ひたすら尋ね歩く

この町に住む二人のお年寄りに『モノディアロゴス』を差し上げようと思った。もちろんとつぜん玄関先でお渡しするより、郵送した方がずっとスマートである。でも今日はあえて直接お届けしようと思った。
 ありていに言えば680円を倹約するためである。バイクでたかだか5、6分のところだが、一応は地図で見当をつけて出かけた。まず最初は同じ町内に住むN先生の家。彼は中学時代の国語の先生で、私が学校祭の演劇要員に選ばれたときの指導教員であった。脚本はギリシャ神話『金羊毛皮』を先生が中学生用に書き直したもの(ご自身、金矢怪というペンネームをお持ちの文学青年だった)。主役の佐々木は胸が厚いから声が通る、と褒められたことをしっかり覚えている。
 簡単に見つかると思っていたのがとんだ誤算だった。住所表記の看板がほとんどないだけでなく、すぐ側のはずなのに聞く人聞く人がまったく分からないのである。詳細な地図帳を出してきて親切に調べてくれる人もいたが、それでも分からない。
 ようやく見つけたときは出発してから30分も経っていたろうか。郵便受けが見つからないまま玄関先で来意を告げると、上品な老婦人が出てこられた。不意をつかれた。先生にこれをお渡しください、これから回るところがあるのでよろしくお伝えください、と逃げるように出てきた。さすが半世紀ぶりの再会に心の備えが出来ていなかったようだ。
 もう一軒は、土地の同人誌の会計をされているM氏宅である。春先に出た『人間学紀要』』を差し上げたとき、大いに喜び、お礼にわざわざ訪ねてくださったのが嬉しかった。住所は野馬追祭場近くだから今度はすぐ見つかると思ったのだが、これがN先生のとき以上の大誤算だった。かんかん照りの中をあっち行きこっち行き、同じところをぐるぐる回ったりなどして、一時は諦めて帰ろうとさえ思った。しかしこうして苦労して何かを届けるというのも意味のないことではない、と思い直してとうとう見つけ出した。小さな平屋の家をきれいに整頓して一人暮らしをされているM氏が、今回もとても喜んでくださった。
 そう、私に残されたこれからの日々、今日のような回り道や行き違いもまた楽しからずや。いや、気力、体力、とりわけ記憶力など、ともかくいろんな局面での不如意なことの連続の中で、そうとでも思わなければやってられねー、というのが本当のところかな。

昭和29年度原中学芸会
原作西谷地先生の劇で主役の王様を演じる。衣装が無くて、竹刀の防具などでごまかしている。

【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年3月11日記)。

イアソンを始めアルゴー号に乗った英雄たちが黒海のコルキスに向かう物語ですね。オルペウスも同行しました。佐々木孝くんは最後列から二段目中央でしょうか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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