとんどです。教授たちのなかにも知らないという人は少なくありません。
猫文学の系譜を辿ろうと思えば膨大な著作を読まねばならないことになりますが、内外の猫文学のなかからわたしの好きな作品を十編ほど選び出して、気ままに随筆でも書いてみようかと空想するのは楽しいですね。モノディアロゴスの談話室でネコ談議を始めでもしたら、けっこう投稿者が集まってきたことでしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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