しまった寝過ごした!

午後、大震災後初めて新田川河畔を散歩してきた。温かい春の陽ざしを浴びて、ここにもほぼ満開に近い桜が咲き誇っていた。そばの第一下水処理場そのものは稼動しているのであろうか、かすかにエンジン音が聞こえてきた。そして川面には鴨の家族がいくつか流れのままに浮かんでいた。
 こうしてなし崩しにかつての日常に戻っていくのであろうか。そうであって欲しいと言う声と、そうであってはならないと言う声が私の内部から聞こえてくる。
 ともかく自分のいるところからそう遠くないところで、いまだ終息の見通しの立たない事故が継続しているという事実を、いかに考えまいとしても無理な話である。たとえば今日午後六時現在の例の環境放射線値が0.60と、記憶しているかぎりでは最低値をマークしているが、それを手放しで喜ぶわけにはいかないのだ。なぜならその数値のすぐ上に平常値は0.05であると書かれているから。つまりこれでも平常値の…60割る5…12倍。でもそれが何を意味しているか、それさえ分からない不安。だからとりあえずかつての平常値へと戻って欲しい、かつての平和で安全な日常へ戻ってほしいと切に願ってはいる。
 しかし同時に、かつてのような日常へもはや戻れない、いや土台それは無理であって、既に何かが根源的に変化したのだと告げる声も聞こえてくる。地震・津波被害に遭って、土地・田畑・家屋、いやいや肉親さえも一挙に失った人たちはもちろんだが、土地・家屋の損壊を免れた人たちであっても、たとえば放射線で汚染された田畑がはたして耕作可能なのかどうか、あるいは最悪あと何年待たなければならないのか、とある意味ではさらに深刻な問題が突きつけられているのだ。
 しかしいずれの被害をも辛うじて免れた、たとえば私のような者にとっても、もはや以前のような日常が戻ってくるわけではない。何かが根源から変化したのだ。放射能がどれだけ土地や身体に蓄積されたかどうか、今後長期にわたって監視が必要であることはもちろんだが、変化はそれだけではない。つまり今度の大震災とりわけゲンパツ事故によって、私たちの生活がいかに脆弱な基盤の上に立っていたか、そしていかに無能で頼りにならない行政府の手にゆだねられていたか、を知ってしまったのだ。
 この最後の発見は、しかし真実への覚醒という意味で、これからの私たちの生活再建に当たって重要な意味を持っている。高い授業料を払って得た貴重な宝とさえ思うべきだ。ここから得られる指針は無数にあると言ってもいい。それを乱暴にまとめてしまえば、「くに」とは一義的には「ひと」であるということ、そしてその「ひと」は一人ではなく、助け合い支え合うたくさんの人から成っていうるということ
 フランスのルイ十四世は「朕は国家なり」と言ったそうだが、それとはまったく別な意味で「私たち一人ひとりは国である」ということができる。つまり双葉町のおばあちゃんが国家と立派に、対等に渡り合った(おばあちゃんにそんな気はなかったとしても)ようにである。地方分権以前に、いやむしろその根拠として、まず個人分権がなければならないのである…やばい、私自身がまだ踏み込んだことのない領域に入り込んでしまった、退却します。
 日本におけるエネルギー資源がどのような割合で得られているか、実はよくは知らないが、「原発を放棄して、あなたは今の快適な生活が三割方不便になっても我慢できますか」とかいう脅し文句が囁かれたことがあったように記憶しているので、原発は三割の発電量を担ってきたのか。いずれにせよ、その脅し文句に震え上がるようでは、今回の大震災から何も教訓を得なかったといわなければならない。君がどんなに「さあ心を一つに強い日本を再建しましょう」などと言っても、そんな君と肩を組む気にはまったくならない。
 気がつくと、今夜も自分でもまだしっかり考えたことの無い領域に話をもっていきそうなので、今日はこの辺でやめておく。最後に、このブログを読んでくださっているある人から、昨年十月四日に、私が「原発銀座に住んで」と題する文章を書いていたことを指摘された。急いでその文章を見ると、最後をこう締めくくっていた。

「原発立地市町村に行くと「原発は環境にやさしい発電方式です」と立て看板が目立ち、テレビでは原発がいかに安全な電源であるかを宣伝するコマーシャルが毎日のように流され、地域の回覧板には定期的に原発の必要性を説く一方的な情報が伝えられる。そして今年、これまで八年間凍結されていたプルサーマル化もついに条件付ながら認められるという新しい局面を迎えているのに、地域住民の関心は低く、立地市町村は原発頼みの財政が破綻しているにもかかわらず、またぞろ甘い汁を吸うことに躍起となっている。地下鉄の車両はどこから地下に入れられたのかを考えると夜も寝られない、という春日三球・照代の漫才があったが、ほんと原発問題を考えると夜もおちおち眠れなくなる。
 ともかく私はこの問題に関しては無知蒙昧もいいところ。とりあえずはしっかり寝て、起きている時は注意おさおさ怠らないようにしたいものだ。」

 健忘症もここまで来ればりっぱなもの。ほらね、原発問題を警戒しないでぐっすり寝すごしたらこの始末。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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しまった寝過ごした! への1件のコメント

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    今回の大震災まで、原発について、全く考えたことがありませんでした。
    しかし、今、県外避難している友人家族、そして、このブログを通して佐々木先生や今も避難せず残っていらっしゃる住民の方々、自分の子供達の将来、たくさんのことを考えるにつけ、自分はなんて無知で愚か者だったのかと歯噛みをする毎日です。
    国が安全だと言っているのだから…、唯一の被爆国、よくよく計画されてるはず…、と自分の頭で考えることを放棄していました。
    「もったいない。」
    水も電気も食べ物も、いろんな事でそう感じていました。
    でも、何か変えようと努力したことはありません。
    これからの生き方をいつも考えています。

    追伸:「峠を越えて」読み終わりました。ひたすら涙が流れ出ました。先生にとって原町は本当に大切な、思いが積み重なった場所であるんだなぁ…と感じました。お二人の愛に心奪われました。。

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