待ったなしの宿題

来週は少し忙しくなりそうだ。週の初めに、ロブレードさんが二回目の取材にまた拙宅に来てくださる。今度は、私のインタビューは補足程度で、後はたとえば愛の写真など小物を映してくださるそうだ。そうだよね、むさくるしい爺さん顔のアップが続いちゃ、見てる方が疲れる。そこに可愛い愛の写真でも、ついでにばっぱさんのも、点綴などしてもらえば雰囲気(?)が出るだろう。
 続いて映像作家・田渕英生さんが、やはり二度目の取材にいらっしゃる。今度は老夫婦が夜ノ森公園を散歩する場面も撮るそうだ。その頃まで腰痛の名残りが消えて、シャキッとした姿で歩ければいいのだが。いいやどちらにしたって、銀幕デビュー(古っ)を目指しているわけではないのだから、むしろ腰の曲がった爺さんが女房の手を引いて歩くの図の方が絵になるかも。
 それの予行演習というわけではないが、今日も少し蒸し暑い午後の夜ノ森公園に行ってみた。そしていつものベンチに腰を下ろしたちょうどその時、先日の幼女を連れた二人組の婦人が下から上がってきた。今日こそ近くに来たら幼女の名前を聞こう。大人たちの5メートルくらい先を、今日も元気な女の子が転げるように走っていく。ロータリーの向こう側に行くようなので、私たちもゆっくり腰を上げ、逆周りで、つまり待ち伏せする格好で歩いていく。
 ところが残念! 彼女たちは公園の西側にある別の入り口の方に降りていくではないか。なんだか恋人に振られたような(なーんてそんな感情とっくの昔に忘れてます)悲しい気持ちになりました。そして唐突にトーマス・マンの『ベニスに死す』(1971年、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品)の浜辺の場面を思い出しました。
 確か白いスーツを着た老紳士(ダーク・ボガード演ずる)が浜辺のデッキ・チェアに横たわって、波打ち際で遊ぶ子どもたちを見ています。間もなく訪れる死神の目を盗んでの、いっときの休息でしたでしょうか。実は、私、このマンの名作をまだきちんと読んでいないばかりか、ヴィスコンティの映画もまだ全編を通しては見ていないのです。なぜか、まだその時(?)ではないと考えているようなんです。つまり近づく死の予感の中で、大急ぎで人生に別れを告げるような心境になりたくはないのであります。
 ついでに言いますと、トーマス・マンにあったかどうかは分かりませんが、稲垣足穂風の少年愛にはまったく興味がない、というか近づくのが怖い(?)のであります。でもマンの『ベニスに死す』はそのうちじっくり読みたい小説であることには変わりがありません。ただその舞台になったベニスですが、映画では何回か見ました。たとえばキャサリン・ヘップバーンとロッサノ・ブラッツイの『旅情』のベニスも綺麗でしたが、なぜか訪ねたいとは思いませんでした。あの淀んだような水がどうしてもペストとか退廃を連想させてしまうからでしょうか。
 ローマとフィレンツェには行きましたが、私の洗礼名フランシスコの町アシジにはとうとう行けませんでした。つい洗礼名など言ってしまいましたが、ご存知のように、キリスト教では(プロテスタントもそうだと思いますが*)洗礼時に守護の聖人を名前にもらう風習があり、私はアシジのフランシスコ、そして美子はフランスの聖女ベルナデッタだと思います。いやーこんな機会でないと思い出すこともなかったでしょう。
 そう聖女ベルナデッタ、1858年2月11日、ルルド村に住む14歳の貧しい家の少女ベルナデット(ベルナデッタ)・スビルーは、妹と友達の3人でマサビエルの洞窟のそばを流れる川で、薪にする流木を集めていたとき、聖母マリアに出会ったといわれています。いわゆるルルドの奇跡で、現在も世界中から巡礼者が訪れるカトリックの聖地になったあのルルドのベルナデッタです。
 若いころ、私たち夫婦にとって実名よりも大きな意味のあった二つの名前、これからの残された日々、この二人の聖人は私たち夫婦に果たしてどんな存在であり続けるのでしょうか。
 話が思わぬ展開を見せてしまい、実は戸惑っています。私のこれまでの人生のうち50年は生きるための指針でもあったキリスト教やその聖人たちとこれからどう付き合っていけばいいのでしょうか。いつも避けてきた宿題です。でもこの大震災、そして残された時間もあまりないこの機会に、面と向かって考えてみましょうか。それにしても暑い日が続きます。もう梅雨は終わったんでしょうか。

*AKさんのご指摘ではそうではないそうです。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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待ったなしの宿題 への2件のフィードバック

  1. AK のコメント:

    日々読ませていただいていますが、コメントを残すのはひさしぶりです。

    以前から思っていたのですが、「夜ノ森」、詩情豊かなすてきな地名ですね。ずいぶん昔に福島の地図を眺めていた時に見つけて以来、どんな由来なのかがずっと気になっており、いつか訪ねたいと思っています。ここでも「夜ノ森」という名前が繰り返すように登場しますが、その度にときめいています。桜の名所だそうですが、夏の夜はどのような雰囲気なんでしょうか。

    映画『ベニスに死す』、私が十代で初めて観た時はその美に圧倒されるばかりでしたが、二十代で観たときは老いについて考えさせられ、三十代では恋をすることの滑稽さ、切なさを思いました。四十代、五十代では何を思うのだろう? 佐々木さんがもし全編をご覧になられたら、ぜひ感想をお聞かせください。

    宗教については私も時々考えます。私はプロテスタントである両親を持ち、自分もキリスト教徒なのだろうと自覚していますが、洗礼は受けていません。キリスト教は自分にとって必要だと思いますが、教会に属することが必要なのかどうか、まだ答えが出せないからです。しかしもし自分が家や家族を失った時、もしかしたらそれは大きな支えのひとつになるのかもしれませんし、いつか自分が見送られる時、それは残す人の心にも何かしらの慰めになるのかもしれない。
    キリスト教に限りませんが、宗教というものがこれほど長く、多くの人々にとって大きな存在であるのには、やはり理由があるのでしょう。死や別れという言葉を多く聞く今、もうすこし真剣に考えてもいいのかもとは思っていますが。ちなみにプロテスタントでは洗礼名はつけませんね。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    ご指摘有難うございます。さっそく註に入れさせてもらいました。それから夜ノ森公園のことですが、私自身もその名前の由来が気になってます。2009年2月11日のブログでも触れてますが、実はもっと有名なのは常磐線富岡町のそれです。この方は、南相馬市小高区(現在警戒区域)出身の実業家・半谷清寿氏が1901年に作ったもので、もしかするとそこと関係があるかも知れません。

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