中国関係で気になっている思想家に竹内好がいる。中国に対して特別な思いをまだ持っていないときに、彼はただ武田泰淳や埴谷雄高の周辺にときおり姿を見せる人に過ぎなかった。ちょっと記憶に残っていることと言えば、確か彼が「大学教授の給料では食っていけない」というような意味のセリフを吐いてフリーの評論家になったときのことくらいである。
最近、彼の著作を集め始めてはいたが、そのうちのどれもまだまともに読まないできた。ところが先日ネットの古本屋から届いた『中国を知るために』という三巻本をぱらぱらめくっているうち、そろそろ本格的に読まなければ、とやっと思い始めたのである。雑誌『中国』に数年にわたって気楽に書き綴ったものらしい。
いま気楽に、と言ったが、最初の数編(全部で100編近くの文章より成っている)を読むうち、彼が初めから意図的に、また明確な見通しの下にこれらの文章を綴ったのではないにしても、結果的に実に適切なスタイルを選んだものだと感心した。中国というとてつもなく大きく、どこから攻めていったらよいか途方にくれる相手に対しては、オルテガ流の言い草を借りれば、ちょうどイェリコ攻略のときの戦法しかないのでは、と思うからである。つまり獲物を狙う鷹のように空中に大きく孤を描きながら徐々に包囲網を狭めていくか、あるいは正面突破ではなく搦め手から、ねちっこく、ゲリラ戦法で攻めていくしかないのだ。
ところで人を知る、思想を知る、そのいずれの場合でも、その「知る」という行為には段階があるはずである。たとえばこの『続モノディアロゴス』の文章でも、書き始めから書き終わるまで、たとえそれが数十分、ときに数時間であれ、調べたり確かめたりしながら、より確かな知識や見解に育っていく。普通は結果重視で、その過程にまで注意しないが、しかし本当はその一つひとつの段階から次の段階に移行する経過が重要なのである。
つまりまだその対象に関してほとんど無知の段階での知見は多くの場合誤認であったり偏見であったりするが、しかし時にはそれなりの意味を持っていることもあるのである。
それで今回の竹内好との出会いも、現時点で私の中にある竹内好像に何ひとつ加えることも隠すこともないままに、とりあえずなぞってみようと思うのである。あっ、今日はこの辺でもう紙幅が無くなってしまいました。明日続けます。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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