オイチニー、オイチニー

人間の連想の仕組みはどうなっているのだろう。今日は雨も降っていない、むしろ最近になく暖かな春の一日だったのに、なぜかむかし観た映画の一シーン、もっと正確に言うとその場面で薬売りが歌っていた口上が聞こえてきたのだ。「オイチニー、オイチニー」。足摺岬にある木賃宿で、雨に降り込められて大部屋の泊り客たちが無聊を託(かこ)っている場面。薬売りは藤原鎌足かなと思って調べてみると、ざんねん記憶違い!、殿山泰司でした。
 左翼運動で挫折し、死に場所を求めて足摺岬にやってきた主人公を演じたのが木村功。このときの印象が鮮烈で、以後ずっと彼のファンだった。『七人の侍』の若侍、望月優子の『おふくろ』で病死する青年…、乾いたような唇、憂いを含んだ眼差し、女性ファンならずとも彼の魅力に捉えられた。といって中学生のころの話、だれに言うともなく心ひそかに憧れていた俳優である。
 そういえばいくつか黒澤明の映画でもその存在感を際立たせていた。『野良犬』で刑事役の三船敏郎に追われる復員兵の犯人、『生きる』の…何の役だったか忘れてしまった。
 映画やテレビで彼の姿を見なくなってずいぶんになるが、もしやと思って調べてみたら、とっくの昔の一九八一年、食道癌で死去、享年五十八歳と出ていた。そうかやっぱり。それにしても若くして死んだものだ。岡田英次らと「青年俳優クラブ(劇団青俳)」を結成したが、両者の意見が合わず、岡田は蟹江敬三、蜷川幸雄らの「現代人劇場」に参加、結局残ったのは木村と織本順吉だけになったそうだ。そのため七千万近くの借金を背負う羽目になり、最後は不運続きだったようだ。
 あゝ思い出した、彼の奥さん木村梢が書いた回想記『功、大好き』がベストセラーになったのでは? 待てよ、どっかで見たぞ、美子が買ったのでは? 貞房文庫を調べたけれど無い。でもどっかで見たぞ。まっ、そんなことどうでもいいや。ともかく「オイチニー、オイチニー」は良かった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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