原発事故報道を見ながら感じたこと

もう既に書いたように、精神衛生上有害なので、ここしばらく原発事故関連のニュースを見ないようにしているが、それでも時おり否応無く見ざるをえない。以下はそんなときに感じたことのいくつかである。

*事故直後の初動対応のまずさ
 まず東電などにまかせず、即座に国が召集する専門家集団で、もちろん東電に終始正確かつ迅速なデータ提出を命じつつ、国を挙げての対応をすべきではなかったか。私の記憶では、「廃炉」と言う言葉が出てきたのは確か一週間後あたりからであり、東電は当初、操業再開を視野に、小出しに弥縫策を講じていたのではなかったか、という疑惑をどうしても払拭することができない。このことをしっかり検証していただきたい。

*確かな数値の継続的公表
 インターネットのおかげで、私は最初から環境放射能測定値(一時間毎に発表されている)、飲用水放射能測定結果(私が把捉できるそれは1、2日遅れだが)、そして東北地方全体の風向きをたえずチェックしてきた。結果としていちばん注意していたのは、実は風向きであるが。
 だから、南相馬市より常に測定値が3~4倍の県都・福島市で白い防護服で身を固めた係員の前に、放射線値を調べてもらおうと市民が長蛇の列を作っている絵柄と、南相馬市を放射能汚染地区と認めてしまっているかのように、県の災害対策本部で知事閣下以下職員全員が作業服姿で走り回っている図柄は、実にアンバランスに映る。前者は過剰反応、後者は狼狽しているだけで実は現状把握という面では遅鈍であることからくるアンバランスである。

*TPOに応じた適正な情報開示
 IAEA(国際原子力機関)事務局長天野さん、言って悪いが少々バタ臭い(古臭い表現で申し訳ない)いかにもインターナショナルな風貌、その口から出てくるのは国際社会を意識しての情報開示の一点張り(少なくとも私が見たテレビ番組では)。世界を意識しての発言だから無理もないが、しかし奈落(誇張表現ですが)の底から固唾を呑んで見守っている当事者たちにとって、一言でもいい、被災現場にいる人たちへ向けての日本人としての(あれっそうでなかったら御免なさい)激励の言葉をかけてほしかった。
 ところで情報開示という理念がこれまた一人歩きをしている。確かに外部にいる人に適正な判断をしてもらうには、プラス・マイナス両面の情報開示はとうぜんであろう。しかし現場にいる人間にとって、マイナス情報を流すにしても、それへの可能な限りのプラスへの可能性を的確に、はっきり添えてもらいたい。たとえば川俣町の原乳問題の際でも、長期(一年?)にわたって摂取しなければ、健康にはまったく問題ない、としっかり伝える。いや実際にそう言われていたが、しかし但し書きはいつの間にか消え、危険性だけが声高に伝えられていく。
 テレビ画面には、屋内退避地域住民への注意として、外出時にはマスクや濡れタオルで鼻・口を覆い、帰宅後は衣服をビニール袋に密閉して保管し、体はシャワーなどで洗う……でもこうした処置は、たとえばわが町のように放射能測定値が1マイクロシーベルト/時のところでは不要のはずだが、テレビにはそうした説明も無くテロップで四六時中流されている。これこそ時と場所と場合によっては微小な放射線以上に有害な情報ではなかろうか
 ともあれ、私の言う三点セット(環境放射能測定値、飲用水放射能測定値、そして東北地方の風向き)を、折れ線グラフなり、はっきり推移が分かるような形で、一時間置きにテレビで流して欲しい。これこそ、現場の人間にとって必要不可欠な情報である。
 以上、原発事故の早期解決がたんに被災地や東日本だけの問題ではなく、その経済・政治的影響の波及という点で、正に国家的危機であり、これこそが最終的・根源的な問題であり課題であることを認めた上での、モノディアロゴスからのささやかな提言である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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原発事故報道を見ながら感じたこと への3件のフィードバック

  1. コキータ のコメント:

    宮城県在住。朝日新聞に載って以来、たびたび読んでは安堵と笑いと共感、時に涙をいただいています。震災の後は、いらぬものがガラガラ崩れ、大切なものがすっくと立って見える気がします。ただただガンバレ福島!(南相馬じゃなくてごめんなさい)、早く住民が福島に戻って以前の生活ができますように、と祈るばかりです。

  2. 惚け爺 のコメント:

     お元気そうで何よりです。 
     ここ名古屋で暮らす私達は、差し当って何不自由も無く日々過ごしながらもう慣れ親しんだ【思いやりとか~心配りとか~】のPRとも精神訓話?とも知れない映像と、何方さんかの詩集に辟易しながら今は埋もれた”美談”報道に変わりつつある事実に涙しながらこれら報道が何時か少しずつすこしずつ災害を、被災者を遠ざけるのでは無いだろうか~と愚にもつかない心配しています。
     為政者って、怖い存在ですから何でも覆い隠したり私達を誤った?方向に進めることなぞ容易いこと。 それにしても、この国って一体誰が治めて(本当の意味で)いるのでしょう。
     報道から知る限りの”羊の群れである私達”の明日はあるのでしょうか。
     売ることもできない乳を搾る虚しさを共有出来る方は居ないのですか。偉い方々に~
     ちょっと平常心失って「文脈壊れて」申し訳ありません。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    おっしゃること、本当ですね。地図を見ての作戦会議、まさに大本営の時代と寸
    分違わない為政者たちの目、そこに生きている人間の姿などまるっきり見えな
    い目。本当に怖い話です。でも私たちも負けないで、精一杯生き抜きましょう。
    これからもどうぞよろしく。

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